うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

15日目、最初はコナン、途中から哲学的な話

 朝起きる。朝ごはんは味噌汁とごはん、そして買ってきた500円もするわらび餅。
 むせそうになるほどのきな粉と冷たいわらび餅、そして甘いタレの絶妙なバランスが本当に良い。和菓子にはゼリーとは別の触感で冷たさを活かす仕組みがある。
 わらび餅はその最たるもので、きな粉だけなら口の中の水分が消えてしまうだけけなのだが、みずみずしい餅と混ざることで調和がとれる。
 とか語りすぎるともうよくないので辞めます。
 その後はまたしても何故かオナニーをして、ゲームを少々。
 
 netflix名探偵コナンの映画が見れるということで、ハロウィンの花嫁を見ていた。大体のキャラクターはわかるのだが、急に金髪の公安が出てきてこいつ誰やねん、ってなった。
 高木刑事と佐藤刑事の前で、コナン君がサッカーボール蹴っ飛ばして爆弾を弾くシーンがある。どう見てもこいつ何者だって感じなんだけど、刑事たちは引き続き普通の小僧扱いをし続けるんだろうな、と思うとちょっとにやりとした。
 もう一つ、コナン君がロシア語を話すシーンがある。
 ・・・ん?進一だったとしても、すごくねえか?
 高校生でロシア語って東大生でも出来ませんよ。「体は子ども、頭脳は大人」だからって枠超えてますぜ、さすがに。「大人」でもロシア語読めないし、話せませんよ。
 登場人物のロシア人が「あの子何者!?」というのだが、初めてまともな登場人物が出たなぁ、と思った。

 その後、30歳になってまたしても三島由紀夫の理解が深まる。
 彼の小説では、よく「エロティシズム」たるものが出てくる。
 通常通り考えれば、フェチとか性欲とかそういう話だが、それにしてはやたら語ってくる。「暁の寺」でも似たような話が出てきて、当時22歳ぐらいの僕は全く彼が何を言っているのか分からなかった。
 自分の一生を死ぬ気で燃やすことを強く訴える「奔馬」とか「天人五衰」の方が、当時の僕には深く理解が出来た。

 根源的な「エロティシズム」は、自己に対する自由自在の他者の中に存在する。
 処女が好きとか、純粋な女性が好きというのはオタクとか童貞に多いと言われる特徴ではあるが、その裏側には自由自在の他者という妄想が存在するし、AVもどのようなルートを取るのであれ、特に障害もなくセックスをする。そもそも小説やアニメといった空想には唐突な意識外の否定は存在しえない。どのような話であっても、全て自由自在の他者による劇であり、こうしたものが好まれるのは人の欲望を目の前に顕現させるからである。
 しかし、現実には自己と他者の間にはその関係は存在しない。自由自在な他者など存在せず、自己の「エロティシズム」は容易に破壊される。他方で自己を形成するためには他者の存在は必要不可欠である。無限の自意識の中で「エロティシズム」たるものを培養したとしても、最終的には他者という存在による受容は必要である。それは他者が存在しなければ、自己とは何かという定義自体が存在しえないからだ。
 だからといって無限に「エロティシズム」を抑え、他者との関係に入っていくことは、自己にとって他者が不可能であるとの同じように不可能である。ここに人間が自己という概念を持つ、一つ目の根源的な悲劇がある。
 
 また、二つ目の悲劇は他者を自由自在にするという行為は同時に他者を消滅させることにある。他者が同時に別の自己であるということを前提に自由自在にする「エロティシズム」が存在する。故に性欲の発散たるものは、異性を自由自在にした行為であり、他者の消滅の瞬間である。セックスの前には妙に色んな事を考えてワクワクするのに、結局やってみたらそうでもなかった、あの感覚である。
 そして、無限に増え続ける「エロティシズム」と現実の自己と他者の関係にある矛盾は様々な事件を起こす。ストーカー、テロリスト、その他・・・。
 殺人たる行為は一つの終着点である。自己の力で他者を殺す行為はある意味で、他者の自由を奪う究極の行為である。よって、人が他者を殺すという行為は究極の「エロティシズム」であるが、他方で殺した瞬間に自己を規定する他者を失うという、瞬発的ではあるが究極の矛盾が発生しうるのだ。
 つまり、あらゆる「エロティシズム」は存在するが具現は刹那的である。どれだけ求めても恒常的な何かとなることはないのだ。
 刹那をいかにして形へとどめるか、またその形態を別の他者に認知させることで、事実として具現化させるということに芸術の一つの目的がある。
 故に人の裸と同じく、人の死は人を惹きつける。恐ろしいことだ、あまり見たくない、と言いながらもやむを得ず、見てしまう。人の死は自己の死を想像させるが、他方で自由自在な他者の結果でもあるからだ。
 
 こんなことを一人で考えていたら、また俗世間から離れてしまうなぁと思いつつ、思いついたものは仕方ねえなと思ってかきました。おやすみなさい。