うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

3日目、迷う、という人生のスパイス

 三日目の反省もかねて、一日のことを書きます。
 今日の朝は寝不足。前日、無駄に夜更かし。12時頃に寝たせいである。
もうあの子のことはかなり薄れる。失恋は消えつつあった。花粉で鼻が詰まる。唇が乾燥して切れそうである。
 最後のパンフレット、部屋に放置していたアマゾンの段ボールに包みながら、変な詮索をされぬようにこっそりゴミ箱へ捨てた。ホントはゴミ回収の日にと思ったが待ちきれなかったのである。
 朝ニュースでマイナス金利政策が終わるニュースがやっていた。ついに俺の給料も上がるのかと少し笑顔になった。
 朝ごはんは納豆。これも急いで流し込むくせがあるので、あえてゆっくり食べる。またしても皿洗いをする。皿洗いをしなくては、と思うと味噌汁は飲もうと思わなかっ た。歯磨き、記憶にない。洗顔し、シャツを着て、ワックスで髪を整えて、スーツを着る。さぁ出るぞ、というところで足の寒さを感じる。ヒートテックタイツを忘れていた、戻って履いて、さぁ仕切り直し。

 このあたりで、迷う、ということについて考えた。僕は不思議と迷いがない。いや、迷いがないわけではなくて、迷うときは結構迷うし、かなりメンタルは弱い。ホントいうと、少しご飯を食べるだけでも作法があってるか、とか考えるし、話したあとにあれはこうすべきだった、とかネチネチ反省したりする。
 それが嫌で嫌で仕方なくて、見つけた方法が当たって砕けるという方法。百回やって百回失敗すれば、失敗が怖くなくなる。慣れる。ついでに百回もやってれば、どんな馬鹿でも欠点が分かるので克服できるというもの。
 努力は好きではないので、あくまでも脱力したまま当たって砕ける。本気で百回もぶつかれる人は世に言う成功者、もしくは自殺予定者であると思っている。
 僕は凡人。気楽に砕ける。すると不思議なことに意外と物事が上手くこなせるようになる。こんな人生を送ると、大概何をやっても最初は凡人以下。ある程度の期間が経つと平均を上回るようになる。もちろん本物には勝てません。
 
 長所を挙げてきたが、先日書いた一点張りの成長と同じく、根本的な欠点がある。迷う、ということがなくなることだ。迷う、は苦しみであるが、同時に楽しみでもある。
 例えばとある飲食店に行ったとしよう。当然メニューはいくつかある。どれにしようかなぁと味を想像する。今の気分はどうか、量はどうかなぁ、昨日は何食べたっけ、夜は何食べるっけ、などなど。そして出てきた食べ物に、良し悪しはあれ予想が裏切られるか、予想通りか、と感想を抱く。
 僕の場合はこうである。ぱっと眺めて、一瞬で決める。味?世の中の飲食店で急にまずいものは出てこない、量?二郎を食べられるんだから、関係ない。この料理も気になる?じゃあ次来たらいい。こんな具合である。いや、むしろここまで考えていたら良い方で、実際には本当に何も考えず直感だけで選ぶ。その先のあらゆる可能性の線が僕には見えない、いや、見ないのである。
 
 失敗という感覚に対する麻痺。僕はあらゆるストレスに対し、麻痺を使って耐えている。しかし、この失敗のストレスは人生の豊かさを奪う。日常的にあることへの関心が急速に擦り切れる。
 結果として、この三日の反省の如く、「記憶にない」が続く。日常生活程度ならまだマシだ。ご飯に行ったり、旅行にいったり、そんなことにも楽しい!という感情がなくなるのだ。なんと退屈なことか。
 新しいことをすると僕は楽しいと思う、失敗するのが大変嬉しいと思う。恐らくその瞬間だけが僕の麻痺を叩き起こす。ところが世の中、普通に生きていれば大きく失敗することはない。だからといって急にアメリカに行くとか、そんなこともできない。やったとしても、根本的に迷いのない僕は上手く楽しめないと思う。
 ということで、これからはもう少し無理にでも迷う癖をつけて、人生を豊かにしていきたいと思います。終わり。