うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

読書感想文「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

 どうも僕です。

 今回は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の感想文書きます。

 SFでは最高傑作ともいわれるこの作品、ブレードランナーとかいう映画の原作らしい。

 核戦争で核の灰が降りそそぐ地球が舞台。もはやほとんどの人類が核を避けて火星に移住している中でのお話。

 火星を住める星にするために労働用のロボット、アンドロイドが使われていたんですが、たまに主人である人間を殺して地球に逃げてくるのです。

 そんなアンドロイドを殺して懸賞金を稼ぐ、バウンティハンターのリック君が主人公です。特に成果もあげられずぶらぶらしていた矢先、新型アンドロイドを検査で識別しようとしていた同僚のデイヴくんがレーザー銃でぶち抜かれます。後を継ぐのがリック君。アンドロイドを片っ端からぶっ殺すことにします。

 最初はポロコフというアンドロイド。デイヴをぶち抜いた男です。まぁなんだかんだで殺します。

 次がオペラ歌手のアンドロイド。彼女の歌は最高に上手なのでリックは感動します。あぁ~殺すの嫌だなぁ~と思いつつも、アンドロイドと人間を区別するための検査をします。

 この検査は、人間の同情心をテストするもので、人の肉を食べますか?みたいな質問をに対する反応のスピードを見て区別するもの。ところがどっこいテストの途中でグルのアンドロイドに偽物の警察署までしょっぴかれてしまうのです。

 が、まぁ紆余曲折あってそこにいた人間のバウンティハンター、フィルと共謀してボスを殺し、脱出。そしてオペラ歌手はフィルが殺します。その時にリックは妙な違和感を覚えます。

 今まで道具としか思っていなかったアンドロイドを殺してしまったことに、罪悪感を覚えたのです。そして、フィルの躊躇のなさに違和感を感じ、アンドロイドかもしれない、と思います。今度は検査をフィルに実施するのですが、やはり人間でした。

 全く自分を信じられなくなったリックは、自分自身がアンドロイドじゃないかと思い、テストするのですが、やっぱり人間でした。

 そんな途中で放射能で脳みそがやられたピンボケと呼ばれる人間の一人であるイジドアの元に、リックが殺したアンドロイドの仲間たち3人が現れます。

 ようやく出来た仲間に感動して、アンドロイドと知っても、通報せずに匿います。

 この時代の人間は孤独に飢えていたのです。ウィルバー・マーサーという爺さんが石を投げつけられ、怪我をする体験を共有する共感ボックスなるものがあって、皆その機械を使うことで心の穴を埋めているのが普通の状態でした。

 大喜びのイジドアでしたが、アンドロイドは冷たい。紆余曲折あって、アンドロイドが蜘蛛の足を切ってなぶり殺しにする様に耐えられず、逃げだします。

 そんな時にリック君登場。実はこの男、ここに来る前にアンドロイドとセックスしてしまったのです。そして彼女と、今度殺すアンドロイドは同じ型で、俺にはもう無理だ!と追い詰められながらも、ここにやってきたのです。

 まぁなんだかんだで殺して、終わり。

 

というのがこの話です。

 

 正直ね、要約辛いね。頭使いたくないね、稟議でもう限界。

 この作品は、人間の最も基本的な核は、共感であるとしている気がします。蜘蛛のくだりもそうだし、アンドロイドに同情するリックもそう。ウィルバー・マーサーもそうです。

 アダムスミスは人間にはシンパシーを感じる基本的な能力がある、と言いましたが、この作品もそんな感じです。

 これは今の現代にこそ言えることだと思います。今まで知能指数の高さが人間の特権だったのですが、AIが出来た時点で、もはやそんなものはありません。ひらめきがある!判断ができる!と言いますが、これもやはりAIで、できてしまうでしょう。空気を読む、感情を読む、これもAIはできるようになります。新型AIBOは飼い主の表情を読み取って行動を変えるそうですからね。

 それでも残るのは、やはり共感ではないか?というのが作者の話なんですね。

 実は僕も同じような考えに至ったことがあります。ちょっと前、AIが小説を書いたというのがニュースになりました。その時僕は「あぁ、もう人間の時代はおわったんだな」と思ったものです。そのあと粛々とあれこれ考えたのですが、残るのは共感性だけだと思ったのです。

 小説は、その時代に生きる人たちに共感されるか、普遍的に共感されるものが名作となります。はたして、AIにそこまでできるだろうか?と考えました。なぜなら、AIは人間ではないから、その気持ちを体験することができない、と思ったのです。

 真似はできるかもしれないが、本当の意味で共感できるのか?と思ったものです。ただ、これも人間中心の思考から抜け出せない僕の想像力の弱さによるもので、100年後には普通にできている可能性もあります。

 それでも僕は信じたいものです。人間のやるべき仕事が全てなくなって、何もかも特殊性が失われてしまった後でも、共感性だけは人間のものであってほしいと。

終わり。