うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

34日目、久しぶりの一日

 朝起きて、ご飯を食べるいつもの日々。鳥取があまりにも楽しすぎて、普通の日々の記憶が薄い。
 朝ごはんは鮭の塩焼きと、白菜の味噌汁に白ご飯。漬物の代わりに辛子高菜を食べた。鮭はスーパーで買った安い切り身。フライパンの上でホイルを敷き、塩を振ったもので、皮を焦がすのがポイントである。カリカリになった魚の皮を食べて、残るのは骨だけになる。
 そのあと外に出て、庭に栽培しているチューリップに水をあげる。まだ花どころか茎すら育っていない。芽が出たばかりのチューリップである。
 周りに雑草が生えていないか確認するのも日課だ。本当に悪い影響が悪いのか知らないが、雑草は土の栄養を奪ってしまいチューリップが死んでしまうらしい。鉢植えではなく、花壇なのでこういう配慮も大事なのである。
 今日は曇り。雨が降りそうで、降らない天気。午後から女性と会う予定がある。11時ごろに家を出るつもりで、今は8時であと3時間。
 3時間で出来ることは限られている。例えばサウナに行けば行き帰りで1時間はかかる。サウナ自体は1時間。ちょうどいい、と思うだろうがそうではない。そのあと予定があると思ってサウナに入ってしまうと、全くリラックス出来ないのだ。
 じゃあちょっと寝るか、と思って見ても寝たばかり。少し考えてyoutubeショートを見たあと、散歩しようと思い立って曇天の中外に出る。日差しがないので程よく涼しい散歩日和。岐阜の町は鳥取ほど感動的な景色はないのだが、ひたすら歩く。
 岐阜には田んぼはほとんどない、かといってビルがたくさんあるというわけでもない。飲食店もないというわけではないが、たくさんあるというわけでもない。低い住宅が立ち並ぶ街だ。その歩道をゆっくり歩きながら、思いを巡らせる。
 赤信号で止まり、青信号になって横断歩道を渡る。反対側には老婆がいた。腰は曲がっていて、押し車を引いている。ちょうど近くのドラッグストアで買ってきたのだろう、中に物が詰まったスーパー袋をかごに入れている。
 ゆっくりとこちらへ向かってくる。僕もあちらへ向かっていく。互いにすれ違い、そのまま過ぎていく。思考の中にある僕はすぐにその老婆の存在を忘れて、真っすぐと歩いていく。老婆は横断歩道を渡ったあと、左折して坂を登っていった。
 更に真っすぐ歩く。少し姿勢が悪かったので、背筋を伸ばして歩き始める。顔が上を向き、前が見える。この瞬間だけ風景が現れ、例のドラッグストアの横を過ぎ去っていることに気づく。さっきの老婆はどこへ行ったのだろうか、と振り返るともういない。
 いつもの慣れた散歩コース、実際には一時間ぐらいは歩いているのだが、気づけばもう家の近くまで戻ってきた。何度も同じことをすると人は時間を早く感じる。朝ご飯、チューリップ、youtubeショート、散歩。かかっている時間は違うのだが、記憶の中では同じである。
 そんなことを考えながら、家の目の前のアパートを横切ると、さっきの老婆がいた。近所の人らしい。40分ぐらい前と同じく、押し車を引いていてゆっくり歩いている。一歩ずつ地面を踏みしめながら、着実に前に進んでいる。あの老婆と僕、同じ時間を歩いたが、歩いた距離は何倍も違う。彼らの時間はどうやって進んでいるのだろうか。歩く時間は長いと感じるのか、感じないのか?僕からすれば、短い距離を40分かけたことは遅いと思うのだがどうなのだろうか・・・。
 遅いと怒る老人がいれば、ダラダラとゆっくり事を進める老人もいる。老いると人は時間を早く感じるという。確かに僕も30歳になったが、20歳までと今までは全く時間の経過が違うと思う。その何倍も時間を過ごしたあの老婆は更に一瞬の時を過ごしているのだろうか、それとも歩みが遅いことに慣れて長いと感じなくなっているだけなのだろうか。全く進んでいないその歩みは彼女にとっては刹那の出来事なのだろうか。
 思いを巡らせつつ、老婆を横目に私は家に帰った。ちょうど10時半ごろであったので、ネットのゲーム配信を見ながら身支度をし、約束のカフェに行く。
 15分ぐらい前にカフェに到着したのだが、既に彼女は座っていた。今まで会った中で一番珍しいタイプで、ずっと楽しそうに話をしていた。どうも話の笑いのツボが似ているようで、一生話を聞いているのだが、面白くて笑いまくった。痰がのどに詰まって一回言葉が出なかったが、ごまかすのだけは大変だった。あんまりゴホゴホやると、印象悪いかな、とか思ったりしたからだ。
 普段は1時間しか話さないのだが、もう1時間半ぐらいダラダラしゃべって終わった。フラれても結構笑わせてもらったと、カフェが安かったのでいい経験だったなぁ、あの話のペースは勉強になるなぁ、とか思いながら電車に揺られて帰る。
 帰り道またしてもあの老婆がいた。今度は低い石垣の上に座っていた。荷物はなく、ただ座っていた。あの老婆にも、男性とダラダラ話して帰るような時代があったのだろうか。間違いなく僕の二倍は生きているであろう老婆は、空を見るわけでもなくずっと前を見つめていた。目の前を横切り、真っすぐ家に帰る。彼女は人生の終わり際に何を思い、何を目指しているのだろうか、僕の漠然とした不安の道は続いていた。