うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

私が精神を病むまで まとめ^^

はい、どうも僕です。
 これは書きすぎると僕が死ぬということに気づき、やめました。これはまずい本当に。
ということで、やめます。最初に書いたところは全然どこにでも当てはまるからいいんだけどねぇ・・・4を書いている時にちょっともうやばかったので、やめました。
 やはり外回りということでお客さんのことを書かずにはいられないので、やりすぎると死にます。ネットは節度を守って書かないとね^^

 結論だけ言っておく。
 精神を病んだ最終的な原因は、誰にも頼れなかったというこの一点に限る。
 たった一言でも何か話ができる人がいれば、ここまで酷くはならなかっただろう。ニコ生とブロマガでたまに吐き出すこともあったが、やはり目の前の人間に聞いてもらえなかったのが一番辛かった。
 両親にチラッと漏らしたことはあったが、大して取り合ってもらえず、友人に漏らすもやはり取り合ってもらえず・・・と。
 両親に関して言えば、私は昔から彼らに対して半分以上心を閉ざしており、本心など昔から語ったことはないから、向こうもまともに取り合ってくれなかった。
 友人に関して言えば、普段元気すぎる男が急に愚痴を漏らすとそれだけで微妙な空気になってしまい、会話が止まる。「いやぁそれはそうだねぇ~俺もそうだった~」くらいの同感が得られれば、もう少し気が楽になっていたと思う。追い詰められていた時には、飲み会の最中に、思わず愚痴がボロボロ出てきて変な空気にしたことがよくあった。
 唯一漏らすことができそうだった、私の直属の上司に関しては、自分自身が打ち明ける勇気がなかった。
 私の家は上司の家の通り道にあった。だからものすごく落ち込んでいる時は、帰りに車に乗せていただいて、いろんな話をしてくださった。車の中、疲れ果てていた僕は自分から話すことはあまりなく、カーナビで流れるテレビを黙って見ていることが多かった。係長は、いつもそんな沈黙を破って、話を始めるのだった。
 「俺らは下手に学歴をもってまって、逃げきれずになんとなく銀行入って、入ったら入ったで、目の前に餌をぶらぶらぶら下げられて、ホントにあほらしいわなぁ。トヨタ期間工なんかは、そりゃ出世した俺らより給料は低いかもしれんけど、まともには生活できるし、餌がぶらさげられとるわけでもなく、生きていられるし、どっちが正解なんやろなぁ」
 「期間工の方がいいですね」
 と即答したのを覚えている。
 「まぁ、まだやめようと思えばやめれるで、考えたほうがいいかもなぁ。俺の歳までいったらもうやめられんで、嫌でも続けなあかん」
 こんなネガティブな話をしているが、上司は銀行の中でもトップクラスの出世頭である。バリバリ仕事している人でもこんなことを思うもんだなぁと驚いたものだ。
 唐突に私がマルクスの話を吹っ掛けたこともあったと思う。週一くらいで、上司と仕事に関する哲学論議をしていたわけだが、今思えば本当に不思議である。
 もちろん哲学論議だけではない。失敗した日は、反省会になることもあったし、私の考案した話のネタもっていく作戦をほめていただいたこともあった。 
 何もない日は、「仕事辞めたいか?外回り嫌か?」 と、にやにやしながら毎度聞かれて、私が笑いで胡麻化すのがテンプレだった。さすがに自分より大変な仕事をしている上司に、辛いとも辞めたいとも言えなかった。
 車の中での会話は係長の気遣いだったのだろう。日に日にげっそりしていく私を見て、少しでも話を聞いてやろう、と思ってくださったのだと思う。
 だから、私にも相談するチャンスは与えられていたのだ。出世頭の人の前でそんなこと言えねえなぁなどと言い訳して、最後まで相談しなかったのが私の敗因だったのだ。
 しかも、人間とは不思議なもので、精神が病んでくると人に助けを求めるという選択肢が脳から消えてしまうのである。最初はぐずぐずして相談せず、病んだ頃には選択肢からも消え、ついに自分の手に負えないことを抱え込んでしまったのだ。結果としてどうしようもなくなって、救急車に運ばれてしまったのである。
 
 そんなわけで、これから新社会人になるような君たちは、仕事よりもまず、相談できる人間を作るべきである。愚痴でも気軽に話せる人が一人でもいれば、世の中は相当楽になるに違いない。私は人生において常に人と本音で語り合うことを避けてきたので、身を滅ぼしてしまった。
 読者の皆様は私と同じようにならないことを祈っている。
 終わり。