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つまりそういうこと

クロード=レヴィストロース「野生の思考」 第二回 トーテミズムについて

トーテミズムとは何か?
ある動植物を集団の記号として用いる、いわゆる未開人の文化のことです。
具体的には
一つの部族の中に鷹、鳩、肉のトーテムがあって、それぞれが別の社会集団を構成しているわけですね。ほら、ラインとかでグループ作るでしょ?あんな感じ。
そこで、まず出てくるのが食物禁忌という考え方。
例えば、鳩に属する蛮族ウヒョーは生まれた瞬間から鳩を食べられないって話ですよ。これだけ見ると、鳩はトーテム集団の先祖だし食べるのはまずいでしょ!っていうような習慣になるように思われるんだけど、現実のトーテムはもう少し複雑なんです。
それというのも、鳩の肉は食べてはダメ、すなわち同化は許されないんだけど、例えば羽とか嘴は自分のものとして身に着けていいんです。
つまり、鳩の中でも肉だけは自分の先祖であって、後の残りは人間と鳩との差異性を埋めるための手段として使われるんです。

はい、次。
結婚制度には外婚制と内婚制があります。現代で一般的なのは外婚制で、内婚制ってのは要は近親相姦ですわ。
ところで、社会集団の維持にあたって必要なのは、まずやっぱり物々交換なんですよ。一つの社会ですべてのものを賄うなんてことはそう簡単にいくもんじゃない。だから経済なんてものがあるわけでしてね。
そこではっきりと社会集団を分けているたくさんの社会を、外婚、内婚の二つに分けてみると、トーテムとカーストの対比になります。
カーストってのは職業に基づいた社会集団のことですね、基本的には職業の技術を他人に与えないために近親相姦する結婚制度、つまり内婚制をとっています。その代わり、技術を物々交換して全体的な社会を構成しているわけです。
一方で、トーテミズムに関しては僕らの世界と同じ外婚制をとります。
でもよく考えてみてください、カーストもトーテムも同じ社会集団でしょ?どうしてトーテムは外婚制が許されて、カーストは許されないんでしょうか?
むしろ厳密にトーテムを守るのであれば、内婚でやっていくしかないでしょう?という話になるわけです。
ここで持ち出されるのが婚姻交換という考え方。トーテムにおける女性は、カースト制度でいう技術というモノにあたるというのです。それによって、社会の間の関係を成り立たせているんです。
カーストに関しては、技術そのものが社会集団ですから、女性=文化であり、カーストごとに特別な違いが出てきて、外婚は社会集団の破壊につながってしまうわけです。ところが、トーテミズムに関しては女性ってのは全部同じ人間で、あくまでも共通の祖先を祭っているだけなので、むしろ全然OKなんです。トーテムっていうのは、人間と自然を全く別のものとしたうえで、自然界の差異を人間に取り込んだものなので、本質的に人間とトーテムは別物なんですよ。だから、女をほかのところにプレゼントしようが全く問題ないわけ。
繰り返すけど、カーストはプレゼントするってことは社会集団のアイデンティティそのものを交換することになっちゃうんで、問題だらけなんです。

と、いうわけで次。
全体化と個別化
トーテミズムによって、さまざまな社会が形成されるんだけど、それによって社会集団に無数の分割が生まれてくる。
例えば、全く部族が違っても同じ鳩をトーテムにしている氏族同氏は仲がいいとかっていうことになったりして、いくつもの社会がトーテムそのものの類似性によって結合するわけ。
さらにトーテムにいくつもの意味が神話によってつけられて、その神話的な意味でもほかの社会とくっついていくと。
これが最高度まで達すると、人類皆兄弟って話になっていくんです。

一方個別化。
トーテムの中でも実は分類があって、例えば鳩であれば、この家族は鳩の頭とか、足とか、っていう分類がトーテム集団の中でもあるんです。
それを繰り返していくと、究極には個別化が進むんです。
最初は部位とかから始まるんですけど、「飛ぶ」、「歩く」、「巣を作る」みたいに、鳩が主語の言葉が名前としてつけられてきて、最終的には、例えば「鳩の頭飛ぶ」っていう名前の人ができたりするわけ。もうそこには具体的な意味なんてなくて、ただの記号としての意味があるそういう、ただ分類するだけの構造ができてくるわけです。

はい、疲れた。 次回はもっと手抜きになります。