うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

うひょー、AIについて語る

最近になってAIが注目を浴びている。AIが将棋や囲碁のプロに勝利したことは誰でも知っているだろう。今やほとんどの企業が次世代の技術革新として位置づけ、研究開発を行っている。ある研究ではAIによって現在の70%の職業はなくなると言う。
 急成長の背景には、元々実現可能な技術だったことが挙げられる。AI研究自体は以前からあった。ただ、大学で行われているような小規模なものだった。それゆえ、表面に出てくることはなかったが、既に技術は蓄積されていたのである。
 そこにやってきたのが巨大資本だ。現代アメリカ最大の企業の一つグーグルがAIに資本を投下したことで、急速に成長力を得たのである。資本主義の強みが前面に出ることで、発展した。
 では、なぜ今まで企業によって開発されてこなかったのか?この点を考えるには、VRの事例がわかりやすい。実はこのVR、1990年代にもゲームに組み込もうという動きがあった。だが、世には出ない。さらに、愛知万博の時点ではほぼ完成形のVRがあったが、これも忘れ去られてしまう。
 歴史がこのように進んだのは、その必要がなかったからだ。1990年代の日本はゲームボーイだの64だのを売っていれば、十分儲かったのである。愛知万博VR動物園に関しても、遊園地は3D眼鏡のアトラクションで十分儲かったのである。現状利益が出ている状況で、無理に投資をする必要がなかった。さらに3年後にはリーマンショックもあって、世界的に開発の機運が失われてしまったのも原因の一つであろう。
 だが、今は違う。ダウは最高値を更新し続けている。完全に景気は回復した。ITの巨大企業も台頭した。そして何よりも今までの商品に客が飽きてしまい、売れなくなった。例えば節約効果で売り出したエコカーは、平均的な燃費が改善されすぎてしまった。新たに燃費を改善する装置をつける費用と、これから節約できるガソリン代が釣り合わなくなってきたのである。新たな需要が必要だった。
 そんなわけで資本主義はAIを生み出したのである。これによって間違いなく、研究職、事務職は消えると言われている。研究はAIが勝手に計算で行うし、事務のような単調な処理は今のAIでも可能だからだ。
 最後まで残るのは人間同士の触れ合いのある営業だ、とも言われている。果たしてそうだろうか?現に今や実店舗はamazonによって消滅しつつあるではないか。冷静に考えれば、営業職もなくなるという考えも十分に正当化できるものだ。
 この考えには人間中心主義という偏見が存在している。現在に至るまで経済の発展とともに資本主義社会となり、神は死に、人の世界になった。200年近くの間で人間至上主義が浸透してきたのである。
 しかし、今やそれは崩れ去ろうとしている。ヒューマニズムは人間に特別な地位を与えてきた。神という不可視の救いよりも、人間という認識できる存在に視点を変えたのだ。その根底には人間としての自負がある。技術を生み出すことで、空を飛び宇宙にまで飛び出したその能力に対する自負だ。その根底を覆すのがAIである。何よりも人間より賢いからだ。
 今や人間という概念は危機に直面している。現代人はAI中心主義に抵抗感を覚えている。AIが暴走したら・・・善悪の概念は・・・などだ。だが、これから生まれてくる子どもたちはそうした抵抗を徐々に覚えなくなってくるだろう。こうして人間は消え去るのだと思う。
 最後に、AIが職を奪い取ったら人間はどうなるのだろうか?ということについて自分の意見を記しておく。もしAIが代わりに働くのであれば、労働という観念も希薄になっていくだろう。貨幣という存在も消えていくはずだ。AIは賃金を必要としないから、対価を払うための手段が必要なくなるからだ。それは資本主義の終焉を意味する。労働のない世界が資本論の先の世界だと僕は思う。だとすれば余計に人は生きる時間を持て余すことになる。空っぽで空虚な生に人は耐えきれるのだろうか?
 発展の先にはもう一度ヒューマニズムが戻ってくるかもしれない。
 終わり^^