うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

生きる速度を落とす

 生きる速度を落とす必要があるのだと思う。
 僕は異様なぐらいせっかちである。例えばこのタイピング。寿司打で言ったらほぼ無敗の速度である。
 なので、今は力を抜いて、文字を、キーボードをみながらじっくり打っている。
 その割にゴールも中途半端。大きなゴールが設定できない。愚かしきことである。
 異様なほど人生を駆け抜けたが、この早さに誰もついてこれないのである。長所のような口ぶりだが、そうではない。そうではないのだ。人がみな思うであろうこと、感じるもの、それを全て抜き去っているのである。楽しむとかいう感情がない。
 いや、あるにはある。何か、新しいことができたときだ。だが、逆にいえばそれしかない。例えば、自然を楽しむなんてことがない。これこそが僕の異分子たる所以、変人たる所以なのだと思う。結果に拘り続け、逆にいえば結果以外はあまり見てこない。普通の人間の日常など僕にはないのである。


 こうして反省をした気になっても、結局毎日続けることはない。と、言うのがまだ懲りないところで、人は皆近づきがたいのだ。明らかに普通の人が出来ることが僕には出来ない、この原因も結局はこのせっかちさに集まってくる。
 ところが、結果のみを求めるあまり、ある分野ではそれなりに成果を出してしまうのでプライドだけが高くなる。その点だけ見れば人を小馬鹿にする悪癖まで生まれる。
 本当のところは、世の人はあらゆる面でバランスをとって生きている。多少の短所はあるが、薄めていきている。六角形のようなグラフでいうと、真ん中ぐらいの大きさ。
 僕の場合は、一点だけ針のようにのび、残りは0に近い。そしてその針が突き抜けているかといえば、そうではない。三島由紀夫の様に突き抜けた時には、その針は世を動かす。だが、僕は違う。おかしな人生を送ってきた僕、パラメータの総量は人と変わらないのに、一つに決めてしまった僕。中途半端にパラメータを0にできず、能力を振ってしまった僕。これがどのようになるのかはわからぬ。
 
 恐らくなのだが、小説を書こうとしても書けない、あれだけのとりとめのないことを書き続けることができない、というのも自分がおよそ生活というものをしていないからなのだと思う。あぁこれがすごい、というゴールそのものまでは良いのだが、そこに至るただの日常が不足している。生きることを知らない。
 故にどうしてもエッセイになるか、もしくはファンタジーになる。生活以外の自分の脳の領域に生まれたものが永遠と続くのである。
 ちょうど今書きながら、頭を抱えている。日常とは何か、というのが不明すぎる。どこぞの入水自殺をした男のような感覚になっている。生きづらさを抱え続けている。
   
 何かあれば都度相手に合わせてゆっくりしようなどということは非常に厳しいことは、昨日ブログに書いたとおりである。
 根本的に染みついた速度があるから。遅くしようとしても遅くならない。ナチュラルに生きる速度の速さが出てしまうから。それでも頭はずっと回ってしまう。自分の能力の限界を超えて・・・。
 とりあえず僕のゴミ部屋の掃除だけはしてしまおうと思った。終わり。