うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

最近のアニメについて

最近のアニメは非常に展開が似ている。だいたい主人公と二人女がいて、片方と結ばれるとかいう話か、ハーレムか、バトル物に限っては必ず主人公が死なない!!!!なんというひどさだろうか。
これではアニメは子どもが見るもんだろWと煽られても文句は言えまい。このような話ならキャラクターの名前だけ変えれば誰でも作れる!!!そこにはどこにも文化的価値を持たない。作者の死など現れる余地もない薄さ!!!クールジャパンなどといって輸出しようとしているが日本人は馬鹿ですと売り込んでいるようなものである!!ということから私がアニメについての改善点を提案したい。

どうすればいいのか!!!それは
〈外面(うわべ)に見えざる衷情(したごころ)をあらはに外面(おもて)に見えしむべし〉
これに限る。
明治初期の文学は戯作文学と呼ばれる今のアニメと全く同じような小説が流行し文化的価値も低いものであった。それに対し、坪内逍遥小説神髄で、まさにこのことを主張したのだ。つまり、どういうことか、もっと人間の内面のリアルを追求すべきだということだ。
これをアニメに当てはめてみよう
まずはツンデレ。最近のツンデレは急にデレに変わりすぎだ。こんなのリアルにあるわけがない。しかし前回のアウフヘーベンで語ったようなゆっくりとした段階を踏んだツンデレなら大いにありうるし、その微妙な変化を表現することこそが文化的価値を持たせる要因となる!
次に、訳の分からない正義の味方!普通の人間は無償で人のために死にかけるなんてありえない!上条当麻なんていない!普通は何もせずに逃げるだろう!!!ここはもし死にかけるまで助けるとしても、もっと葛藤を入れるべきだ!さらにそこを心の声に頼るのではなく映像ならではの仕草で表現することができれば文化的価値につながるであろう!!!
そう!最近は声優に頼りすぎだ!声で全部解説したら映像の意味がないだろ!映像もっとうまく使え馬鹿!!設定資料集とかわけのわからんものを売っている漫画などがあるが、馬鹿にもほどがある!自分で表現できませんでした。これだけのものが頭の中にあったので、見といてください^^という糞みたいな逃げだ!!愚の骨頂これに極まれり!!!
次に問題なのは主人公以外が全く持って空気だということだ。彼らの存在価値は本当にないのか?リアルの人間であれば、その他もろもろという大雑把なカテゴリーに分類される人間でさえも何かしら主人公たちに影響を与えるだろう。アニメにおいては、主人公とヒロイン以外の条件をすべて所与にしているため、まるでセイの法則のようになってしまっている!!所与となっているのはその他もろもろの人間だけではない。日付や場所だ。日付や場所というのは非常にメッセージ性を込めるのに適している。夏目漱石などでは、こころでは明治天皇が死んだ日に自殺したり、坊ちゃんでは祝勝会の前後という時間軸があり、非常にメッセージ性が強い!こういうところを上手く盛り込むべきなのだ!現実の時間を組み込むのが難しいとしても12話の中で一年を描くことで一定の日付に意味を持たせることは可能だろう。

まとめると、

1.もっとリアルな心を描け!

2.そのためには声じゃなくて動きを使え!!

3.登場人物以外の要素をもっと活かせ!!!

これである。