うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」読書感想文

どうも、僕です
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の感想文書きます。「車輪の下」って書いてもだれもピンとこないと思ってわざわざタイトルに入れた。それでもピンと来ないやつは、「少年の日の思い出」を思い出せ!
エーミールのやつだよ。ほら、思い出したか?

ということで、要約
主人公のハンス・ギーベンラート君が中学三年生(俺の予想)の時から話は始まる。既に母親は死んで父親しかいない。学校で一番成績がよくて、超頭いい神学校(高校みたいなもんだと勝手に思ってる)に二位で合格する。もうこの受験の時でさえ、追い詰められてる。飼ってたうさぎは勉強の邪魔だと父親に捨てられ、趣味の釣りも散歩も父親に禁止される。合格してから学校に入学するまでの自由期間でさえ、校長に圧力をかけられ勉強させられてしまう。
神学校に入ってもひたすら勉強し続けるハンス君。ここでハイルナーという親友ができる。詩が大好きで遊びまくってる割には要領はよくて真ん中より上くらいの成績を気軽に取る天才肌の男。ちなみにハンスはがり勉
このハイルナーは成績はそれなりに良かったんだけど、詩大好き自由人だったから学校の先生にめちゃくちゃ嫌われてて、同じ部屋で泊まってる友人と喧嘩した時に罰として監禁される。
監禁って言っても授業には普通に出ることができて、ひたすら教師に監視されるだけみたい。
何はともあれ、そういう風になったハイルナーに近寄ると自分まで監視されかねない、恨まれかねないので、みんなが離れていく。ハンス君も卑怯者なので同じく離れた。日に日に精神がやみ続けるハイルナー君と良心の呵責に悩むハンス君。ところが、たまたま同級生が運悪く溺死したことをきっかけにハンス君の善の心が勝って仲直りする。
仲直りしたものの遊びすぎて勉強時間が減り、成績も下がり、ついでに問題児と仲良くすることで校長に圧力をかけられてしまう。それで、徐々に追い詰められてついに精神がやられて先生の言葉が聞こえているのに反応できなくなってしまう。俺もガチの鬱っぽいのになったことあるけど、マジでこうなる。わかっているのに動けないってやつ。そんなわけで、精神療養の為に昼食の後ハイルナー君と一緒に行かないという条件付きで散歩を許される。ところがどっこいその条件を破って仲良くして、それがバレて、また監禁される親友。最終的には学校から逃げ出して退学になる。
そのあとのハンス君はもう散々でついに学校を自分から辞めることになった。初恋の相手と両思いになったかと思えば、ビッチだということがわかって最悪の失恋を経験する。散々見下してた職人に就職し、最初の休暇で泥酔したまま溺死して終わり。
最後にハンス君をかわいがっていた町では嫌われ者のおじさんが校長や教師を指してこう言う。
「あすこに行く連中も、あの子をこういうはめに落す手伝いをしたんじゃ」

まぁこんな話。
結構頑張っただろ?いやこの本最高に面白かったんだよ、若干俺と重なったわ。
この本の主題はたぶん教育そのものの問題だと思う。この本の所々にハンス君が青春を奪われたことに対する嘆きが見られる。ウサギもそうだし、釣りもそうだし、要約には書かなかったけど、友達と遊ぶっていうこともそう。それでも周りがやれ!やれ!というし、しかもハンス君はそれを実現できてしまう能力があるが故にどんどん追い詰められて、最後は死ぬ。車輪の下っていうのは、つまり社会の下に潰されたってことよ。追い詰められない人間はハイルナー君みたいに取り除かれる。俺はそういうのが嫌いでハイルナー君ほどではないにせよ、ゆとり教育のおかげもあってうまく抵抗して逃げ切れたと勝手に思ってるんだけども、この話に出てくるような教師ってのは本当にたくさんいた。
職場のバイトの奥さんによれば、小学生一年生の時から読書感想文が宿題に出たり、夏休みの宿題が山ほど出るらしい。まさに詰め込み教育の復活と言ったところ。そんな今の時代だからこそ、この本の価値は高い。青春の自由な発想を画一した型にはめてしまう教育への批判が込められているからだ。こんなの教科書には載せられないだろうなぁ・・・。

何が言いたいかっていうと、教育っていうのは本当に愚かだってことさ。じゃあな。