うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

23日目、イライラと責任

 朝起きると、若干の寝不足。最近夜必ず花粉症で目が覚める。
 ご飯はけんちん汁と米。昨日食べたすた丼のせいか、おならとげっぷが臭い。
 正直ブログ書くのも飽きてきた・・・・。トイレでウンチ。歯磨きをしている間にウンチがしたくなってきて、急に駆け込んだ。体のどこにそんなものがあったのか、というぐらいの大きなウンチである。
 お腹がいっぱいで腸が一杯の日が二日ぐらい続いていた。恐らく、ずっと寝ていたせいだろう。筋トレをしたらよく出た。そしてその筋トレのせいで、上腕三頭筋が筋肉痛である。
 
  今日のめざましテレビはあんまり見ていない。ただ、ゆかちゃんが謎の顔ストレッチで可愛かった。
 職場に到着するもやることなし。無限に歩き続け考える。
 ところでイライラするという行為について考えてみる。カルシウムをとったとはいえ、イライラしかけることがある。この際に、イライラとは根源的に何かと考えるべきだと私は考える。
 イライラするとは何か、皆思い浮かべてほしい。LOLで味方がフィードしてイライラ、遅い車の後ろで走っていてイライラ、飲食店でお腹が減っている中料理が遅くてイライラ・・・。イライラというのは他者が思い通りにならないときに発生する。ところが失恋における他者が思い通りにならないというのとはまた別である。つまり、否定ではない。あくまでも自己の世界の歪みに対するイライラである。
 そうなると、自己の世界を完璧に作っている人間ほど、イライラは激しくなる。客観的に見れば自己中心的ともいえる。しかしながら、自己の世界を作っていないということは裏を返せば自立していないということである。故にしっかりしていない人間ということが出来る。
 と、いう風に話していくとある相関関係が生まれる。自己責任をもって自立している人間はより自己中心的な性格が悪い人間へ、逆に自己責任を持たず、ふわふわ生きている人間は自己中心的ではない性格の良い人間へ、となる。
 果たしてその反比例の中で、自立しながらも自己中心とはならない人間へ止揚することは可能なのだろうか?私はそういう人間を見たことがない。責任を持っている人間は多かれ少なかれ、自分の中の確固たる行動指針を持っており、ずれた何かと遭遇するときには苛烈さの違いこそあれ、周りを壊して進んでいく傾向にある。
  過去にある上司に、年輪を重ねると大丈夫になる、と言われたことがあるが、果たしてその上司もどちらかと言えば責任を持つ人間のタイプであった。だから、普段はニコニコしているのに、ある場面では怒鳴ったりはしないのだが、目の色を変えていた。
 イライライライライライラ。自己の世界を破壊を許容するという行為、そのラインを上手く広げながらイライラしないように曖昧にしていくことは果たして可能だろうか?曖昧にすれば責任が薄くなってしまうという中で、どう生きるべきか、私は人生の選択を迫られている。