うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

夏目漱石「行人」読書感想文

こんばんは、僕です。
PCを15万のやばいやつ買いました。PUBGも普通にできるレベルだと思います。代わりに海外旅行はなくなりました。悲しいです。

 さて、今回は夏目漱石の「行人」 知っている方も多いと思いますが、読んだのは二度目。最近は新しい作品より、過去によかったなァ・・・と思った本を振り返りをしております。再発見できて、やっぱり面白い。名作だからこそ、スルメのような味がにじみ出ます。
 いつものように要約から始めます!!!!だるいのでwikiをコピペしながらやります
 
 主人公二郎が友人の三沢と大阪で待ち合わせするところから始まる。場所は古い知り合いの岡田家。全く連絡がつかないと思ったら三沢は、胃腸を悪くして病院に入院していた。二郎が三沢のお見舞いに何度も行くうちに、ある女性の患者が気になるようになる。三沢に彼女のことを話すと、三沢はその女と入院する前に会って一緒に酒を飲んだという。相手も胃が悪いのを知りつつ飲ませ続けた結果、今や死にかけらしい。このことに罪悪感を感じていた三沢は、なんとか二郎から金を借りてその女の病室を見舞った。
 三沢が退院する段になって、彼は急に、同じ家に住んでいた「娘さん」の話を二郎に始めた。娘さんは旦那と離婚して精神を患ったのである。そんな彼女は三沢が外出するたびに「早く帰って頂戴ね」と毎回言うので、妙な愛着が沸いて、早く帰ってきたり、ただいまと言ったりするようになった。三沢は精神病で意味のないことだとわかっていても、彼女に本心から愛されていると思いたかったという妙な恋心を打ち明ける。そして、その娘さんは死にかけの女性と顔が似ているのだった。
 三沢を送った翌日、二郎の母と兄・一郎、兄の嫁・直が大阪にやってきた。四人は観光のためにしばらく滞在する。その折、妻を信じきれない一郎は二郎に対して、直と二人きりで一晩泊まり、彼女の節操を試してほしいと依頼される。二郎は拒否するがとうとう直と二人で旅行することとなる。日帰りのつもりが嵐のせいで二人は一晩過ごして、一郎たちのもとへ帰った。一郎は何度も、嵐の日のことを聞きたがるのだが、「問題ない」と一言だけ伝えて煮え切らない二郎。結局、詳しい話を東京で話すことを約束して、四人は東京へ帰った。
 東京へ戻ってからしばらくすると、一郎は再び二郎に嵐の晩のことを話すよう迫る。だが、それでもまだ答えようとしない二郎に対してついに一郎は怒り、大喧嘩。以後、家の居心地が悪くなった二郎は、下宿に暮らすことを決めて家を出た。そのころから、兄の様子が家族の目から見てもおかしくなったと、二郎は周囲から聞かされる。
 二郎は両親と相談し、一郎をその親友のHに頼んで、旅行に連れ出してもらう。二郎はHに、旅行中の一郎の様子を手紙に書いて送ってくれと頼んだ。一郎とHが旅行に出かけて11日目にHから長い手紙が届いた。その中には旅行中の兄の苦悩が、Hの目を通して詳しく書かれていた。


 ということで、手抜き丸出しの要約でした。
 さて、このHの手紙にあの有名な言葉「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」が出てきます。
 人間の心の不明瞭なところをはっきりと突き止めようとする一郎の苦悩が描かれています。最初の相手は嫁の直です。二郎とは明るくふるまうのに、一郎に対しては静かに付き添っている様子を見て、疑いの念を持って、旅行させます。
 また、三沢の話について一郎は「精神病になれば、人は正直になるらしい」とこぼし、人の心を明確にしたいという考えが出てきます。
 こうして見えてくるのが一郎と社会のズレです。
 西洋の学問を突き詰めていくと、どれほど細かいものも、分析せずには済まなくなりますし、また理想的な世界について考えを持ちます。兄の場合、心のうちを隠さずに正直に話す真面目な世界、西洋の近代的な学問を学んだ彼ならではの理想です。でも、世の中は違います。その代表的なのが、当時の結婚制度。妻は夫に合わせるという習慣です。一郎自身、物静かな男なので、直も静かに合わせるのですが、その行動自体が夫を悩ませることになるのです。また、二郎も問題ないと言ったきり、それ以上話さなかったりと不真面目なのです。
 また一郎が白黒はっきりさせるべきだと考えているのに対して、日本社会は玉虫色に濁す社会であり、根本的に違うのです。
 近代知識人の苦悩と呼ばれるものはここにあるのです。

 最後にそのどうしようもないズレに対しての解決策。真面目で、正直者で、分析せずにはいられない一郎は、ついに死ぬ、つまり「思考を止める」、気が違う、つまり「思考回路がだめになる」、宗教に入る、つまり「神を信じることで世の中に疑問をもたなくなる」しかないという結論に至るのです。
 彼にとって死ぬのは未練があるからできない。では、宗教に入るのは?こちらもやはり不可能なのです。なぜなら、宗教に入ると外から認識している以上、心から信じることができないからです。最終的に残されたのは精神病になるということ、という答えが残ってくるのです。
 夏目漱石の小説によく出てくる、近代の学問を突き詰めると日本人は精神病になるという言葉の意味がよく見えてくるわけです。
 
 こうやって読んでいくと、どうも僕に似ているなぁと思う。僕も余計なことをずっと考える悪癖があるからだ。ただ、やっぱり主人公はフィクションなので100%真面目。でも僕は20%くらいは不真面目だと思うので、わずかな社交性も持っていてギリギリつながりを保っているところが唯一の救いだろう。
 今でもよく思う、大学時代に本を読まなければよかったと。読みすぎて、勉強しすぎて、分析的になりすぎてしまった。もっと昔のように何も考えず適当なことを言うような人間に戻りたい。