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つまりそういうこと

クロード・レヴィストロース「火あぶりにされたサンタクロース」読書感想文

どうも僕です。
もはや、小説ではなくなった読書感想文第一回はクロード・レヴィストロースの「火あぶりにされたサンタクロース」です。
一応言っておくと、これはリア充爆発汁wwwwとかいうくっさいノリとは一切関係ない。
サンタクロースを教会が火あぶりにしたっていう記事を見たレヴィストロースが、クリスマスの祭りの起源を分析した本です。
最初になぜ、火あぶりにしたのか?教会による理由の説明が語られます。簡単に言うと、サンタクロースという概念に異教の思想が含まれているからだってことです。ここで疑問が出てくる。イエス・キリストの祭で、聖ニコラウスという聖人のフリをした大人が子どもにプレゼントを配る祭。モミの木やらで飾りつけする祭。どこに異教の要素があるのか?そこで、クリスマスの起源を歴史的に遡って考察が始まる。
まぁその辺りは本筋と関係ないから本読んでくれ。モミの木はイギリスにあって、蝋燭はまた別のところにあってと、ヨーロッパ中のいろんな祭から勝手にくっつけられたのがクリスマスってことなんだ。
で、肝心のサンタクロースの役割に移る。
なぜか唐突にインディアンの祭について語り出すレヴィストロース。彼らの祭の一つに「カチーナ」という悪魔の仮装を大人がやって、子どもを脅す儀式がある。この「カチーナ」は川で無残にも溺死した子どもの霊なんだけど、脅す相手も子どもで悪魔の根源なわけ。
つまり、悪魔に扮した大人が悪魔の根源を脅して押さえつけているわけ。ここに大人と子どもの対立がある。子ども=悪魔の源にも理由がある。昔の子どもは勝手に病気にかかってすぐ死ぬとかが日常茶飯事で、子ども=生と死の境界≒死の象徴として認識されていたんですよ。大人は死の象徴たる子どもを支配することで死を乗り越えようとしたらしい。

さて、クリスマスに戻ってみる。まず、レヴィストロースは季節の移り変わりに注目する。秋から冬にかけて夜が長くなり、昼が短くなるこの現象。これを夜=死の時間が昼=生の時間を蝕んでいく象徴である。秋の始まりのハロウィンでは、子どもがお菓子をくれないといたずらするぞ!と大人を脅しつけ、それに対して大人はお菓子を渡すことで、死と和解するのだ。クリスマスも同じでサンタクロースがプレゼントをあげるのは以上の意味がある。
本来イエス・キリストを祝福してパーティをするはずのクリスマスに、死者に対する賄賂を贈るサンタクロースが入り込んできて、神聖な日を穢している。これがさらに資本主義とマッチングして、俗世的な金の要素が入り込む。
こうして、キリスト教の要素が薄められて死者がこの世に戻ってくるという異教の発想(キリスト教では死者は最後にしか戻ってこない)と、資本主義の要素が混ざったサンタクロースは火あぶりにされた!ということなのだ。
 
こういうのを文化人類学っていうんだっけ?初めての領域だからあんまりしっくりこないわ。これから勉強していきますね^^じゃあな