うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

読書感想文「三四郎」

どーもー袋麺評論家の僕です
昨日の記事の通り麺の御湯をちゃんと切ったらスープとマッチしておいしくなりました。
やはり俺の勘は当たっていたのだ。あんまり拘ってるつもりはなかったけど、地味に食通っぽくなってきたと思う。安物とはいえ学生時代、外食ばっかしてたら味の違いくらいわかるようになったのかもな。
というわけで、今回は「三四郎」です。
三四郎」といえば、「門」、「それから」と並ぶ中期三部作なんて言われてます。
ちなみに前期は「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」で、後期は「彼岸過迄」、「行人」、「こころ」です。
これで中期は読破して、夏目漱石は残すところ「吾輩は猫である」、「草枕」、「彼岸過迄」になりました。

要約
上京してきた三四郎君が、美嗣子(みねこ)に恋をする話です。
登場人物としては、今でいう意識高い系の与次郎、理科系キモヲタの野々宮、その妹のよし子、与次郎の先生である広田、画家の原口です。
まず、上京する途中の電車で一緒だった女の人と手違いで一泊同じ部屋で泊まることになります。その時三四郎君は全く手を出さなかったのですが、結果として意気地なしと言われます。
その後、みねこに一目ぼれし、一言一言の意味を、いいように解釈してみたり悪いように解釈してみたり、自分に気があるのかとかを悩み続けます。
悩んでいたんですが、結局みねこは全く別の男と結婚して、三四郎君失恋。結局最初の女の言ってた意気地なしは伏線でしたって話。

感想
「こころ」に近い気がします。恋愛の描写が特にそう。美根子は野々宮の事が好きなんじゃないか、嫉妬したり、男といるだけで頭の中から離れないとか、そういう描写がある。また、言葉の意味をひたすら考えるとかいうのもある。実際、恋愛してみるとあることないこと考えたりするもんだよな、少なくとも俺は恋をするとその子が他の男と話しているだけで、あいつが好きなのか?などと疑ったりします。また、嫉妬の念が起こってきてやたらイライラします。
夏目漱石ってホントそういうのを表現するのがうまい。読みながらこっちまで嫉妬したわ。
それで、結局悩みまくった末に行動に起こさず、別の男と結婚してしまう。「それから」の圧倒的行動力とは逆で、どこにでもあるような意気地なしの失恋の話だから、心がえぐられる人は多いんじゃないかな。俺もえぐられた。
で、この本、やたらと意味わからない言葉が出てくる。ラストでも出てくる「迷える子(ストレイシープ)」っていう言葉。四人くらいで一緒に観光に行っていたのですが、みねこと三四郎が二人きりで抜けだします。その時、唐突にみねこが言った言葉です。これって何を指してるんだ?って結構考えた。ちなみに「迷える子羊」っていうのと同じ意味らしい。でもやっぱりわからん。少なくとも三四郎「迷える子(捨てとレイシープ)」でしょう。散々みねこに悩まされてますからね。ただ、みねこのハガキにはみねこ自身も「迷える子(捨てとレイシープ)」として表現されていて、こいつは何に迷っていたんだろうと考えだすとキリがない。
また、三四郎とみねこの最後の会話のシーンで「われは我が咎(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」とみねこが言います。三四郎を誘惑しておいて他の男と結婚したことを罪だと言っているのか、はたまた三四郎の事が好きなのに好きではない男と結婚したことが罪なのか?小説の内容からすると無限の解釈が広がる!みねこは三四郎のことどう思ってたのかも本当によくわからん。見方によっては好きだったと考えられるし、またどっちでもないともとれる。
ちょっと仲がいいと好きだと勘違いするアレだよアレ。でも、勘違いだと思ってたら本当にそうだった場合もあるだろ?そういう微妙さがこの小説には残ってるんだ。結局答えも出ないしな。

また、絵が描かれる描写も面白い。あれだけ三四郎を翻弄したつかみどころのない女性であるみねこが絵の題材になる。自由なみねこが画家の描きたい気持ちによって固定化される。これって三四郎の切なる願いなんじゃないかなって思う。つまり、これだけ悩まされるみねこがどっちなのかはっきりしてほしい!っていうそういう気持ち。とにかくどちらかに定まってほしいっていう感じ。

というわけで感想が長くなった。何が言いたいのかというと、恋愛って複雑で、月9のあのしょうもないテンプレ展開で表現できるようなもんじゃない死ね。
キモヲタが恋愛語ってて気持ち悪くなってきたわwwwwwwwじゃあなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww