うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

沖縄戦から72年 朝起きて元気になったので、改めました^^

大学三年生の夏、降りしきる日差しを体に受けながら、いつまでも続くフェンスの横を歩いていた。右側には民家が立ち並び、左にはフェンスが聳え立つ。眺めていると、所々に看板が設置してあった。「無断で立ち入ることはできません。違反者は日本国の法律に依って罰せられる」と少し変な日本語で書いてある。奥には何の変哲もない、灰色のコンクリートでできた建物が立ち並んでいる。大きな道もある。だが人影はなく、音もない。
 これが、僕の見た沖縄の普天間基地の全てである。島の中心の一等地に建つ巨大な他国の基地。日本であっても、日本人は入れない。沖縄は占領地、と言う人がいるのも理解できた。
 72年前、沖縄戦があった。第二次世界大戦終盤の出来事である。本土への侵攻を防ぐべく、捨て駒となったのである。
 もう戦争の時代は終わった。72年も経過したが、今も沖縄は捨て駒である。外交の道具だ。基地を撤去する機会はいくらでもあったが、全て断ってきた。アメリカに守ってもらうためである。そのメリットは日本にはあって、沖縄にはない。
 理由は二つある。一つは、基地経済の恩恵よりも、一等地を使えない機会損失の方が大きくいこと。もう一つは、在日米軍の犯罪が絶えないことだ。
 では、基地はどうしても沖縄でなければならないのだろうか?。冷戦期における沖縄は、朝鮮半島や中国に対して、軍隊を送り込むために最適の位置にあった。だが72年後、現代の戦争の中心は軍隊ではなく、ミサイルである。位置は関係ないのである。
 この状況下で未だに沖縄にあるのは、日本人の悪い習性に起因している。尤もらしい理論を翳して、悪事を行う。周囲も曖昧さで誤魔化し続け、見て見ぬふりを決め込むような欺瞞に満ち溢れた態度。
 皆、心の中で沖縄の基地問題が悪いことだとわかっている。でも、自分には関係ないのだ。第三者だから、適当な論理で基地を正当化できるし、それ以上深入りしない。やぶ蛇怖さに、臭いものには蓋をするのだ。
 僕はこういう欺瞞は絶対に許せないんです。終わり。