うひょーくんのブロマガ

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クロード・レヴィストロース「野生の思考」 要約 その1科学と呪術、プリコラージュについて

どうもこんばんは。
ブロマガガイジの僕です。
今回は、クロード・レヴィストロース「野生の思考」の要約です。
前にも火あぶりになったサンタクロースとかいう本を紹介しましたが、今回はもっと難しい専門的な内容となっております。

まず、出てくるのが科学と呪術(オカルト)の話。
この二つは世の中の一般的な感覚として、科学のほうが進歩していて、呪術のほうが遅れていると思っているのではないでしょうか?いや、そうではないというのがレヴィストロースの見解なのです。
科学の思考様式とは何か?これはこうだろう、という体系的な仮説を一度立ててそれを実証していく作業です。そうして、大きな知識の体系の中の空白を一つ一つ埋めていく作業になります。だから、科学の限界は仮説の外にあるものは知識に組み込まれないということです。例えば、亡霊がいるかどうかみたいなことはそもそも仮説の範囲に入らないので知識として認識されないのです。
一方、呪術の思考様式とは何か?世の中のいろんな出来事(雨とか病気とかいろいろ)の要素を全部くっつけて、一つの体系的な知識として構成する思考様式なのです。これは科学の逆なのです。ただ、この場合まったく意味のない事実まで知識の体系に組みこまれてしまいます。それこそ、亡霊がいるということまでくっついてしまうので、結局どこまでが正確な知識なのかよくわからなくなります。
二つを比べると、体系が先か、事実が先かということになります。そして、どちらも自然界の現象を一つの知識として構成する方法であるという点では、どちらが遅れているとか進んでいるとかではない!というのがレヴィストロースの発想です。

さて、科学の仮説が進みすぎると、近眼的になってきてやがて限界が来ます。その時、呪術の思想、つまりなんでもかんでも、起きた出来事を組み合わせてみるという発想が必要となると、レヴィストロースは語っています。例えば、物理学をやっている人間が急に社会学の知識をもってくるとかですね。
さて、呪術的な発想はプリコラージュと呼んでいます。
このプリコラージュがわかりやすいのは、日本料理です。その日とれた新鮮な魚を使っているので、日によって使える食材が変わってきますが、それでも組み合わせて料理を作ります。これがプリコラージュなのです。自然のあるがままの状態を受け入れて、その中で何か整合性のとれたものを作り出すのがプリコラージュ、つまり呪術的発想なのです。
なんども繰り返しますが、科学は逆です。自然のあるがままの状態ではなく、その本質を見極めるため、個別の何かに近寄っていきます。だからこそ、非自然的な特殊な条件の下での仮説を立てることから始まり、一つ一つ実証していくことになるのです。実証してできた知識の総合が、最終的には自然のあるがままの状態になっていくというのが科学なのです。

ちなみに芸術はその間だといわれています。
絵を考えてみたとき、その絵は目の前にある自然のあるがままの状態を、絵として構成しているのでプリコラージュ、つまり呪術的と言えます。ところが、一方で絵には何か訴えたい思想も描く中で、組み込まれていきますので偶然あったものだけでなく自分の思考の中で作られたものを含まれます。つまり、どちらも含んでいるのです。HAHAHAHA。

おやすみなさい。次回はトーテミズムについて解説します。