うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

ソポクレス「オイディプス王」読書感想文

どうもこんばんは、僕です。
 今回はソポクレスの「オイディプス王」を読みました。
 この話は、フロイトエディプス・コンプレックスの元ネタとなった話です。なぜか、オイディプス・コンプレックスじゃないんだよな、日本語訳って不思議!

元ネタではありますが、大して関係ないです。以下要約。

 はるか昔のギリシア、テバイ国。先王ライオスが盗賊に殺され、魔獣スフィンクスの呪いによって、危機に瀕していた。絶望的な状況の中、オイディプスという旅人がこの国にやってきて、スフィンクスを退治する。感謝した民は彼を国王とし、先王の妻イオカステと結婚し、平穏な日々を送っていた。
 そんなある日、国にまたしても災厄が訪れていた。飢饉である。オイディプス王は部下に命じて、主神アポロンに原因を聞かせると、
 「先王ライオスを殺した罪びとがまだ、この国にいるから追放しろ」
 との神託がおりた。
 王はただちに犯人を捜すように臣下に命令。国でアポロンの次に、物事がよく見えると噂の占い師に話を聞くことにする。
 そこで、占い師は犯人はオイディプスであり、先王ライオスはオイディプスの父、妻であるイオカステは実は母親で子どもまで作ってしまった!!!と予言する。国王はブチギレて、地位を乗っ取る気だ!と呼んできた友人クレオンや占い師を追放した。
 妻イオカステによれば、先王ライオスが自分の子どもに殺されるであろうという神託を既に受けていたこともあって、子どもの足に杭をぶっ刺して殺してしまったという。
 ところがどっこい、ライオスが死んだときの場所がオイディプスが名も知らぬ旅人の無作法に怒って、殺した場所と同じだったのである。徐々に不安になるオイディプス
 追い打ちをかけるように、当時殺せと命じた羊飼いが、子どもを逃がしていたと証言する。
 しかも、元々父親だと思っていたコリントスの王とは、血縁関係にないことまでわかってしまう。
 全貌が明らかになったことで、イオカステは自殺してしまう。
 その後、オイディプスは自分の目をつぶして、
 「こんな目いらねぇ!目が見えるのに結局何もわからずに、父親を殺して近親相姦しちまった!何も見えてなかった!」
 と発狂。
 娘たち二人には、これからものすごく不幸なことになるから、すまんな、と言い残し、彼は国から追放されるのであった。

 というお話です。
 すごく昔の話って感じがしますね。だって、オイディプス可哀想すぎません?子どもの時は捨てられ、ようやく拾われたと思ったら父親殺しに近親相姦。しかも、生まれる前から父親殺しが神に予言されてて、予言したくせに追い出せと言い出す。大変理不尽な神の気まぐれに振り回されるオイディプスの悲劇であります。
 というわけでね、エディプス・コンプレックスとは全然関係ないんですよね。近親相姦願望なんてオイディプス王はもってませんからね、むしろ目潰しちゃうくらい嫌でしたからね。

 すごく短くてさっくり読めたんだけど、なかなか感情の波がすごいお話でした。終わり。

私が精神を病むまで まとめ^^

はい、どうも僕です。
 これは書きすぎると僕が死ぬということに気づき、やめました。これはまずい本当に。
ということで、やめます。最初に書いたところは全然どこにでも当てはまるからいいんだけどねぇ・・・4を書いている時にちょっともうやばかったので、やめました。
 やはり外回りということでお客さんのことを書かずにはいられないので、やりすぎると死にます。ネットは節度を守って書かないとね^^

 結論だけ言っておく。
 精神を病んだ最終的な原因は、誰にも頼れなかったというこの一点に限る。
 たった一言でも何か話ができる人がいれば、ここまで酷くはならなかっただろう。ニコ生とブロマガでたまに吐き出すこともあったが、やはり目の前の人間に聞いてもらえなかったのが一番辛かった。
 両親にチラッと漏らしたことはあったが、大して取り合ってもらえず、友人に漏らすもやはり取り合ってもらえず・・・と。
 両親に関して言えば、私は昔から彼らに対して半分以上心を閉ざしており、本心など昔から語ったことはないから、向こうもまともに取り合ってくれなかった。
 友人に関して言えば、普段元気すぎる男が急に愚痴を漏らすとそれだけで微妙な空気になってしまい、会話が止まる。「いやぁそれはそうだねぇ~俺もそうだった~」くらいの同感が得られれば、もう少し気が楽になっていたと思う。追い詰められていた時には、飲み会の最中に、思わず愚痴がボロボロ出てきて変な空気にしたことがよくあった。
 唯一漏らすことができそうだった、私の直属の上司に関しては、自分自身が打ち明ける勇気がなかった。
 私の家は上司の家の通り道にあった。だからものすごく落ち込んでいる時は、帰りに車に乗せていただいて、いろんな話をしてくださった。車の中、疲れ果てていた僕は自分から話すことはあまりなく、カーナビで流れるテレビを黙って見ていることが多かった。係長は、いつもそんな沈黙を破って、話を始めるのだった。
 「俺らは下手に学歴をもってまって、逃げきれずになんとなく銀行入って、入ったら入ったで、目の前に餌をぶらぶらぶら下げられて、ホントにあほらしいわなぁ。トヨタ期間工なんかは、そりゃ出世した俺らより給料は低いかもしれんけど、まともには生活できるし、餌がぶらさげられとるわけでもなく、生きていられるし、どっちが正解なんやろなぁ」
 「期間工の方がいいですね」
 と即答したのを覚えている。
 「まぁ、まだやめようと思えばやめれるで、考えたほうがいいかもなぁ。俺の歳までいったらもうやめられんで、嫌でも続けなあかん」
 こんなネガティブな話をしているが、上司は銀行の中でもトップクラスの出世頭である。バリバリ仕事している人でもこんなことを思うもんだなぁと驚いたものだ。
 唐突に私がマルクスの話を吹っ掛けたこともあったと思う。週一くらいで、上司と仕事に関する哲学論議をしていたわけだが、今思えば本当に不思議である。
 もちろん哲学論議だけではない。失敗した日は、反省会になることもあったし、私の考案した話のネタもっていく作戦をほめていただいたこともあった。 
 何もない日は、「仕事辞めたいか?外回り嫌か?」 と、にやにやしながら毎度聞かれて、私が笑いで胡麻化すのがテンプレだった。さすがに自分より大変な仕事をしている上司に、辛いとも辞めたいとも言えなかった。
 車の中での会話は係長の気遣いだったのだろう。日に日にげっそりしていく私を見て、少しでも話を聞いてやろう、と思ってくださったのだと思う。
 だから、私にも相談するチャンスは与えられていたのだ。出世頭の人の前でそんなこと言えねえなぁなどと言い訳して、最後まで相談しなかったのが私の敗因だったのだ。
 しかも、人間とは不思議なもので、精神が病んでくると人に助けを求めるという選択肢が脳から消えてしまうのである。最初はぐずぐずして相談せず、病んだ頃には選択肢からも消え、ついに自分の手に負えないことを抱え込んでしまったのだ。結果としてどうしようもなくなって、救急車に運ばれてしまったのである。
 
 そんなわけで、これから新社会人になるような君たちは、仕事よりもまず、相談できる人間を作るべきである。愚痴でも気軽に話せる人が一人でもいれば、世の中は相当楽になるに違いない。私は人生において常に人と本音で語り合うことを避けてきたので、身を滅ぼしてしまった。
 読者の皆様は私と同じようにならないことを祈っている。
 終わり。
 
 


カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」 読書感想文

どうも、僕です。
今回はカズオ・イシグロ「わたしを離さないで」でございます。ノーベル賞をとったのはこの作品のせいだからとも、言われております。
要約しようと思ったのですが、非常に難しい。この作品は一本の話を順序もバラバラにして、さりげなく小出しにしていき、読者に世界観を理解させる話だからです。
主人公のキャシーの一人称で話が進んでいきます。彼女がある人を介護しているところから、話が始まって、子ども時代を過ごしたヘールシャムという施設での回想、卒業のコテージでの回想、最後は友達のルースとトミーを介護していくという構成になっております。
ネタバレしちゃうと、面白さが減るので、今後読む気がある人はこれ以上読まない方がいいかもしれません。














へールシャムの生活で一番キャシーの心に残っているのは展示会で、生徒たちはそれに向けて一生懸命に詩や、歌や、絵や、道具を作っているわけです。その作品たちの中でもマダムと呼ばれる謎の人物が一番いいと思ったものを持っていくのですが、持っていかれなかった余りは生徒たちが交換して宝物にしていたのです。
こうした生活の中、一人だけいじめられていたトミー。いじめられると癇癪を起して暴れまわるのを面白がって常にからかわれていたのです。大元の原因はトミーが作品を全く作っていなかったことで、それが次第にエスカレートしていったというのです
 しかし、急にある日からトミーが全く癇癪を起さなくなって、いじめもなくなったのです。キャシーが理由を聞くと、ルーシー先生に「作品なんて作らなくていい」と言われてからすっきりしたおかげだそうです。
 そんなルーシー先生は途中で生徒全員に言い出します。「あなた方に将来はない。わかっているのか?」と。
 生徒たちは知らず知らずのうちに、将来提供することを教えられていたのですが、刷り込まれていたので、無邪気に夢を語っていたのです。だから、ルーシー先生は耐えられずに怒ったのでした。
 そんな中で、マダムが自分たちを見る眼が、蜘蛛を見つけたようなものだということに気づきます。
 こんな感じで、徐々に世界を知っていく、キャシー。気づけばルーシー先生はクビになっていました。
 
 結局、みんなバラバラになってコテージと呼ばれる、社会人になる前の生活の場に移動させられます。キャシーと一緒だったのはトミーとルースと残り二人くらいのモブ。
 そこで、ポジブルと呼ばれる彼らの「親」を追いかけます。その最中に、へールシャム出身の愛し合う二人が申請すれば三年は自由でいられるという噂も耳にします。 
 トミーはこうしたすべてを聞いてある考察を立てます。まず展示館の目的について。そもそもマダムが自分たち子どものしょうもない作品を毎回集めに来るのはなぜなのか?という疑問です。金にもならないし、本当に立派な芸術作品から見れば、ただのガラクタだからです。
 彼の出した答えはこうでした。作品は人の心を映す。だから、作品を集める。そして、愛し合っているという二人が猶予をもらいに来た時に、本当に愛し合っているか判別するためにそうした知識のない子ども時代に作品を作らせているんだ、と。それで絶望したトミー。作品を一つも作ったことがなかったからです。なんとか希望をもって地道に絵を描きはじめます。
 最後はコテージでみんなと仲たがいしてキャシーは介護人になります。

 十年くらいたって、ルースの介護をします。
 そこで、ルースはトミーとキャシーを連れて外出し、二人にマダムに会うように住所の書いた紙を渡します。三年の猶予を二人に与えるためです。
 ルースが死んで二人がマダムの元を訪問すると、猶予なんてものはないと告げられます。展示会は実際にありましたが、それはクローンの子どもたちに人道的配慮をするように仕向けるための作戦だったのです。今でも障害者に物を作らせて、普通の人間なんだってアピールするでしょ?あれよあれ。
 しかしクローンの場合はそうはいかなかった。その臓器のおかげで、今まで難病と言われてきた病気が治るようになってしまったから、今更人道的配慮なんてものはできないのです。更に、世の中の人はこうした犠牲のもとに成り立っていることから目を背けたいがゆえに、作品の展示会なんてものから目を背けたくて仕方がない。だから、最終的にはへールシャムも閉鎖され、これからクローンはもっとひどい目にあうだろう、というのです。
 まぁそんなわけで、トミーは臓器提供を四回して死にます。
 
 あぁ残酷な世界だ。ということで終わるわけ。

 
 いや~なかなか面白かったですね。クローンが本気で世の中に出てきたらどうなるかっていうのを上手く表現してる。特に世間の人間が、クローンを犠牲にして生きていることを見ないふりをするところとか、すごくリアル。
 実際にクローンが出来たら、代わりに人間が不幸になっているとしても、間違いなく何か人間じゃないという理由をつけて、目を背けるに違いない。それでマダムのような人が、何かしら活動をするかもしれないけど、世の多数は間違いなく目を背けると思う。
 大変グロテスクなお話でした。


私が精神を病むまで その3

私は死ぬ気で勉強した。人と話す術を。途方もない自己分析が始まったのである。 
 そして、すべての元凶は行動が遅すぎるということだと気づく。私のような本を大量に読む人間は、物事をじっくり考えすぎる。結果として、何事もやるのが遅い。例えば、前回述べた名刺交換にしても、単純に横に置いてしまって、会話の準備に備える方が全体的には印象がよかったはずだ。思えば、私は周囲の空気を理解はするものの、そこからの動きが本当に遅い。遅いので、結局何もせずに終わってしまうのである。
 私は会話の方法について準備することにした。レスポンスの遅さ以前に、世間一般の雑談知識に乏しかったのである。私は政治と文学とアニメ漫画ゲームの話しかできなかった。
 目星はついていた。先輩から社長は車とゴルフに詳しい人しかいない、と教えられたからである。故に、まず車の知識を必死に詰め込んだ。いくつも見ているうちに、有名な車種や、高級車の特徴を浅く広く理解した。
 また、三日間の引継ぎで先輩から盗んだこともある。当時は横に座りながら、レスポンス早いなぁ、頭の回転早いなぁと思い続ける毎日だった。そうして観察しているうちに、あの先輩でも答えに窮している時が多々あることに気づく。だが、微妙な空気になっていない。詳しく観察すると、先輩は絶妙なタイミングで、コーヒーを飲む途中である振りをしたり、笑ったりして時間稼ぎをしていたのである。使いこなすには難しい技ではあったが、非常用装置として用意しておくことにした。
 最後に会話のスタイルについて。レスポンスが遅い私は、単純に会話についていくだけでも精一杯である。つまり、先輩のように上手い返しで難なくやっていくスタイルは不可能に近い。そこで私は考えた。一方的に話せる面白い小話を毎日用意し、それに対してのレスポンスに都度返し、会話の主導権をこちらが握るという作戦である。私にとって、こちらの方が容易であった。ニコ生で培った話題を生み出す力と読書で培った話を盛る力があったからだ。
 以上の三つの作戦で私は戦うことにしたのである。
 
 書きすぎて全く先に進まねえな
 

私が精神を病むまで その2

 全ての始まりは突然やってきた。私の先輩が転勤したのである。その空いた穴に代わりはなく、私が外回りをすることになった。体中の感覚がなくなり、思わず笑い声を上げたのを覚えている。自分を追い詰めた恐ろしい癖は、既に出始めていた。
 先輩とお客さんへの挨拶回りを三日間やった。食事も全くせず、気が狂ったように回った。そして、とにかく怒られた。名刺の出し方が悪いといった礼儀作法のちょっとしたことがまず一つ。そして、もう一つは会話の仕方であった。
 最終日、とある会社への挨拶に行った。私と先輩は事務所から中が簡単に見える、わずかな仕切りだけつけられた応接に通された。二人で立っている間、僕はこの三日で一番緊張しながら、車の中で伝えられた先輩の言葉を思い出した。
 「ここはお前が行くところで、一番大きな会社やから、気をつけろよ。今までの気のいいお客さんとは違うからな、社長と会長は親子じゃないぞ。この三日、俺がよく電話かけとったと思うけど、全部ここの社長を捕まえるためやからな」
 既に散々脅されていた。社長に会うためだけに、いつもより一時間も早く外出した。
 そんなわけで、私の背筋は硬直し、名刺の渡し方、笑顔での自己紹介と、何度もシミュレーションしていた。
 少しすると、事務所の奥から二人の男性が歩いてきた。ぴっしりとスーツを着ており、姿勢がよく、その歩き姿から常人ならざるものを感じた。
 「私、○○銀行のうひょーと申します」
 「私、代表取締役社長の○○と申します」
 「私、代表取締役会長の○○と申します」
 一生懸命下をとり、笑顔を振りまいた。しかし、ここで問題が起きた。社長が先に名刺を渡したのである。わからない読者のために説明しておくと、名刺交換は基本的に一番偉い人が先にするのである。その人の名前は会社を代表しているからである。つまり、社長のほうが会長より身分が高いということになる。しかし、通常の企業では会長の方が偉い。どっちが正しいんだ?私はいきなり社会に試されたのである。
 私の出した答えはこうだ。何十年もやっている社会人が、名刺を出す順番を間違えるわけがない。だから、社長の方が偉いのだ、と。
 だが、これで解決したわけではない。名刺を二つもらってしまったわけだが、これをどこに置くべきか?という問いが現れる。一人だけなら、名刺入れの上に置くだけであるが、二人はどうするべきか。重ねて置くのは正解なのだろうか?この場合、社長の方が身分が高いから会長の上に重ねておくことになるだろう。しかし、いくら身分に差があるとはいえ、もらった名刺を他の名刺の敷物のように使っていいのだろうか?またしても社会に試された。
 結局、私は重ねることにした。もしかすると、会長の名刺だけしまうのが正解だったのかもしれない。だが、もう会話は始まっており、タイミングを失っていたから、載せるしかなかったのである。
 諦めて、張り付いた笑顔で周りを観察した。社長は若々しい褐色肌で、黒い眼鏡をかけており、茶髪だった。50歳はゆうに超えているのだが、銀行員の同年代の上司と比べて活力が全然違う。一方、会長は全て白髪になっており、体の弱そうなおじいさんにみえた。 
 「なんや、もう転勤か!」
 と社長が大きな声で言う。
 「そうなんですよ~銀行員は転勤早いんで~」
 「ほんとやなぁ!コロコロ変わるなぁ」
 先輩が一瞬コーヒーを口に含んで、
 「ボロ雑巾みたいに使いまわされますよ!」
 と返すと、全員が笑った。なんともくだらない会話である。
 「うひょーくんはどこ大学や?」
 「○○大学です」
 「どこにすんどる?」
 「○○です」
 「ほぉ~」
 対する私はあまりの会話のスピードの早さに、全く気の利いた一言も言えなかった。聞かれたことにただ答えるだけで終わってしまった。
  
 車に戻ると
 「お前、三日間で何を学んだんや!この人らどういう人やった?」
 「は、はい・・・。勢いがすごく・・・。」
 「お前もう少し考えろや、この相手は聞かれたことに答えるだけでいいのか、とかオウム返しだけでいいのか、とかもう少し考えろ」
 「はい・・・」
 散々怒られながら、私は引継ぎを終えたのであった。この三日で、私が何一つできていないことを認識したのである。辛かったがこの三日間、みっちり教えてくださった先輩には感謝している。もし、ここで何も教えられていなかったら私はもっと早く病院送りになっていただろう。
 だが、本当の地獄はここから始まったのである。
 



私が精神を病むまで その1

八月上旬のある日、私は机に突っ伏していた。頭が上がらない。いつも体を支えている腕に力が入らない。指から力が抜け、手は本来の姿に戻っていた。そして、何よりも呼吸が激しくなっていた。全力で吐き出し、その反動で全力で吸う様は深呼吸である。だが、全力で吸った反動で、全力で吐き出してしまう。鶏が先か、卵が先か理論でその止め方を忘れてしまったのだ。
 「うひょーくん、大丈夫か?」
 飲み会の時、地蔵だった先輩がいち早く気づいてくださったのを覚えている。答えようとして、呼吸で返したのも覚えている。
 「立てるか?」
 五年目の先輩に、体をさすりながら聞かれたが、当然呼吸でしか返せない。
 しばらくすると、救急車のサイレンが耳の中にこだました。あぁ、俺は今から救急車に運ばれるんだ・・・。
 「こっちです!」
 支店長の声が僕の元に救急隊員を誘導する。丸まっていた背が伸びる。体が浮き上がる。仰向けになる。廊下の小さな段差を通って揺すられる。
 わずかに薄目を開けられるようになった時には、救急車と僕の直属の上司であるA係長、救急隊員たちを認識した。
 血圧を測るために腕を抑えられて、私はうめき声を上げようとしたが、汚い息が出るだけである。
 病院では係長も見ているのに
 「もういやだ!つらいのはいやだ!」
 と注射を断った。私は我慢の殻を完全に失っていた。
 そんなわけで次の日、精神科に行くと、すぐに鬱だと診断された。
 
 なぜ、こんなことになってしまったのだろうか?やる気があれば次も書きます。

もしも地方銀行の二年目行員がラッセルの「幸福論」を読んだら

目覚まし時計に起こされた僕は、ふと物をなくしたことに気づいた。印鑑の入った筆箱である。銀行員は印鑑なしには仕事ができぬ。なぜなら、印鑑を押す行為は、責任をもって仕事をしたと示すことだからである。自分がやっていない仕事でも、印鑑を押せば、責任を被ることになる。何回か軽い気持ちで押して、人のミスで怒られたことがある。真っすぐ押さなくても怒られる。きっちりやれと怒られる。そんなわけで、紛失すると所属店の点数が大量に引かれてしまう。
 なくなるはずはなかった。仕事用の鞄から取り出す機会は皆無であり、何かの拍子で落とすことすら考えられなかった。不安に駆られながら、僕は出社した。
 その時、「幸福論」を思い出した。今の苦痛は宇宙の中のほんの些細なことであると認識しなさい、と書いてあった。太陽の寿命は約50億年・・・、対する僕は80年・・・。今のミスで怒られるのはさらにその1÷80×365日・・・。途方もないことを考えているうちに、思わず電車の中で吹き出し、僕は冷静になった。落とすはずのないものがない、ということは会社にあるに違いない。その確率が99.9%だと確信し、精神の安定を得たのであった。
 案の定、支店に置きっぱなしだった。ほっと胸をなでおろした。
 ここで僕は今年初出勤だということを思い出し、
 「アケマシテオメデトウゴザイマス、コトシモヨロシクオネガイシマス」
 と最強の呪文を脳死状態で唱え続けた。
 後輩は出会った瞬間、この言葉を言わなかったので、僕が先に言った。なんて、ふざけたやつや!と思った。
 が、ここでも僕はラッセルを思い出した。自分の常識が全て他人にあると思うな、と書いてあった。そうだ、彼らは初めての正月だ。礼儀作法など普通知っているわけがない。思い出せば、去年僕は恐る恐る口にしていた。だが、「アケマシテオメデトウゴザイマス」だけしか言っていなかった。それに気づいた先輩が自然な形でお手本を見せてくれたのである。今度は僕の番だった。そして後輩たちもしっかり見て学んでくれたので、支店長には自ら挨拶をしていた。
 こうして僕の心は浄化され始めた。
 例えば、後輩が「僕ご飯食べてないんで」と言って仕事を回してきたとき、本気で怒ったことがある。その時僕もご飯を食べていなかった。だから、なめてんのかボケと何度も思った。
 しかし、これは僕が悪かったのである。なぜなら、12月以前、僕は後輩がご飯を食べられないことを大変気にして、仕事を肩代わりしていたのである。もちろんその時も僕はご飯を食べていない。しかし、一年目で四時過ぎの食事は可哀想だ、という気持ちが強かったので不満は感じていなかった。
 僕はいい先輩だったのである。だから、彼はいつものように仕事をお願いしたのだ。そうしたら急に怒られたわけだ。結構理不尽である。僕がやられたら、間違いなくびっくりしたと思う。心よりお詫び申し上げる。
 こう発想を転換したおかげで、忙しさのあまり失っていた本来の自分を取り戻し始めた。返事の声を大きくする。そうすると、上司の態度も心なしか優しくなった。ラッセルはこう書いている。幸福そうな人には幸福が舞い込んでくる、と。
 また、今まで忙しさのあまり回すことしか考えていなかった仕事を、じっくりやり始めた。同じ文章を30回くらい手直ししたと思う。時間はかかったものの、達成感があった。またしてもラッセルは言っていた。技術を生かす仕事をしている人は幸福である、と。
 そんなわけで、新年初仕事は最高な一日で終わったのである。いやぁ人生楽しいなぁ!?!?!?
 終わり。