うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

クロード=レヴィストロース「野生の思考」第三回 名前のお話

どうもこんにちは、僕です。
この著作の最も重要な点に入っていこうと思います。
重要な点といっても、僕が最後まで読んで最も感銘を受けたところですね。
みなさんも読んでて思いませんでしたか?科学的思考と呪術的思考の対比とか、トーテミズムがどういう構造とか、正直どうでもいいじゃないですか^^

でもまだちょっと続きます。トーテミズムの話。
前回、自然を使って人間社会の集団を分割するという話を書きました。婚姻交換の話もしました。最後に出てくるのが名前の理論。
トーテミズムの中には、禁忌がいくつもあって、前回は食物禁忌なんかも書きました。名前にも禁忌がありまして、死んだ人間の名前を口に出してはいけないルールです。また、その名前に似ている言葉もダメになります。
例えば、うひょーさんが死んだら、うひゃーって言葉もダメになります。
そうすると、当然の帰結として言葉が足りなくなります。だってそうでしょ?人が死ぬたびに行っちゃいけない言葉が出てきたらもうつける名前なんてなくなっちゃうよ!
じゃあその言葉はどうやって作ってるのか?というのがレヴィストロースの着眼点なのです。
正解だけいうとですね、死んだ人の名前である固有名詞は使えなくなるのですが、そのついでに普通名詞も一緒に使えなくなるわけなんですけど、その言葉が今度意味を持たない言葉として、儀式のための神聖な言葉に再利用されるんです。
そして、神聖な言葉として使い古されていくと、みんなの記憶から消えていきますから、消えたころに、またその言葉は固有名詞として、名前につけられる言葉として戻ってくるのです。しかも、死んだというのは縁起が悪いですけど、神聖な言葉から名前をとるなんて、すごく縁起いいでしょ?
こうやって、言葉が循環して元の場所に戻ってくる体系ができてるわけなんですね。
さて、もう一方の名前の方法として、名前を席のようにする方法があります。
例えば100個の名前があったとして、101人目の子どもが生まれた場合、その子には名前がつけられずに、誰か年寄りが死んだらその名前を引き継ぐというのです。

はい、それではなぜ僕が最初に興味ないとか言った民族の話を持ち出したのかといいますとですね、これこそが共時態的社会構造の代表例だからです。
共時態とは何か?ある一定の時間における構造のことです。
特に二番目の例なんかは共時態を維持するように動いているのわかりますか?全く同じ環境を維持するようにしてるんです。そうすることで、生きるリスクを減らして社会で安定的に生きていく術を身に着けてるんです。
一つ目の例でも、やっぱり同じ名前がいつまでも戻ってくるようになってて、進歩とは程遠いですよね。

こうして社会の中で一定の状態を保つ循環が、存在しているんですね。
さて、もう一回トーテムの話に戻りますけど、実はこの制度自体も一定の状態を保つことを前提としているんです。
鳩だとか鷹だとか言いましたけど、本来トーテムというのはある程度の分け方があって、一つは対立的関係にあります。
空と地みたいな関係ですね。
そうすると、空と地のトーテムの中で片方が消えたら整合性がとれないんですよ。区別できなくなっちゃうでしょ?
じゃあ、どうしているかというと、例えば空が消えたら、地のトーテムが二つに分かれるんです。例えば土と草とかにね。
そうするとさらに困っちゃうのが神話との関係です。
そもそも、トーテムっていうのは本来先祖の神話から来てるわけで、空が消えるのはまだしも、土と草の神話どうすんの?ってことなんです。だって現実的な人間的な要請によって分かれたんだから、神話性なんてないし、トーテムの意味も全くなくなっちゃうわけでしょ?

そこで、出てくる方法は二つ。一つはそもそも人口があんまり変わらないようにするやり方。ある程度は婚姻交換や名前の制度で抑えられるんですが、そうじゃない場合は困る。
そこで二つ目に現れるのが、儀式なのです。
トーテムの柱となる存在を霊のような何かにして、儀式で増やしたり減らしたりするんです。
例えば、土と草の場合、土と草の精霊を降霊術みたいに呼び出して、新たなトーテムを作り出すというのです。こうすれば数の調節は簡単でしょ?儀式は無駄に見えて、実は高度な社会調節機能をもっているんです。

こうして通時態、すなわち歴史という存在を徹底的に排除していくのが野生の思考なのです。