うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

もう一度行きたい場所

お題「もう一度行きたい場所」

 お題スロット便利すぎる。今回のお題はもう一度行きたい場所だそうだ。

 やはりもう一度行きたい場所といえば、イタリアである。

 初めての海外旅行で行ったあの国は本当に素晴らしかった。特にローマ。あの都市の存在そのものが遺跡である。

 日本にも似たようなものに京都があるが、寺社仏閣はどうもしょぼい。全部木造なのが悪い。名前自体は歴史があるものが多いのだが、オンボロか、改装されて歴史もくそもない建物がある。オンボロの場合は悲惨だ。木造の場合、黒ずんでいて、妙なにおいがする。古き良きというより、汚い。「地震に耐えてきた!」などといってもそれは建築家が感動する話で、僕らにとってはただの汚い木である。

 悪口はさておき、ローマの遺跡は本当に素晴らしかった。町のど真ん中にコロッセオがある。コンスタンティヌスの門がある。七つの丘の石造りの街並みがある。そして、何より同じ宗教施設でも教会は石造りで、ガラスはモザイク画が陽光を内部に通し、虹色に輝いている!石に腐った匂いはない!だって腐らないから!既に朽ちかけ、首の皮一つでつながっている寺社と違い、こちらはこれから更に何千年も続く存在感をもっている。

 コロッセオはその巨大さ故、戦争時には壊して武器等の材料にしたそうである。それだけ大量消費してもなお、半分以上残る壮大さ。想像してみてほしい。我々が観客席に座って、ど真ん中のフィールドを見ている視線を。広大な観客席はローマ市民によって埋め尽くされ、皆思い思いの歓声を上げている。ビルと同じくらい高い観客席から見る景色。壮観である。果たして日本にこうした偉大な建築物があるだろうか?

 また、宗教面でも全く違う。教会には寺社と違って本当に一般庶民が祈りにやってくる。日本ではお願いをするときだけにやってくる。普段は何のお祈りもしないのに、怠惰な愚民である。イタリアとは大違いだ。

 すぐ近くにはバチカン市国があり、ローマ法皇がいる。中には大量の芸術品が所蔵されており、教会が美術館そのものである。

 寺社には何があるだろうか・・・?石庭・・・?地獄絵図・・・?汚らしい三次元も知らない絵だらけである。

 システィーナ礼拝堂の天井画を見たときは本当に身震いした。ミケランジェロの書いたあの作品。天井から人が飛び出ているように見え、肉体の力強さに満ちている。

 飲食店も格が違う。店員は客引きに一生懸命で、いつも笑顔でグラッツェと声をかけてくれる。目が合えば、すぐに注文を聞きに来てくれるし、水がなくなればすぐに入れに来る。日本の店員にはその熱心さは皆無である。

 唯一汚いものがあるとすれば、大量の乞食がいるということだ。日本にはホームレスがいても、乞食はいない。何故だかわからないが、日本のホームレスは静かに生きている。しかし、イタリアの乞食はそうではない。驚くほど大きな瘤を見せつける者、包帯でぐるぐる巻きになった腕を叩きつけてアピールする者、ただ拝み続ける者、いろんな乞食が町の至る所に存在していた。

 また、少し綺麗な人間の中には、ゴミの中からペットボトルを漁り、川の水を汲み、100ユーロで売る人、プレゼントのように花を相手に押し付け、受け取ったら金を取る人、写真を取ったら金を取るコスプレイヤーなど、怪しげな人物がたくさんいた。

 天国と地獄が二重になっている場所がローマであった。一日半ほど、歩き回って街並を体にしみこませたつもりではあるが、まだまだ足りない。というよりローマに住みたい。

 とにかく心が揺さぶられる町、ローマに私はもう一度行きたいと思っている。