うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

「金閣寺」読書感想文

どうも僕です。読書感想文なんだけど、要約がくそ難しい。というかできないと思う。
それでも一応要約する。
金閣寺にあこがれていた吃音症の主人公の父が死んで、金閣寺に修行に出される。
あこがれの金閣寺を実際に見ると、そうでもない気がしてきて残念がるんだけど、第二次世界大戦がはじまって、燃えてなくなるかもしれないという不安が期待になって、美しく見え始める。しかし、何も起こらずに焼けず、普通の生活を送るようになる。主人公の暗い気持ちの正反対に友達で明るい鶴川君がいて、その性格に感動する。そうこうしているうちに、米兵に支持された通り女の人の腹を踏みまくって、流産させる。この頃から、主人公は寺の和尚さんに嫌がらせをし始める。続いて何事もなかったかのように大学に行きはじめて足が奇形の柏木にあって、障害者云々のくだりがありつつも、童貞を捨てるすべを学ぶ。捨てる機会が二回ほどあるけども、金閣が思い浮かんで気づけば童貞を捨て損ねる。そんな中、金閣を燃やそうと決意する。和尚に嫌がらせしまくって追放される勢いで放火しようとするんだけど失敗して、萎えそうになるんだけど結局放火して終わり。

まぁこんな感じなんだけど、読んでくれないとたぶんわからない。ただ難しいので一応読むときに助けになるように俺なりの解釈だけを書いておく。
まず、金閣は永遠の美で、女の身体はいずれ消える美であること。童貞を捨てる寸前で金閣が現れて結局萎えるのは、永遠の美からすると一瞬の美は塵のように感じられるから、萎えてしまう。たぶんそう。その証拠に、最初の方金閣寺が燃えることを散々想像してたし、最後の方は露骨に金閣への永遠の美について書いてある。童貞特有のしょうもない言い訳のつもりで書いてるのではないと思う。

次は柏木が婆さんで童貞を捨てる話。
まず最初に童貞を捨てる寸前までいった令嬢の時は、愛がないのにセックスをするという行為で愛の不存在を証明しようとする。→自分の奇形の足が彼女の足に触れることを想像してちんこが萎える。→これは彼女の反応が気になっているということ。つまり、愛されるか不安であるということを証明しており、愛の存在を認めていることになる。
婆さんで捨てる時は、完全に自分と婆さんを第三者の客観的な視線で眺めてそれで射精できた。愛ではなく、その状況に興奮しただけ。やっぱり愛はない。という話。

最後に感想。
最後の方金閣寺を燃やすと決意した辺りの行動がかなりよかった。和尚に追い出されることでそれをきっかけに燃やそうっていうしょうもなさがすごく人間っぽい。普通は決意したって結局誰かに押されないと基本的には無理だよな。それを自ら起こすべく悪戯しまくるところが小物っぽくて人間っぽくていい。

たぶん、読んでて意味わからないと思う。書いてて俺もあんまりわかってない。じゃあな。