うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

小話2

家の中で引き籠ると、苛立ちが体に溜まっている。全身が痺れているような感覚。仕事中は全力で叫んでハンドルを叩いたり、貧乏ゆすりで解消していた。学生時代はニコ生で声を出して、発散していたものである。寝ても治るものではない。だが、外に出たいとも思わない。
 そんな僕はだったが、今日外に連れ出された。以前祖父母に高級な中華料理を奢ったお返しで、両親も一緒に五人でやなへ行くことになったのだ。
 車の中では体中がムズムズしていて、とても話す気にならなかった。小さな橋を渡ると、プレハブの小屋があった。やなである。近くの川は水面が揺れ、日光を複雑に反射させており、気が滅入りそうだった。川で空気が冷やされるので、夏にしては涼しい場所である。体温の感覚が麻痺している僕には肌寒く感じた。
 何人かの男達が鮎の友釣りをしている。下半身を水の中につっこんだ状態で、長い釣り竿を構えていた。「見とれ、餌が泳ぐで、糸が流れに逆らうんや」と祖父から聞いた。
 小屋の壁や屋根はペンキがはがれて錆びており、中は仕切りのない座敷に長机が所狭しと並び、客で一杯だった。二郎よりも汚い。
 こちら側に二人、反対側に三人座った。母を挟んで隣の老夫婦は、対面で座ることすらできず、横に並んで座っていた。その奥には四人家族がいる。子どもたちは鮎を食べながら、複雑な表情をしていた。彼らにはまだ早いようだ。
 最初に出てきたのは甘露煮だった。頭も美味しいと言うので、食べると骨のぐにゃぐにゃした食感が気持ち悪かった。次に刺身が出てきた。今回のコースで一番美味しかった料理である。川魚の中では珍しく、鮎は生臭さがない。食感は程よくコリコリしている。マグロやサーモンのように柔らかいわけでもなく、イカのような硬いわけでもない。
 「わさび少ないな、これ」
 僕の右斜め前に座る、中年の男が文句を言った。角刈りで四角顔。眉は太く、白シャツを着ており、如何にも体育会系といった風貌である。夫婦で来ているらしく、ちょうど僕の隣に妻が座っている。妻の方は黒のカーディガンを着ており、髪は途中からパーマがかかっていた。じろじろ見るわけにもいかず、細かい特徴はわからない。彼女は軽い笑いで夫の不平を受け流していた。僕たちは二人とほぼ同時に座ったので、同じタイミングで料理が運ばれてきていた。
 そんな夫婦の話を盗み聞きする中、こちらは黙々と食べていた。私の親族は、ちょっとした感想以外食事中話さない習慣があるのだ。「美味しいね」と感想を交わす間もなく、次の料理が出てきた。シシャモフライならぬ鮎フライである。ソースをかけて食べたが、元々シシャモフライが嫌いな僕の舌には合わなかった。食べながら、僕は祖父の上の注意書きに気づいた。「混雑時は一時間以内にお帰りください」と書いてある。それで早いのか、と思った矢先、
 「本当にここはせわしいな」
 またしてもおっさんである。今回も奥さんは静かに笑って受け流した。
 フライを食べ終わらないうちに、塩焼きが出てきた。二番目に美味しい料理だった。久しぶりで鮎の骨の抜き方を忘れていたので、母に教わった。箸でほぐした後尻尾を取ってから、首のあたりの肉を切って骨を掴んで真っすぐ引っ張る。最初は骨だけしか取れなかったが、二匹目は内臓も一緒に奇麗に抜けた。そんな小さな感動も束の間、
 「家で食った方がうめえな」
 野太いドブボイスが僕の耳に入る。味覚障害のおじさんである。奥さんが無視すると、
 「急かされんし、静かにゆっくり食べ方がうまいわ」
 と続けた。奥さんは食べるのに夢中なふりをして、答えなかった。
 気にしていてもしょうがないので、塩焼きを味わう。甘露煮やフライよりも魚自体の味が感じられて美味しかった。やはり魚は塩焼きに限る。
 次の田楽はそこまで美味しくなかった。茹でた鮎に味噌が塗ってあるだけで味が薄い。豆腐と違って、魚でやるとパサパサした食感だけが残ってしまって味気ない感じが残っていた。
 「ここは監獄みたいやな」
 汚い声が聞こえた。さすがに驚いたのか、奥さんは「え?」とだけ答えた。
 「いや、入り口からたくさん人を放り込んで、せかして、追い出して」
 こんな人間がどうやって社会人をやっているのか不思議である。それとも長年連れ添いすぎて、全く気を遣わなくなったのだろうか。奥さんは食べることで受け流したのだが、
 「たくさん溜まってきたな」
 と言い出した。
 「本当にここはせわしいなぁ」
 「忙しいんやね」
 ついに反論が出た。
 「いやいや、せわしいよ」
 「忙しい」
 「せわしい」
 「忙しい」
 「せわしい」
 「忙しい」
 最終的には奥さんが粘り勝ちしたのを聞いて、僕は内心喜んだ。
 締めは雑炊である。出汁がしっかり利いており、醤油などをかけなくても十分だった。
 こうしてやなの鮎コースは終わった。合計9匹6品である。一応岐阜名物なのだが、鮎をここまで食べようと思う人間は珍しいので、地元客だらけである。
 会計は僕たちが先だったので、夫婦のその後を見ることはできなかった。奥さんだけが一方的に気を遣う状況で大変そうだった。熟年離婚はこんな小さな負担が積もった結果なのかもしれない。などと考えつつ、反面教師にして僕も頑張っていこうと思う。