うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

生きる速度を落とす

 生きる速度を落とす必要があるのだと思う。
 僕は異様なぐらいせっかちである。例えばこのタイピング。寿司打で言ったらほぼ無敗の速度である。
 なので、今は力を抜いて、文字を、キーボードをみながらじっくり打っている。
 その割にゴールも中途半端。大きなゴールが設定できない。愚かしきことである。
 異様なほど人生を駆け抜けたが、この早さに誰もついてこれないのである。長所のような口ぶりだが、そうではない。そうではないのだ。人がみな思うであろうこと、感じるもの、それを全て抜き去っているのである。楽しむとかいう感情がない。
 いや、あるにはある。何か、新しいことができたときだ。だが、逆にいえばそれしかない。例えば、自然を楽しむなんてことがない。これこそが僕の異分子たる所以、変人たる所以なのだと思う。結果に拘り続け、逆にいえば結果以外はあまり見てこない。普通の人間の日常など僕にはないのである。


 こうして反省をした気になっても、結局毎日続けることはない。と、言うのがまだ懲りないところで、人は皆近づきがたいのだ。明らかに普通の人が出来ることが僕には出来ない、この原因も結局はこのせっかちさに集まってくる。
 ところが、結果のみを求めるあまり、ある分野ではそれなりに成果を出してしまうのでプライドだけが高くなる。その点だけ見れば人を小馬鹿にする悪癖まで生まれる。
 本当のところは、世の人はあらゆる面でバランスをとって生きている。多少の短所はあるが、薄めていきている。六角形のようなグラフでいうと、真ん中ぐらいの大きさ。
 僕の場合は、一点だけ針のようにのび、残りは0に近い。そしてその針が突き抜けているかといえば、そうではない。三島由紀夫の様に突き抜けた時には、その針は世を動かす。だが、僕は違う。おかしな人生を送ってきた僕、パラメータの総量は人と変わらないのに、一つに決めてしまった僕。中途半端にパラメータを0にできず、能力を振ってしまった僕。これがどのようになるのかはわからぬ。
 
 恐らくなのだが、小説を書こうとしても書けない、あれだけのとりとめのないことを書き続けることができない、というのも自分がおよそ生活というものをしていないからなのだと思う。あぁこれがすごい、というゴールそのものまでは良いのだが、そこに至るただの日常が不足している。生きることを知らない。
 故にどうしてもエッセイになるか、もしくはファンタジーになる。生活以外の自分の脳の領域に生まれたものが永遠と続くのである。
 ちょうど今書きながら、頭を抱えている。日常とは何か、というのが不明すぎる。どこぞの入水自殺をした男のような感覚になっている。生きづらさを抱え続けている。
   
 何かあれば都度相手に合わせてゆっくりしようなどということは非常に厳しいことは、昨日ブログに書いたとおりである。
 根本的に染みついた速度があるから。遅くしようとしても遅くならない。ナチュラルに生きる速度の速さが出てしまうから。それでも頭はずっと回ってしまう。自分の能力の限界を超えて・・・。
 とりあえず僕のゴミ部屋の掃除だけはしてしまおうと思った。終わり。

運命の定義

 彼女に最初にあったのはとあるカフェ。婚活はカフェから始まるのだ。
 物静かだったが、所々細かい気遣いが感じられる、そんな女性であった。
 初めの会話は僕がリードした。出来るだけ自分の話をして、適度に質問をする。こんな技術がこの一年でついていた。
 その後、何回かデートを重ねた。デートは最初の方が相手が提案することが多かったが、あとから僕がほとんど決めた。
 とはいえ、僕一人でデートを無理して決めているという感覚はなく、所々相手のフォローが静かにあって、心地よかった。若干デートが横にそれると助けてくれた。あぁ、この人なら結婚も・・・、そう考えていたのであった。
 
 結局4回デートした。でも距離は縮まっていなかった。互いに互いのことを深く話したりしない、警戒心の強さがあって楽しく話はするけども、じゃあ実際に仲良くなったかというと難しかった。
 僕自身も彼女の心の壁に押されて余計に話が難しくなり、質問も少なくなり、ラインでしか推し量ることができなくなっていた。それでも彼女には好意を伝え続けた。好きとかそういった言葉も使った。下の名前で呼び、手を握る。
 彼女も僕に応えるように僕自身のことを質問し始めた。困るような質問が多くて、ラインを返すのに非常に困り、30分考えたこともある。でも、まぁようやくちょっとずつといったところではあった。5回目のデートが終わったら、今度はドライブでもっと話しようかな、などと考えてはいた。
 一方で僕も彼女との差を感じつつあった。生きる速度が違うのだ。僕は常に早く決断し、早く移動することが多い。対して彼女はちょっとしたことでも悩み、時間がかかる。僕は逆にそれならそれで合わせればいいと思っていたが、彼女にとってはそれが重荷に感じていたのだと思う。そういう性格だから惹かれたのである。
 
 だが、もう時間は迫っていた。
 最後のデート、楽しく話していたはずの帰り道、既に予兆はあった。
 毎回最後に次のデートの約束をする、相手は用意していたかのように日にちを指定する、場所は俺が決める。そういう流れだった。
 でも、その日は少しスマホを手に持ち、若干困った素振りを見せながら「シフトが決まってから連絡するね」とだけ言われた。
 彼女は正社員、シフトはない。全てを理解した。
 帰り道、彼女の方からいつものように話題を振ってくれた。でも彼女は泣いていた。多分、人生で最初に振る覚悟をしたのだ。今日が最後だと分かっていたのだと思う。
 家に帰った後、いつものようにお礼のラインをした。もう既にわかっていたのだが、一応スタンプをプレゼントしてみると、「すでにこのスタンプを持っているためプレゼントできません」の文字。

 相手との居心地の良さあったが、やっぱり、二人の間では生きてきた経験が違った。しかも遅い方が合わせるようなパターンで、遅い方は彼女だった。負担が大きかったのだと思う。特に恋愛経験のない彼女にとって、距離の詰め方の早さが悪かった。僕の中ではそんなに焦ったつもりはなかったが、相手にとっては性急だったようだ。
 最初はほとんど自分のせいだとも思った。大して顔もよくないのに無駄に恋愛経験があって、女性と話せる僕は非常に中途半端なのだ。逆に一度も恋愛経験がなくて、距離を詰めるのが怖いぐらいならもっと上手くいったかもしれない。でもそうしたら、逆に彼女とここまでコミュニケーションをとって近寄れなかったかもしれない。
 そう考えると、やはりこれは「運命」だったのだと思う。何故なら、恋愛する以上はその距離を詰める必要があるわけで、いつかは許容しなければならない。だから、僕という男性との接触を含めて彼女の経験が積み重なって、どこかで距離を詰められる許容量が増えて、いつか誰かと幸せに結婚するのだと思う。
 だからこそ、言いたい。出会いにありがとう。僕は今この年になって、「運命」というものの存在を把握した。そして今まで僕は「運命」を自分の手でつかみ切れてなかったことがよくわかった。初恋の相手に告白できなかったこと、彼女がいたのに東京から帰ってしまったこと、姉さんへの告白が遅かったこと、どれも「運命」はあったのだ。だが、それを僕は「引き寄せなかった」のだ。
 故に、大変うさんくさいセリフではあるが、こう言いたい。「出会ってくれて、本当にありがとう」。非常に良い勉強となった。


 
 

 

急にイスラエルとかウクライナで思うことを書く

 いつもテレビで見るウクライナとかイスラエルの話。
 どうも日本という国はアメリカ寄りではあるので、善悪が本当に謎ではある。非常にバランスが良くない。
 
 例えば、ウクライナの戦争。もちろん、ロシアが始めたのは悪い。
 でも元はと言えば、NATOウクライナが加盟するとかでロシアを煽ったことから始まったことで、アメリカとゼレンスキーも悪い。
 ロシアにしてみれば、首都に直接核ミサイルを打てる位置がアメリカ寄りになれば、怖いのは当たり前である。結果としてロシアもウクライナも多くの人が死んでいるわけで、完全な政治の失敗、外交の失敗である。
 
 鈴木宗男が勝手にロシアに行って、日本維新の会を除名されたこともそうだ。
 冷静に考えてみれば彼の地元の北海道はロシアの目の前にあって、もし戦争が始まればとりあえず北海道に戦車と戦闘機が乗り込んでくるわけである。こうやって見ると、イカれた戦争擁護の親露派というよりは、一種の合理性が感じられてくる。
 本土の関西人にはなかなか理解し難いこともあり、除名されてしまったわけだが、恐らく彼は次回も選挙は当選するんだろうと思う。

 まぁ、そんなわけでイスラエルも相当やっている。
 元々アラブ人が普通に暮らしていたのに、あの場に国を持たないユダヤ教徒がやってきて、勝手にユダヤ人だと名乗り、勝手にユダヤ人の国を作ったのである。
 しかも入ってきてそうそう、欧米の金と技術を使って戦車を走らせて一気に占領したわけである。中東戦争が終わったあとも入植という名目で徐々にパレスチナの面積は減っている状況下、パレスチナの先住民から見たらどう思うのだろうか?と考えてみてほしい。
 例えば、急に日本の大阪あたりに、チベット人がやってきて建国を宣言し、中国が大量に兵器を持ってきてそのあと日本の大半を占領して、関東と沖縄だけが日本となったら・・・?
 ここは歴史的にチベット人の国だと急に主張し、それに抵抗したら独裁者だ、ヒトラーだ!などと言われ、挙句海上封鎖をされて物資の移動が難しくなったら、どう思うだろうか?実際にそういうことがイスラエルでは行われているのである。
 ユダヤ人の国が欲しいとの主張はわからないでもないが、それにしたって残りのパレスチナ人を全員殺す勢いで戦車を走らせているのは、やはりやりすぎである。
 
 どうも最近はこうした国際情勢のバランス感をテレビやネットからとるのは難しくなっている。テレビもそうだが、ネットもよくよく考えればウインドウズとグーグルなんてアメリカ企業だから、西寄りになりがちである。
 日本はウクライナの様にやり方を間違えないようにしていただきたいものである、今の絶妙な中国との関係が、ギリギリで平和を維持できていることをしっかりと理解して短絡的な煽りはやめてほしいものである。
 
 

死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか

 とあるカフェ。僕は紅茶とともに甘ったるいクリームだらけのケーキを頬張る。反対側には女性が一人。質素な風貌をしている彼女はパンケーキを食べていた。
 二人は沈黙の中でひたすら食べ続けていた。
    「結婚って何するんだろうね」
 そう僕は尋ねた。彼女はこう答える。
 「うーん、あんまり考えてないかもしれない」
 「家事とか普段やる?」
 「ずっと家だから、たまにやるぐらいかなぁ。うひょーくんは?」
 「僕は学生時代、ちょっとだけやったかな」
 自分の家が大変なゴミ屋敷であったことを濁しながら、答えた。
 そのあとまた沈黙が続く・・・。僕自身は色々なことを考えていた。将来のこと、ずっと続いていくであろう人生のことを。
 初めに出会った時、質素で純粋な形をとっていた彼女に不思議な感覚を覚えた。あらゆる人間は不満とか欲の影を落としているのだが、彼女にはなかった。
 不思議な空気につられて、気づけば二回目、三回目と会っていた。彼女はよく遅刻をした。大概5分ぐらい遅刻してくるのである。毎回申し訳なさそうにしているので、僕も何となく怒るとかはなく、受け流していた。
 何回か会っているうちに、相手がほとんど男性と話したことがないことを知った。思い当たる節はいくつかあった。少し手を触れただけでびっくりしたような反応をしたり、目を合わせるのも苦手そうだった。笑顔も作り笑いが多かった。
 彼女にとってはそれがコンプレックスだった。だから、いつも僕に気を遣っている。距離を縮めるのに時間がかかるのがいやだったら言ってね、と何度も言われた。
 僕にとってはその新鮮な反応が、胸をドキドキさせるものであった。
 日帰りの旅行には何回か行った。ほとんど僕が決めていて、彼女から異論が来ることはなかった。歩くのが好きな僕に合わせていたのか、気づけば彼女はスニーカーを履いていた。人混みがあると、都会に揉まれていた僕はずんずん進む。でも、彼女はぶつかる前に必ず自分から避ける。だから、よくはぐれてしまいそうになることがあった。
 それでも彼女は僕に一生懸命合わせてくれた。途中からはどこに行きたいとか、そういう提案もしてくれるようになった。最初に会った時よりもオシャレをしてくるようにもなった。
 ただ、僕が結婚に関わる話を振ると、ちょっと考えさせてほしい、と言われることが多かった。決まって彼女は顎に手を当てて悩んでいた。

 そんな日々が続く中、ふと我に返った。果たして彼女と結婚生活が送れるのか?彼女といると、何でもよくなって心が軽くなったのだが、結婚して何でもいいわけでもないだろう、と思った。更に考えた。この先全ての選択が僕に委ねられるのだろうか?
 今でも真面目な話をすると真剣には考えてくれるが、僕が投げかけなければそれは始まらない。何かをするたびに僕が中心になって物事が進む。中心?いや、主体と言った方が正しいだろうか、そこに二人という概念はない。
 夏目漱石の「行人」を思い出した。僕の様に余計なことをたくさん考える夫と、夫に静かに寄り添う妻との悩みを描き出した小説である。この子と結婚したらそうなるんじゃないだろうか・・・?
 ぐるぐると考えが渦巻きながら、一週間を過ごした僕は今、目の前の彼女に目を移した。僕の異様な空気に流石の彼女も気づいたようである。僕は尋ねた。
 「本当に結婚できるんかなぁ・・・。今後何かあった時に、本当に一緒になって考えてくれる?困ったときはどんなことがあっても逃げられないし、二人で考えないといけない。僕一人だけじゃ限界があると思う」
 彼女は、ちょっと考えさせてほしい、と顎に手を当てて悩み始めた。
 手持ち無沙汰であった僕はもうほとんど残っていない紅茶をすすったり、皿についたケーキの欠片を食べ始めた。沈黙が続く。
 なんともなしに外を眺めたり、彼女をちらっと見たりしたが、ずっと沈黙を続けていた。あちらも色んな所を見ながら考えているようだった。
 日は暮れつつあった。西日が店の中を赤く照らし始めたころ、彼女から、一回家に帰って考える、と告げられた。
  駐車場に行って帰る時に、彼女からお菓子をもらった。前回のデートで奢ったことのお礼である。互いにもう察していた。初めて会った時の強張った笑顔とともに、「またね」と一言。二人は帰路についた。
 その後、ラインでやっぱり一緒に考えたり、支えたりは出来ない、だから別れようといった文面が流れてきた。僕は引き止めることなく、付き合ってきた日々に感謝というような形式的なラインを返信した。
 ふと、急に彼女の悲しげな顔が浮かんだ。罪悪感だったのだろうか?それとも喪失感なのだろうか?もう一度ラインを送った。恋愛としては楽しかったけど、結婚生活は出来ないと思っただけで、男性との話した経験が少ないからダメだったということではない、という内容である。
 僕はあの純粋な彼女にトラウマを残すようなことはしたくなかった。だからコンプレックスを感じさせないようにフォローをしたつもりだった。
 ところがその文章を作った頃には前の文章から10分以上経っていた。既読はつかない。そう、ブロックされていたのである。
 こうして私の罪悪感は宙に浮いたまま夜を迎える。ニコ生で1人ぶつぶつ懺悔しながら、後悔を抱いて眠る。昔彼女にフラれた時に、「これからも仲良くしようね」と言われたのを思い出した。あの時はふっておいて何言ってんじゃボケ、とバイト先でグチグチ高校生に言っていたのだが、ようやく彼女の気持ちがわかった。
 人間とは不思議なものである。あのまま続けていても、絶対に上手く行かなかっただろうと思う一方で、最後の悲しげな顔が脳裏に沁みつき、もしかしたら上手くいく方法があったんじゃないか、僕の心が狭かったんじゃないか、とも考えてしまっている。
 かれこれ5年前の僕だったら大喜びで付き合って何も考えずに結婚していたと思うが、今や複雑に余計なことを考えて色んなハードルが出来ている。今や本当に結婚できる、と思える人に会えるのか、と疑問にも思う。偏屈に凝り固まった僕は純粋な女性を傷つけて、また次に向かっていく。
 さっきお礼にもらったお菓子。夜ご飯も食べて満腹だったが、見るたびに罪悪感を感じるのも嫌だと、吐き気を催しながら、口に頬張りながらこのブログを書いている。
 
    

なろう小説

 自由に書きたい!ユートピアだ!と言っても、やっぱり、どうも、なろう小説はさすがに書きたいと思わないのである。
 実は今日、本当に書いてみようと思って、参考にすべくなろうで上位の話を読んだ。そこで私は本当に驚かされた。
 昔のなろう小説は、低学歴弱者オタクが書いたような文章だった。ところが、そんな黎明期も今や熟しており、相応に鍛錬を積んだ人間が書いたであろうというレベルだったのだ。
 気にくわないところがあるとすれば、登場人物が全てカタカナで変な貴族やら王族やらの説明が長く、背中がかゆくなることだが、本当に些細なこと。文章の構成がしっかりしていて、恐らく一回大量に設定を書きだしたあとに、整理・配置をしたであろう跡が見られる。
 読者諸君は文章を書くだろうか?
 本気で伝えたいことを書こうとする時に最も重要なのは、語彙力とか文法とかの所謂丸暗記の知識ではない。いかに内容を配置するかである。過去に何度も語っている三島由紀夫の文章は配置がとにかく天才なのだ。小説の最初のくだりなどは、はっきり言って三島由紀夫本人の自己満足の世界で、あぁ長いなと言うことが多いのだが、彼はその中に終盤への何かを散りばめている。
 とか言ってるとまた三島由紀夫の話になって、本当にどうしようもない。急にトラックに引かれて異世界に行って、また今ここに戻ってブログを書いている、そんな話をしようと思う。
 私ことうひょーは当然のこと本名ではない。だが、オンラインゲームではよくこの名前を使っていて、私を表す言葉として体に馴染んでいることは確かである。
 そんな私、うひょーは退屈する癖があって、何でもかんでも手を出しては大概数か月で飽きてしまう。人付き合いにしてもそんな感じで、ちょっと頭のネジが飛んでいないと飽きるので長続きしない、現代の生み出した退屈人間なのである。
  PCで動画を眺めながらゲームをやっている日常。彼の退屈は急にある行動に駆り立てた。「そうだ、散歩しよう!」と、思い立ったが即座に行動に移すところが彼の取柄。

 眠いので次行きます。

筋トレ

 筋トレをしていると、急に体中がみなぎった感覚がする。ダンベルの重さは私の体を痛めつける、その瞬間だけは筋肉が急激に増えている気がするのである。ダンベルは徐々に重さを増していき、そばを食べ始める。

 どんべえも今やきつねと天ぷらだけではない。鴨もあればあさりだしもある。カップ麺ばりのラインナップであるが、まぁあんまり食べる気にはならない。あのジャンキーな蕎麦の味は高級店にはないものでございますけども、まるで大蛇が体を締め付けるような空虚なものが頭を殴ったようにうろうろとしてる。
 そんな世界中の人間が囲まれている感覚を目で、耳で、感じながら、ふと空を見上げて歩いていると、日の光はついに体の全細胞を奮い立たせ、複雑な体の連関、脳の絡み合った妙な世界を開放させてくれるのである。

 ルイヴィトンのブランドショップの入り口は誰もおらず、中をのぞくことは難しく、妙に入りづらい空気がある。そこに急に走りこんでいって、「一番高いのください!」と大声で叫び、怪訝な顔をした店員が、一応の丁寧な接客をするのを振り切ってカバンの中から1万円札が100枚の束をドン!っと机の上に置く。と、同時にさっき買ったばかりのどん兵衛を地べたに座ってむさぼり食いながら、あぁこういう貧しい味がうめえんだ・・・と涙を流しながら、買ったばかりのカバンに汁を飛ばし醬油とだしでコーティング。

 こんな人生を送っているうちに目まぐるしく画面は変わり、やったこともあったことも忘れて気づけば城の前。私の別荘。時価三億万ガリー。自然と湧き出るビルの中から引っ張り出したコンクリの、模様は世間の木阿弥か。耳は不思議とついている。光は勝手に入ってくる。ヒッグス粒子の埋もれた、監獄の中でそばを食う。

 山を登り、スライム倒してレベル上げするわけでございまして、何をするにもプチプチと感じるのは上手くいかない怒りだけ。狭き門で弓を持ち、打ってみたいなと思って触ってみたけど、筋トレ足りず、引くことすら出来ぬ。やい!やい!と躍起になって引っ張ってみたら、伸びたのは体の筋。切れて痛めるかぼそき筋肉。増えていた気がしたのは自信だけ、勇者になれない引きこもり。

 急にチートを思いついた!時間を止めるチート!!!!!だから何だというまいな、止めたらどうするだろう・・・君はそう考えたことないだろうか。嗚呼、考えたところで全く何の意味もないのに妙に現実的なことを考える。パンツを盗んだあとにどこへ行こうか、最初に監視カメラに写ったら、逃げたって急に人が消えて怪しまれる。そもそも時間ってどれだけ止められるんだ?なんてな!(笑)

 永遠の時間を生きるべきか、ちゃんと死というゴールを得るか、これは大変な問題です。永遠というは果たしてどこを指すのか、そもそも宇宙は永遠なのか、宇宙のあと何が残るか知らないがずっと存在し続けるとは何なのか、それはそれで恐ろしいことだが、逆にそんな無限の時の中で一瞬で真っ暗に消滅する自分の恐ろしさ。これはこれで恐ろしい。人は皆途中で死んだ方がいい!長く生きたって仕方ない、などというがそんなのは逆張りです。それならそうで今やってるまともな仕事を全部かなぐり捨てて急に路上ライブだけで食べて行ったらいい。ルイヴィトンの店に走りこんで大声で万札を使いまくったらいい。異世界に行くためにトラックに引かれに行ったらいい!!!

 「休みの日は何をしてますか?」と尋ねたら、「うーん家事とかしてます」と言われた時の恐怖!もう今にでも逃げ出したいが、困った困ったすぐに帰ってはいけない空気。「家事って犯罪じゃないですか!火事だけにw」といった矢先には、相手からくる冷たい目線。だってしょうがないじゃないか、君がくそつまらないことをいったんだよ。ってケーキとフォークで黒ひげ一発をしていきたい。海が見えると思いきや、なぜか追いかけられている。何に追いかけられているのかわからない、わからないけど逃げていて、何故かそのまま空を飛ぶ。空を飛んだはいいものの、降り方さっぱりわからない。ずっと平行に走ってて下り坂を進めば、どんどん地面から離れてく。急いで高台探してみると何故か一生下り坂。浮いては浮いて、降りられない。なのにずっと追いかけられる。恐ろしき闇の魔法。

 何も知らされず流れに任せていくのが良いのである。流されるな!などと安直なことをいうやつに限って実は一番流されている。流されないようにってそんな理論振りかざしたって永劫回帰はやってくる。中を飛び回る九官鳥が餌を捜して食いつくす。そんな夢を見た。


 

お年寄りのオスカー賞

 冷房の効いた部屋で黙々と仕事をする男性。外は明るく、日の光がブラインドの隙間から差し込んでいる事務所。30人ぐらいの同僚とともに彼はPCに向かっている。
 50歳を超えた彼には役職があり、席は部屋の奥、PC越しに部下を見渡せる位置にある。その机の上には書類が無数に積まれており、隣の机にも乱雑に書類が並んでいる。
 ふと、スマホが鳴る。1コール、2コール、3コール、4コール・・・。7コールぐらい鳴っただろうか、彼は電話をとった。急に息が荒くなり、
「忙しくてごめんなさい」
 と、喫煙者特有の低い、少し濁った声がため息交じりの声があふれ出る。話し方からして、どうやら別の部署の人間からのようだ。
「はい」「えぇ」「はい・・・」
 話している間ずっと息も絶え絶え、頭をふらふらさせながら話す様子は今にも倒れてしまいそうである。
「はぁ」「へぇ」「そうです」
 口から漏れ出る息と声が混ざり合い、結核の患者のようである。
 それでも尚、続く電話。何を話しているのかは聞き取れない。相手は特に声を張り上げておらず、怒っている様子はない・・・。
 「はい」「はい・・・」
 意外と長く続いてはいる。今にも倒れて救急車に運ばれそうな雰囲気である。咳も聞こえてくる。これはパワハラなのだろうか・・・?
「いや、もう忙しすぎてめちゃくちゃで頭いっぱいなんです。わんこそばを一生口につっこまれているようなんです」
 さすがに電話相手も気を遣ったようで、様子を尋ねたようである。
 とはいえ、まだ用件は終わっていないようで、話は続く。男は息も絶え絶え、たまにゴホッゴホッと咳も挟んでいる。
 相槌が続き、20分ぐらいしたころに電話を終えた男。周りにもよく聞こえるようなため息をついて、頭をふらふらとさせる。多忙な彼は次の仕事があるので、一生懸命とりかかる・・・。と思いきや、静かに周りに聞こえる大きなため息をつき、座っている。
ひたすら座っている。そうしているうちに、急に席を外し、外へ煙草を吸いに行った。
 15分後、彼は席に戻った。相変わらず、机の上は書類で埋め尽くされたままである。「うーん、もう病みそうだ・・・」とぶつぶつ呟きながら、頭を抱える男。
 そうしている間にも刻々と時間が進む。周りでは同僚や部下が黙々と仕事こなしており、男に承認を求めて回覧していくので、更に書類が積まれていく。ずんずんと積まれていく書類たち。最初は皆、バランスを気にして置く位置を変えたりしていたが、徐々に気にしなくなってきて、今やぐちゃぐちゃである。
 更に10分経ったとき、男は席を立って休憩室へ行った。冷蔵庫にあるお茶を飲みながら、ため息をつく。
 ふと、部下が通りかかったのを見かけて捕まえてこう言う。
 「もうパンパンで無理だわ・・・。限界だ・・・」
 それに対し、「いやぁ大変ですねぇハハハ・・・。私も忙しいです」と返すのを逃さずとらえて、
 「それにしては君は淡々と仕事をこなしててすごいねぇ」
 とほめ始める。「いやぁそんなことはないです」と謙遜する部下。
 「いやいや、すごいよ、僕はもう年だからねぇ、結構大変なんだ・・・」
 そこから、役職者としての責任の重さを語り、量を語り、今にも死にそうな表情をしながら愚痴を話し続ける男。いつまでも続くと困るので、部下は上手く切り上げて仕事に戻った。
 その姿を見送った後、男はトイレに入っていく。ドアをあけて便器に座り、宙を見つめる。そうしているうちに、気になったことがあったのでスマホを開いて調べ物を始めた。調べているうちに飽きてきたので、水だけを流し、汚くもない手を洗って、席に戻った。
 気づけば16時すぎ。戻ってくると少し机が奇麗になっている。誰かが代わりに仕事をしたのだろうか?心の中でにやりとした。
 戻った上司をつかまえて相談する部下が一人。
 それに対して、神妙な顔をして腕を組み、「うーん・・・そうだなぁ・・・」沈黙が続く。大変悩んでいるような様子で、腕を組んでいる。ついにしびれを切らした部下は「またちょっと後で相談します」と一言告げて去っていった。
 さて、相談事が終わった男はようやくPCに向かって仕事を始めた。黙々と集中し始めたようである。16時半を回った頃、机の中をゴソゴソと探す男。出てきたのは、飴とお茶である。
 「いやぁ、今日も大変だった・・・」
 そう言いながら、飴を部下に配りながら笑顔で話し始める、こんなルーティンに最初は周りも心配していたが、今や誰も見向きもしない。ただ愛想笑いを浮かべるのみ。
 彼の人生は老後に向けて緩やかに進んでいた・・・。