うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

6日目、かき氷のシロップのようなラノベ原作アニメ中毒者

 朝起きて、ご飯を食べる。毎日書いていると流石に飽きてくる。朝ごはんも同じように飽きてきて、納豆やキムチでは辛くなってくるのが金曜日。
 だから目玉焼きを作った。フライパンを温め、ハムを炒める。ちょっと焦げ目がつくのを待って卵を割って焼き始める。底の方を少し焦がそうとしてゆっくり火を入れる。
 そのあと、水を入れてふたを閉めて蒸す・・・。が、寝ぼけていたようで水を入れすぎた。しかも沸騰して水が暴れ大きな泡が出来ては消える、その強さに卵が崩れて黄身と白身と混ざり、スクランブルエッグと化す。とにかく焦ってフライパンから水を捨てようとしたが、まだ生の卵が一緒に流れ出ようとしたので捨てられず、レンゲで急いで捨てていく。
 完成した卵の残骸を一生懸命食べて、皿を洗う。このゴミのような卵は、フライパンの汚し方も徹底的。焦げがこびりつき、油でベタベタ。一回軽くスポンジで拭いても全然奇麗にならない。目覚ましテレビを見ながら何度も洗ってようやく奇麗になった。

 車の中は記憶なし。仕事も今日は特段語ることがなく、ただ黙々とこなす。最近は少し余裕があって暇を持て余しつつある。一度自転車で外へ出る。お客さんと出会って雑談。これもまた銀行員の楽しみである。不思議なまでに地元に溶け込めてしまう。
 昼は何を話したか覚えてないが、あえてゆっくり食べてゆっくり話した。ゆっくり丁寧を極めようという目標は三日坊主にならず、6日間になる。

 帰ると転生したら剣でしたとかいう謎のラノベアニメを見る。
 何でもいいが、魔力を使って鑑定眼を使って、ダンジョン行って魔法使ってステータスがどうのとかいう流れが全部一緒なのなんとかならんのか。転生したら剣でしたじゃなくて、剣だと思って見たらいつもと同じ展開でした、に改名すべきである。かき氷のシロップは実は同じ味で色が違うらしいのだが、まさしくそれである。
 と悪口は言ってはみたが、僕にとってはこういうアニメは癒しである。
 何も考えずに同じ展開が無限に続き、目をつむっていても見れる。展開が読めているので伏線もなんもない、予定調和が続くだけ。真面目に見ていなくても話がわかるので、集中する必要がない。これは本当に良い。麻薬で馬鹿になった中毒者と同じようなもので、僕はずっとやめられない。
 
  今日は反省しようにも早く決めてしまった、というほどの選択はなかった。その時が来るまでは毎日ダラダラ書いていきたいと思う。

5日目

 5日目、朝目が覚めると若干花粉症は少ない。微妙に寝不足。昨日、ブログを書き始めたのが9時半ごろと遅くなったからである。
 netflixの忍びの家をダラダラ見たせいで開始が遅くなり、書き始めから1時間かかって10時半。そこから、少しして寝たので11時頃。お腹一杯だったので牛乳で下痢出してすっきり眠れたのだが、睡眠が遅かった。
 ・・・朝ごはんは納豆。引き続きゆっくり食べ、皿洗いをする。最近は慣れてきたので感想はなし。記憶にないが、めざましテレビを見ていて、最後の最後で一平さんが捕まったとのニュースが流れる。そのまま谷原章介が出てきて、詳細を語り始める。そんなところで、会社に出勤した。
 こんなものを書いているせいか、朝の運転は周りをよく見るようになった。無理やり周りの看板や家を眺めたり、わざと車に差し込む朝日を浴びたりといった風である。目の前に引っ越しの車があった。スピードが遅いなぁと思っていたら、妙な車線変更の繰り返し。悪気はないのだろうが、煽り運転のようだった。
 
 到着。朝から仕事が山ほど増えたが、まぁなんとかごり押し。珍しく机を奇麗に、をスローガンに働く。
 さて、昼ご飯。またしても一平さんのニュース。
 「裏切られた大谷さんのことを考えたら涙が出てきました」
 嘘をつくにも程がある。偽善者マジうざい・・・。普通自分の友人知人両親などが騙されたら心配だが、全くの心配な感情を抱くか?
 と、おばちゃんと笑いながら話した。その他ちょこちょこ雑談を続けた。
 午後は半日接客。まぁそんなわけでダラダラ過ごして家に帰る。

 帰りはもう仕事の脳みそ。周りを見ず、さらっと帰ってしまった。
 そこからの記憶はほぼない。やべえ、マジで本当に覚えてない。夜ご飯も結構ガッツリ早く食った。思考が勝手に色んなものを排除している様が恐ろしきことよ。
 思うに余計なことを考えて、周りを見ておらず、自分の世界に浸りきっていることが問題なのだろう、と思うので、地に足付けた人生を送ります。

4日目、コミュニケーションの体系について

 6時ぐらい、朝日と両親が生活する音で目が覚める。
 眠かったので、もう一回。気づけば朝8時で、朝ごはんはキムチと白米。皿を洗う。午前中は本当にやることがなくて、動画を見る。
 ミルクボーイのお笑いのネタを見た。同じネタを何度見ても笑える。
 「コーンフレークやないかい!」
 「ほな、コーンフレークちゃうか・・・」
 のテンポの良さが売りのネタ。
 ここだけでなく、
 「うーん、もうちょっとでわかりそうやから、なんか言ってなかった?」
 と角刈りの方が真顔で食い気味で聞くのが、妙に面白い。なんでこいつオカンが言ってるものをそんな真剣に聞くんやろと既に面白い。
 聞きすぎて、友達と話すときにコーンフレークっぽいツッコミをしてしまったことがあり、痛いお笑いファンになってるので反省。
 
 昼、スタバで女性と会う。びっくりするぐらいの変わり身の早さである。
 身長は僕より高い。すらっとした美形の女性である。いつも通りなのだが、スタートはめちゃくちゃ話が良い感じに進む。コーンフレークやないかい!以外にもお笑い芸人のラジオだのを聞いて勉強しているので、相手に質問して返答がなくても無理やりつなぐのが得意といっちゃ得意ではある。
 相手は劣化版の僕、といった印象を受けた。つまり、人間で言うと針タイプ。何かを選ぶ時の速度はやっぱり早くて気が合うなという印象。
 何故劣化なのかというと、話のネタが一切出てこないタイプであった。

 コミュニケーションというのはキャッチボールである。これが難しく、今の僕も苦戦している。コミュニケーションが下手というのは主に3つに分類される。
 ①自分のことだけ話すタイプ
 これは僕。割と自分のことを話しすぎて、人の話を受け流しがち。好き放題話すだけのタイプ。ニコ生のやりすぎかもしれない。オタクに多い。コミュ強者にめんどくさいと避けられるタイプ。
 ②自分のことを話さないタイプ
 これは①の反省をしすぎた一時期の僕。質問しすぎて尋問のようになる。銀行員に多い。やはり、自分のことを全く話さない人には警戒心を解くことはないので、相手は質問に答えにくい。コミュ強者の場合はこのタイプはとりあえず、雑談は成り立つ。
 ③両方出来ないタイプ
 所謂完全コミュ障。自分のことを話さないので質問されても話がつまる、質問もしないので、相手も壁と話しているように感じるタイプ。動く大木、ダッチワイフ、サンドバックなどと呼ばれる。

 まぁこんな感じで今回の相手は③に近い①である。とはい、気を許したらもう少し話すとかはあるかな、と思いながら次に誘った。
 ちなみに最近フラれたあの子は程よく会話ができたが、これまた僕と似たもの同士で、ゼロから無理に技術を高めたタイプ。互いに上手く話せる人の明確なイメージがあって、それなりに話せるのだが、身の丈にあってないコミュ技術故に、本心が全く出せない。互いにガードが固すぎて平行線を辿った。
 コミュ強者は①と②のバランスが出来て、それ以外は①と②が互いを補い合って話すといった様相。ちなみに女性は①が多い印象だが、最初から②に徹すると話が引き出せない始末。上手くコミュニケーションをとっても、本心を包む殻がぶつかりあうミュウツーの逆襲状態になるので、ここも突破する必要があるという難しさ。
 
 さて、帰り道。昼にスタバで腹減りまくりなので、ラーメンを食べる。
 トッピング無料券を使ったつもりが、何故かトッピングが出てこない現象に遭遇する。無料のサービスだから、と文句は言わず静かに食べる。
 ブログでは過激なことを言ってるくせに、この小心さが情けないところ。その後昼寝を30分して、夜ご飯。
 今更だが、食べるスピードの速さは、左奥歯がほんの少し欠けていて、隙間に食べ物が詰まることに起因する、という説が浮上した。左で噛むと歯茎に当たって痛いので、右を使うが、右も疲れるので何回も噛めず、飲み込む羽目になるわけだ。
 あ~歯医者いくか~、そう思いながら私は寝る。
 
 

3日目、迷う、という人生のスパイス

 三日目の反省もかねて、一日のことを書きます。
 今日の朝は寝不足。前日、無駄に夜更かし。12時頃に寝たせいである。
もうあの子のことはかなり薄れる。失恋は消えつつあった。花粉で鼻が詰まる。唇が乾燥して切れそうである。
 最後のパンフレット、部屋に放置していたアマゾンの段ボールに包みながら、変な詮索をされぬようにこっそりゴミ箱へ捨てた。ホントはゴミ回収の日にと思ったが待ちきれなかったのである。
 朝ニュースでマイナス金利政策が終わるニュースがやっていた。ついに俺の給料も上がるのかと少し笑顔になった。
 朝ごはんは納豆。これも急いで流し込むくせがあるので、あえてゆっくり食べる。またしても皿洗いをする。皿洗いをしなくては、と思うと味噌汁は飲もうと思わなかっ た。歯磨き、記憶にない。洗顔し、シャツを着て、ワックスで髪を整えて、スーツを着る。さぁ出るぞ、というところで足の寒さを感じる。ヒートテックタイツを忘れていた、戻って履いて、さぁ仕切り直し。

 このあたりで、迷う、ということについて考えた。僕は不思議と迷いがない。いや、迷いがないわけではなくて、迷うときは結構迷うし、かなりメンタルは弱い。ホントいうと、少しご飯を食べるだけでも作法があってるか、とか考えるし、話したあとにあれはこうすべきだった、とかネチネチ反省したりする。
 それが嫌で嫌で仕方なくて、見つけた方法が当たって砕けるという方法。百回やって百回失敗すれば、失敗が怖くなくなる。慣れる。ついでに百回もやってれば、どんな馬鹿でも欠点が分かるので克服できるというもの。
 努力は好きではないので、あくまでも脱力したまま当たって砕ける。本気で百回もぶつかれる人は世に言う成功者、もしくは自殺予定者であると思っている。
 僕は凡人。気楽に砕ける。すると不思議なことに意外と物事が上手くこなせるようになる。こんな人生を送ると、大概何をやっても最初は凡人以下。ある程度の期間が経つと平均を上回るようになる。もちろん本物には勝てません。
 
 長所を挙げてきたが、先日書いた一点張りの成長と同じく、根本的な欠点がある。迷う、ということがなくなることだ。迷う、は苦しみであるが、同時に楽しみでもある。
 例えばとある飲食店に行ったとしよう。当然メニューはいくつかある。どれにしようかなぁと味を想像する。今の気分はどうか、量はどうかなぁ、昨日は何食べたっけ、夜は何食べるっけ、などなど。そして出てきた食べ物に、良し悪しはあれ予想が裏切られるか、予想通りか、と感想を抱く。
 僕の場合はこうである。ぱっと眺めて、一瞬で決める。味?世の中の飲食店で急にまずいものは出てこない、量?二郎を食べられるんだから、関係ない。この料理も気になる?じゃあ次来たらいい。こんな具合である。いや、むしろここまで考えていたら良い方で、実際には本当に何も考えず直感だけで選ぶ。その先のあらゆる可能性の線が僕には見えない、いや、見ないのである。
 
 失敗という感覚に対する麻痺。僕はあらゆるストレスに対し、麻痺を使って耐えている。しかし、この失敗のストレスは人生の豊かさを奪う。日常的にあることへの関心が急速に擦り切れる。
 結果として、この三日の反省の如く、「記憶にない」が続く。日常生活程度ならまだマシだ。ご飯に行ったり、旅行にいったり、そんなことにも楽しい!という感情がなくなるのだ。なんと退屈なことか。
 新しいことをすると僕は楽しいと思う、失敗するのが大変嬉しいと思う。恐らくその瞬間だけが僕の麻痺を叩き起こす。ところが世の中、普通に生きていれば大きく失敗することはない。だからといって急にアメリカに行くとか、そんなこともできない。やったとしても、根本的に迷いのない僕は上手く楽しめないと思う。
 ということで、これからはもう少し無理にでも迷う癖をつけて、人生を豊かにしていきたいと思います。終わり。
 
 
 
 

今日の反省2日目

 起床。なんと朝から1時間ぐらいかけてブログを書き始める。詳細は下記参照。
 書いているうちに勝手に新しい結論が出る。ブログってのは面白い。下のブログは最初は顔も思い出せなくなってることへの恐怖だけで書いた。結局妙な哲学になった。
 朝ごはんを食べる。白米とキムチ。食ったあと皿を洗う。親が何をし始めたんだ、とじろじろ見てくるのを無視してテレビを見てるふりしながら皿を洗う。
 茶碗にこびりついた白米が思ったよりとれない。スポンジ越しに伝わる違和感、テレビを見てるふりをしながらでは、余計に苦戦させられた。
 
 その後、車で通勤。例のパンフレットがまだ車の助手席にある。エコステーションならパンフレットを捨てられると思ったが、思ったよりちゃんと縛ってあるチラシや雑誌が捨てられている。いくら紙だとは言え、これは無理だと断念。翌日以降の燃えるゴミで出そうと決意。
 職場に到着。寝ぼけながら店の中をぐるぐる歩き回るルーティンを行う。足がちょっと痛くなった。職場に人が少ないので、周りを見ながらうろうろとフォローして回る。が、普段なれないことをするので、逆に邪魔だなぁと思って途中からやめる。定年後にやけに家事をやるも、不慣れすぎて妻から動くなと言われる夫の如し。
 
 昼ごはん、いつもは5分で食べるが、今回は所作を見直し。15分で食べる。少し噛んで、パートのおばちゃんと談笑。思ったより良い。が、ペットボトル500mlを20秒ぐらいで飲み干してしまいかけ、最後の方で無理やりブレーキを止めて飲み干さずに我慢する。もう少しゆっくりにしていきたいと思う。
 それでも15分なので上司に早くねえか?と言われる。今度はもっと人間味のある食事時間を取ろうと思う。
 
 午後の仕事、若干眠くなってきて仕事が雑に。お客さんと楽しく話すことによって回復。最後の方の仕事は雑すぎて上司になめんなよ!と笑顔で言われる。よほど頭にきたのか、煙草に行ってしまう。ちなみにこれはパワハラではありません。この程度でパワハラなんていう時代らしいが、さすがにメンタル弱すぎねえかと俺は思っている。
 
 夜上司のおごりでご飯へ。奢られるのが久しぶりすぎて、いただきますも言わずにご飯に手を付けてしまう。やべえと思うも時すでに遅し、若干目が合うも見逃していただく。4人でいったが、何故か僕だけがめちゃくちゃ食う。食べるといっても軽食程度だったが。飲み放題で、僕はいつも通りウーロン茶だけを飲む。ジュースはちょっと健康に悪そうなので、という理由で飲まず。ラーメン食いまくってるやつが何を、とはいうんじゃない。
 おごっていただくとき、ぼそぼそすいませんと言っていたら、小銭は頼むと言われ急いで財布を出す。いい感じに申し訳なさを出させてくれた上司に感謝である。奢られるのは結構気まずい面もあるので、小銭は頼む、という言葉かなり良い。ちなみに出したのは本当に数十円。今後女性に気を遣われたらこのフレーズは是非使わせていただく。
 このやり取りの中で、通れない別の女性客が邪魔そうに見ていたが、誰も気づいていないので気づいていないことにした。
 
 帰宅。一旦ゴミを捨てようとパンフレットを持ち帰る。ご飯を食べる、肉とサラダと米。気づいたら飲み込むように食っており、速度を落とし、最後の一切れを食べる瞬間だけ100回ぐらい噛んだ。その後、皿を洗う。弁当箱も洗ったので時間はかかったがまぁまぁ満足。
 風呂に入る、歯を磨く。やってしまった、全く記憶にない。丁寧にやっていない。恐らくさくっと入ってさくっと出た。あっさりすぎた。
  そしてブログ、あぁやってしまった。「おごっていただくとき」のあたりで、いつもの高速タイピングだと気づく。やっちまった・・・。
 今日は上司のおかげでまぁまぁ密度高め。明日からは誰かのおかげではなく、自分で作れるような生活を送る。
  
 

一生独り身で良いという人へ

 若干の肌寒さを覚え、朝目が覚める。また眠ろうとする。眠れない、またあの子の思い出が眠りを妨げる、とはならなかった。
 既にあの子の顔が薄れかけている。あの時泣いていた顔、あの子の香り、しぐさなど、あまりの早さで忘れていくことに恐怖を覚え、逆に思い出しているところだ。
 昨日までの胸が締め付けられる思いは相当薄まり、逆に漠然とした恐怖が顔をのぞかせてしまっている・・・。
 かの三島由紀夫の小説、天人五衰では、主人公の前々前世と60年以上前に壮絶な恋愛をした女性が尼になっており、主人公の親友:本多が会いに行く話がある。
この時も、彼女はその恋愛を覚えていない・・・。本多は「は?」と一言思わず言ってしまう。恐ろしき空洞である。
 私は、生きる速度を落とす、だとか運命の重要性だとか、そういうのをまた忘れて、偏屈な人間として生きていくのかもしれない。
 何故僕が小説など書きだそうとしたのかと思いだした。この生きている自分の忘れてしまう思い、記憶を何とか取り留めようとしたからだ。
 
 デートで使ったパンフレットを捨て損ねて、あ~また思い出してしまう、早く捨てなきゃ、と思っていたが、思い出すどころかもう記憶から抜け落ち始めている。不思議なことだ。愛していたはず、恋をしていたはずなのに。
 恋愛感情は恐らく人間が持ちうる最大のものである。生存本能よりも種の存続という使命に基づいている。そんな変な理屈はさておいて、恋愛感情は強烈な爆弾である。今回も相当な衝撃だった。少なくとも一昨日までは、あの子との思い出は幾重にもなって、眠りを妨げた。恋は100万ボルトだのフレーズが無限に出てくるのも頷ける。
  
    虚無、その兆候はあった。昨日悪夢発生装置と呼んだベッドに横たわったが、あまり苦労せずに眠った。6回しか会ったことがないからだろうか、過去に失恋した記憶と違って、一瞬で消え去りつつある。
 徐々に心が擦れていくのを感じる。恐らく失恋のショックも徐々に減っていっているに違いない。あの、眠ろうとして夢を見る瞬間、急にあの子との思い出がよみがえり、はっとこれが夢で現実で寝ていると引っ張り戻されるようなあの瞬間は、もう今後訪れることすらないかもしれない。もはやあの子の顔がどんな風だったかも怪しい。

 最近、恋愛すらしない人がいると聞く。彼女を作らず、ただ一人で生きていく、と。恐らくそれは人類がこの失恋という最大のストレスから身を守る防衛本能なのだ。一人であれば他者からの永遠の否定に苦しむことはない。
 それは死に最も近い感情である。死とは自分の存在を強制的に否定する。故に最も恐怖される。失恋はその一部、自分を他者という一存在に否定される瞬間。自分の全存在を露出させ、そして否定される。相手がどのような言葉をかけ、慈しんだところで否定されたという結果は変わらず、自分の存在と真っ向から対峙する。だから、昨日から反省が始まっている。
 果たして何が正解なのか、という問いへの答えもない。いつか誰かに全存在が許される、その瞬間は結婚にある。友人だって、自分を受け入れてくれる存在だ!という人はいるかもしれない。ただその友人は常にいるわけではない、日常の細部まで共に過ごすわけではない。
 夫婦の存在に対する特異性はそこにあって、多少前後はあれ常に一緒にいる。そして子どもは恐らく最後まで一緒にいる。人は何か精神的な支柱がなければ生きてはいけない。オタクカルチャー、宗教、流行のファッション、みんなそのために存在している。宗教はその賞味期限が人より長いため続くが、他は人が支柱とするには腐るのが早すぎる。こうした趣味を共有したいというのはある意味で自分の存在の生き写しを共有すること、すなわち存在の受容なのだ。
 こう、ダラダラと語ってきたがもう仕事に行かねばならぬ。凄まじい否定、凄まじい忘却に振り回された数日だったが、一生独り身で良いという人へこう伝えたい。
 「一回パートナーを作ってみなさい、本当に要らないと思えば独りでいい。でも探さないと後悔するよ。」と。フラれた男が寂しく語りました。
 
 



今日やったことと反省1日目

 朝、6時頃起床。昨日のアレで、目が覚めるも眠れず。漫画を読む。
 辛い時、何をするかよくわからず、友人にラインを送る。もちろんみんな寝ている。
食欲がなかった。暗い音楽を聴くとよいとのことで一時間音楽をただ聞き続ける。
 8時過ぎたころ、昨日のハンバーグの食べ残しをレンジで温めて食べる。まぁまぁうまい。
 ブログを書く。ゆっくりと書く。
 何もせず、ただ座り続けた。暗い音楽を聴きながら。
 とかいっているうちに、何故か急にお金の管理をしようとおもい、楽天カードの明細を見る。
    謎のグーグルからの引き落とし1200円ぐらい。調べたらyoutubeのものだったので、解約した。だって見てないもん。NHKオンデマンド990円、解約した。今もう見てない。なお、今月の引き落としは約18000円。新聞代6500円、とネットフリックス代1400円、お茶5000円、スポーティファイ990円、残りアマゾンでかったほんなど。
 外出せず、一円も使わず、昼頃に親の作ったカレーうどんを食べる。あえてご飯はゆっくり食べた。これも努力である。よく見ると外は曇りというかちょっと雨だということに気づく。
 午後、ツイッチで少し配信者を見る。そのあとニコ生を見る。ちょっと眠くなったのでベッドで寝ようとするも、昨日のことが思い出されてしまう。なので、一度椅子の上で寝る。何故か椅子の上だと思い出さない。恐らく、明日のデートはどうしようとか、ラインの返信をドキドキしながら待ったりと、ベッドの上で寝る前に考えていたせいで脳がそうなっているのだと思う。もはやベッドが悪夢発生装置である。
 その間に友人からのラインが返ってくる。皆結婚しており一緒に外出できず。
 4~5時ぐらいの記憶がない。恐らく婚活か何かでもうデートの約束が決まったので、店を捜したりしていたと思う。とにかくすごいなぁと思うのだが、フラれまくるが会えまくる。どんどん成長するのを感じてしまう。そういや、自己紹介文にアセクシャルと書いている人がいて、一応申込したあと調べていたと思う。
 なんか、性欲を異性に対して感じないらしい。愛はあるらしい。じゃあ、セックスはどうなるんや?とか調べた。どうやらセックスが無理という人と、別にやってもいいけど意味はないよね、という派がいるらしい。てかまぁ子どもへの愛はあって育児します、ってんならセックスせざるをえないよね~などいろいろ考えてまたLGBTQ+について詳しくなった。
 6時、親の作った肉炒めを食べる。これも少しゆっくりめに食べた。
 7時風呂に入る。BPBをプレイしながらニコ生を垂れ流す。
 ブログを見たら僕が人を振った時の話が載っていた。あぁあの子もこんな気持ちなんやなぁ~って思ってちょっと気がまぎれる。

 今、これを投稿する。
 反省点:メンタルが弱っているとはいえ、ほぼ何もやっていない。中身が薄い。日常生活としてやるべきことをやり、自分語り(ベットが悪夢発生装置だなど)をやめても量が出るような休日を過ごす。
 尚、1日目などと書いているが続かないと思われるが、頑張るだけ頑張ってみます。