うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

バートランド・ラッセル「幸福論」読書感想文

どうも、こんにちは、僕です。
今回はノーベル文学賞受賞者バートランド・ラッセルの「幸福論」について書きます。今年初読書がこんな本ってのも今年の我が人生を表しているのではないかと思っております。以下要約。
二部に別れていて前半は不幸の原因、後半は幸福になる方法が書いてある。
まず最初に出てくるのがバイロン風の不幸。三島由紀夫もかかっていたと言われるやつ。本を読んで、世の中を分析しすぎて何もかもに情熱も楽しみも悲しみも感じられなくなる一種の病気のこと。ラッセル曰く、外の世界に出て、いろんなことに興味を持って行動しろとのこと。逆に、罪びと、ナルシスト、誇大妄想狂はまずいらしい。自分のことばかり考えてしまうからだそうだ。
この本は基本的に上記方針で進んでいく。
続けて、競争、退屈と興奮、疲れ、ねたみ、罪の意識、被害妄想、世評に対するおびえが挙げられていく。
競争によって名誉を得て、自尊心も高まって幸福になっていくわけだが、資本主義の元では最終的に収入に行きつくので、ほとんどの人間は不幸になるというわけ。
退屈と興奮。日々同じことをし続けるのは人間にとって退屈で、興味の持てる新しいことをやって興奮することで幸せを得られる。ところが、物に満ち溢れたこの世の中、興奮し続けても、ドンドン強い刺激が必要となって疲れ果ててしまう。だから、たまには退屈な時間を作りましょうということ。
疲れ。疲れるとイライラするし、やる気もなくすし、やってらんねえなってなるから不幸だという話。ところが現代はそんなのんきに疲れをいやす時間もないから、不幸だらけ。社会変えるしかねえなぁ!?などという抽象的な結論で次に続く。
ねたみ。他の人との差異を感じると不幸を感じる。超人になれというありきたりな結論で終わり。
罪の意識、子どもの時の教育が不幸にしているという話。嘘をつくなを必死に守るだとか、人の悪口をいうなっていうのを必死に守るだとかですね。時と場合によってはそうするしかないと気があるのを無視して守るのがよくないらしい。そうはいっても僕は人の悪口なんて言いたくないですがね^^
被害妄想。あぁ!僕だけが!僕だけが!などと自分だけ被害を感じていると思ってしまうことだ。世の中の人間多かれ、少なかれそうなる。ちなみに僕はとてもこれが強い。
そんな僕へ、ラッセルは四つの方法を上げている。
第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身で思っているほど利他的ではないことを忘れてはならない。第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれると期待してはならない。第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。まぁ要は自分の常識や考えを他人も持っていると思うなっていうのと、迫害するなって話だよな。
世評に対するおびえ。あるグループで認められないと不幸を感じる。というやつ。だから、世界に広く出て、別のコミュニティを探すべきだという話。転職もさっさとしろってさ。もちろん、完全に孤立を維持し続けた人間もいるけども、そんなのはよほどの精神が強くないと無理だからとも言ってる。

二部、幸福をもたらすもの。
まず最初にこんなに世の中不幸だらけなのに本当に幸福ってできるんか?って疑問から始まる。結論としてはどんなことでもいいから、一生懸命やれることをいくつか作るのがいいってことらしい。特に複雑な技術を駆使したりする仕事は幸福な可能性が高いらしい。もちろんミケランジェロみたいに生活苦しすぎて仕方なく芸術家になった男もいるわけだが。
そうして挙げられた幸福のエッセンスは、熱意、愛情、家庭、仕事、私心のない興味、努力とあきらめ、とのこと。
熱意。そりゃ熱意をもってなにかやってりゃ幸せですわ、そんだけ。
愛情。愛情とは互いを幸福にしていくということ。また、互いに社会的な孤立を解消する場を作るということ。それによって、社会で挑戦する自尊心を身に着けること、とのこと。
家庭。家庭は大事。そりゃね。ただし、子どもを束縛するようなことをすると現代社会では不幸になるから気をつけなってことですね。
仕事。適度な仕事はいい。空いてる時間が大きすぎると潰すのに必死で疲れてしまうらしい。でもやりすぎはダメだってさ。当然だよね。あと技術を生かした仕事か建設が大事とのこと。建設っていうのは何でもよくて何かを作ればいい。僕がブロマガを書いている時ちょっと気分が楽になるのはこういうことらしい。
私心のない興味。広く興味もてって話。野心とか関係ない趣味を作れって話。
努力とあきらめ。この現代、努力なしでは絶対に幸福になれない!だが、やりすぎると不幸になるから、たまには諦めろって話。競争とかねたみとかはこういう心。
そして最後、幸福な人というタイトルの節。以下幸福な人のまとめ。
 
 全ての不幸は、ある種の分裂あるいは統合の欠如に起因するのである。意識的な精神と無意識な精神とをうまく調整できないとき、自我の中に分裂が生じる。自我と社会とが客観的な関心や愛情によって統合されていないとき、両者間の統合の欠如が生じる。幸福な人とは、こうした統一のどちらにも失敗していない人のことである。自分の人格が内部で分裂してもいないし、世間とも対立していない人のことである。

 ところがここからカルト教団の教祖になる。
 
 そのような人は、自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙が差し出すスペクタルや、宇宙が与える喜びを存分にエンジョイする。また、自分の後に来る子孫と自分は本当に別個な存在だとは感じないので、死を思って悩むこともない。このように、生命の流れと深く本能的に結合しているところに、最も大きな歓喜が見いだされるのである。

 だそうだ。
 結局のところ、疲れすぎないように適度なところで諦めて、でも適度なところで楽しむのが最高の幸せだよ!ってことらしい。
 くっそつまんねえ結論でしたね。僕は絶対に何かを成し遂げなければという意思だけは掲げていくつもりであるから、皆もよく認識しておくように。