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つまりそういうこと

「李陵」読書感想文

どうも僕です。
 こうやって感想文を毎回書くと、普通に読んでいるときより、深く考えて感想を引き絞ろうとする自尊心が出てきて、本を味わえるからいいよな。

 時代は漢の武帝の時代、将軍李陵が匈奴(モンゴルあたりの遊牧民族)を征伐しようとした話。途中で武帝の怒りを買って、死ににいくのと同義の遠征を強いられ、結局匈奴に捕えられる。彼は、いつか単于を殺して、漢に逃げ帰ることを考えながらついていくことに決めた。一方、漢では自分にも怒りが飛んでくるのを恐れて、家臣達は李陵の悪口を散々言いふらすんだけども、司馬遷は一人だけ彼を褒めてちんこを切られる。彼は歴史家で、ちんこ切られて男としての人生が終わったものの、歴史を書くという使命感によって生き続ける。
 一方、匈奴の世界では、いくら敵の捕虜であっても強者には相応の待遇が与えられるので、李陵は匈奴のボス、単于(王と同じような意味)に丁重に扱われ、戦の手伝いをするようになったり、単于の息子に自分の軍人としての知恵を教えるようになる。ただ、忠義の心から漢と戦う事だけは断固拒否していた。一方で、漢と匈奴が戦いを始めると愛着の沸いた教え子をひそかに応援する自分に苦しみ始める。しかし、漢の武帝が李陵の家族を皆殺しにしたことを知って、ついに漢とも戦う決意を一応する。
 ここで新キャラ蘇武登場。彼は匈奴の捕虜となって、忠義の為に自殺をするも死に損ね、そのあとは自殺することもなく、ただ漢に戻る日々を想像して僻地で過ごし続けていた。ちなみに蘇武のじいさんは武帝の交通を妨げたとかで殺されている。李陵は蘇武に会って、彼の何の見返りも求めない忠義に良心の呵責を覚える。
 武帝が死んで、二人は帰るチャンスを得るが、李陵は匈奴に残り、蘇武は漢に戻っておしまい。

 この作品は、李陵、司馬遷、蘇武の三人の生き方が対比されてる。李陵はたぶん最も人間らしい。勝手にキレて死地に追いやった挙句、家族もぶっ殺し、親も爺さんも殺されてる君主より、自分のことを認めて丁重に扱ってくれる人間の方がよっぽどいいに決まっている。名誉より感情に素直な人間と言える。
 司馬遷は、とにかく自分のやるべきと決めた義務によって生かされるタイプ。ちんこを切られて、名誉を失っても、歴史を書くという義務によって生き続ける。己の信念に忠実な人間と言える。
 蘇武は、最初から最後まで国への忠義を貫いた人間。こいつがいることで、李陵の普通の人間らしさが強く出てくるし、国への忠義を失っても、代わりに信じる者があってそれに突き進む司馬遷の存在が見えてくる。
 まぁとにかく、人間ってどんだけ着飾っても李陵みたいなやつしかいねえよなって話だと勝手に解釈した。じゃあな。