うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

「暁の寺」読書感想文

どうも僕です。
正直この話はあんまり面白くなかったですわ。というのも論文みたいな感じになってて小説っぽさがあんまりない。
47歳になった本多が清顕と勲からの転生の記憶を残した、タイの王女ジン・ジャンに会う。そのあと、インドで輪廻転生の虚無を知る。清顕や勲は一回の人生で純粋に行動するというところに一種の喜びがあったわけだが、インドでは生まれ変わりできるとされる川の横で大量に人が死んでいて、輪廻転生があまりに普通のこととして受け入れられている結果、生と死の意味が全てなくなる虚無があった。(と俺は解釈した。)
いろいろあって57歳になった本多は成長したジン・ジャンに会う。ここで、本多はジン・ジャンにエロティシズムを感じる。
このエロティシズムっていうのが厄介で、バタイユの言うエロティシズムらしい。この本読む途中でわからなくなって、勉強しちゃったわ。簡単に言うと、やっちゃダメなことをやるのが一番エロいってこととよ。エロ漫画で近親相姦やら、レイプやら、痴漢やら、寝取りやらがウケるあの感じ。あともう一つのエロさは不在のエロさってやつよ。まんこやおっぱいを完全に露出して歩いてるより、隠れていてその先を想像する方がエロいだろ?あれよ。三島由紀夫に言わせれば、死ってのがその最終的な到達点らしい。
殺すっていう行為、自殺するっていう行為は倫理的に見れば一番ダメなことで、しかも死んだら究極の不在やから、この世にはこれ以上ないエロティシズムなわけよ。そして、もう一つはみるというエロスなんですわ。これ金閣寺にもあったんだけど、当事者ではなくて第三者として客観的に見つめる時のエロティシズム。傍観者としてのエロティシズムがあるわけ。
まぁそんなわけでエロエロ言ってたら、ジンジャンが実はレズで、しかもよく見たら清顕の転生の証であるほくろが見つかって、マジかよぉ!!!って思った矢先に火事で別荘が焼けて、ジンジャンも死んでおしまい。

こういう話でした。何の話かよくわからんだろ?俺もよくわかってないんだ。論文すぎてストーリーなのかもよくわからん。
それより本多がこの年になって覗き趣味に走ったり18の女の子に発情したり、ただの変態になっててちょっと笑えてくるわ。
ということで、最後の四巻天人五衰読んできます。ちなみに、天人五衰っていうのは仏教の話で、輪廻転生で一番きついのは天国だっていう思想です。地獄は死んだあと苦痛を与えられるんだけど、天国に行くと願望はみんな叶えられるんだよ。でも天人にも寿命があって、幸福の先に苦痛が待っていてその落差が最も苦痛だとされているそうだ。
じゃあな。