うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

38日目、熱血先生の思い出

 僕は小学生1年生の時、少食だった。あまり食わない、食べても下痢をする所謂山根君だった。更に風邪もよく引いたし、乾燥肌で手はボロボロ、背も低く大変弱い子どもであった。僕が生まれる時陣痛で24時間以上待ったらしい。よほどこの世の中に生まれてきたくなかったと見える。ゴーダマ・シッダールダとは大違いである。
 そんな僕は学校に行くのも本当に嫌であった。別にいじめられているわけでもないし、友達がいないわけでもなかった。男の幼馴染が二人いて、大概三人で帰っていて、一人いじめっ子がいたが、そもそも1vs3では勝てないのでいじめっぽいことをしようとしても逆にこちらがいじめ返すようなパワーバランスであった。
 それでも行きたくなかった。時は既に平成、恐ろしい体育会系教師がバケツをもたせて外に立たせるようなこともない。普通にぼーっと授業を受けて、給食を食べる。唯一怖いことと言えば、忘れ物と宿題。昔から心配性だったので忘れ物でうなされた。宿題は単純に嫌だった。テストも嫌いだった。特に親に点数を取れと強制されたわけじゃないが、点数を取らないといけないと思っていた。

 
 二年生になると所謂熱血教師に遭遇した。先生は正式な先生ではなかった。今でもよくわからない。教員免許がなかったのか、正式採用されていなかったのか、ただ先生は「正式な先生じゃない」と言っていた。
 とにかく熱血で、帰りの会が長かった。「明日があるさ」をCDプレイヤーで流しながら話をする。僕は早く帰りたくて、「もういいよ、他のクラスは終わってるよ、友達外で待ってるよ」と思っていた。何をしゃべっていたかは本当に覚えていない。
 短所はこれぐらいで、他は良い先生であった。
    授業はちょこちょこ笑いを入れてくる感じ。ずっと「変なおじさん!」と言っていたのだけは覚えている。20年後あぁ、あれ志村けんだったんだとコロナで死んだときの特番で気づいた。
 
 少食だった僕が大食いになったのはこの頃。確か先生が食事のおかわりを自ら進んでやっていた。1年生の時の先生はおばあちゃんで少食で、あまり給食を美味しそうに食べる人ではなかったが、この先生はよく食べた。楽しそうに食べた。だから僕もつられてよく食べるようになった。食べてみたら意外と胃も大きくなった。
 そんな先生のことが大好きなお調子者が一人、二人。彼らは授業中もちょくちょくふざけて盛り上げるタイプの人間。先生が美味しそうに食べる様子を見て影響されないわけがない。ところが、愚かにも自分の身に余る量の「おかわり」をした結果、食べきれないのだ。給食の時間は当に終わり、お昼休みに入っても給食を食べている。
 なんといっても、「おかわり」しておいて、「食えない」というのはありえないので、無理して苦しそうに食べていた。
 いくら平成とはいえ、先生も流石に欲張って「おかわり」したのを残していい、なんて言えないので、
 「調子乗ってじゃんけんまでしておかわりするのはあかんってわかったか!?クラスで目立っても、こうなったら全然意味ないぞ!」
 と怒っていて、彼ら(驚くべきことに一人の失敗で学ばず、もう一人同じように怒られている)は泣きながら、
 「はぃ・・・」
 と口一杯に飲み込めない給食でもごもごさせながら、食っていた。お昼休みでそのあと遊びに行ったのでわからないが、なんとなく先生は最後代わりに食べてあげたんじゃないかと思う。ちなみに僕はそこまで馬鹿みたいに食えない量をおかわりしたことはない。頭良かったんだね。

 この時に転校したばかりで、ぼっちだったとある男の子に、僕が声をかけてクラスの輪に入れるようにした、らしい。友人からは酔うといつも感謝されるが、恐らくこれも先生が僕を通じて裏で根回ししたんじゃねえかなと思う。
 急にちびまる子ちゃんを読んで古い話を書きたくなった。みんなは記憶に残る先生はいますでしょうか?コメントで打ってくれてもいいよ。明日も同じ先生の話をしていこうと思う。