うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

国語の授業とかいう害悪

国語の授業は本当に害悪だ!
あれは本を読む気力を削ぎ落して無機質なつまらないものにしている!
本来本の考え方、読み方には答えなんてないはずだ
ところが学校の国語の授業はどうだ 教科書ガイドなるものに書かれたとおりに生徒が考えるように教師が押し付けている!

例えば、皆さんおなじみの夏目漱石の「こころ」を挙げて考えてみよう
私の学校では「どうしてKが死んだのか?」という一点に疑問が集中するような授業だった。
あの授業を聞けば誰もがこの小説はKが死んだ理由に謎を残して考えさせる小説だと思うだろう。
だが、実際にはこの本にはいろんな読み方がある。Kが古い考え方で先生が新しい考え方であるとか、教科書ではカットされているが「恋は罪悪」という観点とか逆にお嬢さんはどうだったのかというような観点だ。
そうしたいろんな読み方を全て「どうしてKが死んだのか?」という小さな枠にはめてしまっているのだ!別にKが死んだ理由なんてどうでもいい!っていう奴がいてもいいじゃないか!実際僕もどうでもいい!

だいたい本というものは読み手が何歳であるか、どこで読んでいるか、どういう状況で読んでいるか、はたまたどういう人生を送ってきたかで感じ方が変わるものだろう 
もう何十年も過ごしてきた年寄の国語教師が、小中高という圧倒的に若い世代に向けて自分の考えを答えとして隠しもってくるなんてなんと愚かなことだろうか!

僕は本は好きだが国語は大嫌いだ!
国語の授業でまるでどんな意見でも受け入れて黒板に書いていきますよ!というスタンスで挙手を求め、自分の考えていること、教科書ガイドとズレている感想は黒板の隅っこに小さく書く!だが、その意見は本当に隅っこに小さく書かれるほど重要でないのだろうか?重要でないと思っているのは何十年も生きてしまったが故の愚かさではないか?
少なくとも私自身は隅っこに小さく書かれたとき激しい怒りを感じた 自分が考えたことは小さく書かれるようなしょうもないことだと決めつけられるのは我慢ならない!
読書の読み方、感じ方に関して優劣をつけるかのごとき所業は断じて許さん!

今すぐこうしたふざけた教育をやめるべきだ!こんなことをしているから誰も文字が読めなくなるんだ!
終わり^^