うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

28 少しいじる

「もう笹塚なんだ」
 魂のこもった歩美の声で、我に返る。余計なことを考えているうちに、家がすぐ近くに迫っていた。寝起きの無力な表情の隣を盗み見て、全身に力が入る。最初の一言が思いつかない。さっきは何も考えなくても出てきたのに。
「今日はついてきてくれて、ありがとう。」
 沈黙が破られた。でも違う、そっちじゃない。スタートがずれて、自分に流れが逆らい始める。自分は流れに逆らえない。
「お金まで払ってもらったし、こっちのセリフだよ」
 自然の流れが意志を捻じ曲げられる。耐えるにはあまりに弱い柱だ。それでも、わずかに残った力が諦めさせない。
「一緒に行きたくて払っただけだから、気にしないで」
「ふーん」
 ぎくりとして、歩美の表情を伺う。いや、見なくてもはっきりしている。たった一言で変わる。それ以上でもそれ以下でもない。
「新ちゃんは、これからどうするの?」
 突然、全てを変える特異点が手の届く場所に、輝きを持って現れた。身体が熱い。唇が麻痺する。頭の中が真っ白になる。
「家に帰って、麻婆豆腐食べて寝るわ。歩美も寝るだけ?」
 新次郎の本能が目の前の奇跡から必死に逃げる。意志は既に蒸発していた。
「うん」
 その顔は、努めて平静を装っているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。少し、間が空いてから
「麻婆豆腐どんな味だっけ」
 じゃあ、今から一緒に食べる?暇でしょ?言葉が頭の中で渦巻いているが、喉にすら到達しない。答えは目の前にある。今更断られて失敗することもないのはわかっている。なんだか、急に周りの目が気になり始めた。こんな場所で言うなんて変な奴だと思うに違いない。急に恥ずかしくなってきた。
「味見してたじゃん」
「そういや、そうだったね」
決定的な一言と共に千歳烏山に着く。
「じゃあ、降りるわ。またね」
「うん、またね」
卑屈な乞食は逃げるようにして、家に帰った。