どうも、僕です。
今回は新渡戸稲造の「武士道」について書きます。
この本は1900年に書かれたもので、世界に向けて日本人とは何か?というものを説明する目的で書かれたものです。
当然初版は英語、その後日本語に翻訳されました。何せ世界に向けて書いたものなので、シェイクスピアや旧約・新約聖書、ギリシアやローマの学者の名前がたくさん出てきます。それによって、日本の「ハラキリ」を代表とする「野蛮」とされた文化にも合理性があることを説明しようとしたのです。
そんな決死の努力の甲斐もあって、五千円札に載っていた時もありました。実際のところ、樋口一葉なんかより全然偉大ですね。
さて要約。
第一章は武士道とは何か?ということを外国人向けに説明しています。要は騎士道ってことですよ。
第二章は何から成り立つか?ということです。世界的にみるとキリスト教がその信念となっているわけですが、武士道は神道に仏教に儒教がぐちゃぐちゃになって、実践的な知識のみが組み合わさったものだというのです。稲造曰く、ソクラテスの「知行合一」と同じ原理だってさ!
ここから武士道を為す、様々な要素が列挙されていきます。
まずは「義」。不正なことや裏切りに対する抑止力としてサムライが持つ観念であり、忠臣蔵なんかはまさに義の話。そして、義が「正義の道理」たる「義理」として大衆に受け入れられ、道徳になっているっていう当たり前の話ですね。
「勇」。「義を見てせざるは勇なきなり。」ということで実際にやらなけりゃ意味ないってことですね。
さらに、自分が殺されかけてる状況で平静を装ったり、仇討ちして義を守り潔くいハラキリするのも「勇」なんですね。
ここから発達するのが「仁」。医者ではありません。要は「武士の情け」ってやつよ。武士という軍隊が中心なのに、一般の平民が普通に暮らしていた江戸時代が成立したのは、仁によって無暗に殺したりしないことが武士道だったからですね。
そんな中で、どんな相手でも対等に扱おうとする「礼」が生まれてくる。お前ら茶道やったことあるか?どれだけ歩くとか、どうやってお茶を受け取るとか細かく決められてるんだけど、これが礼儀作法ってやつだわな。稲造はこれを最も効率の良い無駄のない行動であり、他のことをする体力を蓄える方法だっていうんですね。そしてこの礼のためには嘘もつくという日本人の性格が出てきているわけです。
「誠」自分に正直に生きろってことですね。武士に二言はないとかですね、真っすぐに生きろってことです。日本人なら説明するまでもないですね。
そしてここから出てくるのが「名誉」
日本人特有の概念として恥があることを述べています。ある武士に農民が「服にのみついてますよw」と指摘したら、「恥かかせやがって!」ということで殺した逸話など、「恥」の概念によっていろいろな行動が成り立っていることを述べています。
当然こんな風にいちいちキレてたら切り捨てだけじゃ社会は成立しないわけなんですが、日本人のもう一つの恥として、短気は恥、我慢できないのは恥っていうのが出てくるわけですね。
更に正しい時期に正しく死ぬのが名誉なんです。なんでも腹切ればいいってもんじゃないんです。
じゃあいつ名誉のために戦うの?命を捨てるの?その基準は「忠義」となるわけ。赤穂浪士ですわなw
日本人は家庭の人間が馬鹿にされても、特にキレたりしません。それは日本人にとってはダサいのです。でもボスが馬鹿にされるとブチぎれる。これが忠義なんですね。
ということで、まず一回目のようやく終わります。