うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

「奔馬」読書感想文

どうもお久しぶりです。
今回は三島由紀夫豊饒の海」第二巻「奔馬」について語ります。
前回、少し触れたけど今回、本多は38歳になってます。彼は既に裁判官になっていて、上司との付き合いで神社の剣道の観戦に行くことになります。そこで、清顕の家庭教師であった飯沼の息子勲に会って、清顕の生まれ変わりだという事に気づく。少年から「神風連史話」という本をもらって読むと、天皇を中心とした日本を守ろうとする武士が刀一本で、敢えて西洋の武器である銃を使わずに反乱を起こして、最終的に全員腹を切るという内容で、勲も同じように昭和の神風連になりたいと考えます。陸軍の堀中尉に協力を頼んで、同志も12人くらい集めて計画を建てていく。殺す相手は日本の政治を腐らせている権化である金融資本家の蔵原武介を中心とした財界のメンバーで、日付も決まり、唯一のヒロイン要素の槇子に最後の別れをし、ついに決行というところで、何者かの密告によって計画が潰えてしまう。本多は清顕の生まれ変わりという事もあって、絶対に救わなければならないという決意から裁判官をやめて、弁護人になり、飯沼の計画を知る。それは、息子に命を懸けて国を正そうと決起した憂国の士として不自由のない生涯を遅らせるというもので、死ぬと全てが無意味になるから、父が密告して捕まえさせたというのだ。何はともあれ、勲は刑を免れる。そのあと、父親が密告したという事実と、蔵原武介から金をもらって塾を大きくしたという事実を知る。そして、父に計画を密告したのが槇子であることを知るのだが、何事もなかったかのように過ごす。最後には一人で蔵原武介を殺して、自害して終わり。

こんな感じの内容です。一見キチガイ右翼小説にも見えるのですが、実際に読んでみるとそこはほとんど関係ない。勲の日本を変えようとする純粋な行動と、若いとき強い愛国心を持っていた父親の飯沼が40近くになって、憎むべき敵から金をもらい、信念と金は別だと都合のいい論理を作る醜さの対比によって、若狭の純粋さ、三島由紀夫のこうあるべきという行動の姿が表されている。
父親に暴露されるときに「僕はの為に生き、をめがけて行動し、によって罰せられたわけですね」という言葉を発しているんだけど、これが泣ける。子どもの時から父に教えられてきた信念、大義と言ったものは全て穢れた欺瞞を隠し持っており、その無意味なものを具現化するために生きて行動し、そして結局それによって密告され罰せられてしまう残酷さがそこにはある。

こんなもんかな 終わり。