うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

年末の酒乱日記

 どうも、僕です。
 今日もね、ブロマガ書いていきますよ、一言面白いとだけコメントしていってくださいね。
いやね、ツイッターで散々喚き散らしましたが、精神の疲弊が激しい。俺はよく年末とか楽しく酒を飲んだ後とかはヘラる。他の人はどうなのか、私!気になります!これコメントポイントなんで、見たやつは一言教えてくださいね!

 今回は朝の五時まで飲んでいた。
 その始まりは、12月29日。銀行の同期との飲み会である。僕が主催者となる場合が多く、たまに放送でぼそぼそ愚痴っている、あの飲み会である。
 というのも同期は相当我が強い。岐阜駅でやるか名古屋駅でやるかという問題になると特に面倒なことになる。僕は岐阜の人間であり、グループ全体で見ても岐阜の割合が大きい。しかし、名古屋の動機の一人はあまりに遠い場所に住んでいるために、もし岐阜でやるならば絶対に来ることができない。一方岐阜の人間は、名古屋に行くので、当然交通費は嵩むが帰るのは簡単な場所に住んでいる。また、いつも遠いせいで行けない名古屋人は、何かと車を出してくれるから、皆日頃から恩を感じている聖人である。なおさら、我々が名古屋に行くのがベストであろう。
 しかし、岐阜の人間はゴミしかいない。絶対に来ないのだ。奴らは一瞬のめんどくささに耐えられず、恩を仇で返すのだ。なんという薄情な奴らか。全く許されない男たちである。もう全員参加するという宣言をして、場所を決め始めたせいで余計に如何ともしがたい状況に置かれたのだった。
 すかさず僕は同期の中でも一番の出世頭の男に個人LINEした
 「だから俺は言ったんだよ。このグループで唐突に忘年会なんて無理だってな!」
 「そりゃそうだな」
 「どうする?」
 「どちらかを切るしかないでしょうね」
 「僕は民主主義者なんで、どちらかを切るようなファシスト的思考は無理ですわ」
 「さすがだな」
 この短い糞みたいなやり取りで私は決意した。正義は名古屋人にあった。そのため、私はわざわざLINEで、このタイミングで来れない奴はゴミだと言わんばかりに名古屋を正当化しまくった。そのうえで、名古屋で開催することを決定したのである。一度くらい僕もプロパガンダをやりたかったので、ちょっと面白かった。ルーズベルトだのチャーチルだのヒトラーになった気分だった。なんだかんだ姑息な理由をつけて当日岐阜の人間はドタキャンしたが、完全に悪者にして、飲み会を始めたのだった。
 出世頭のやつはヤケに野心をむき出しにするので、ちょっと煽ると楽しいのだが、煽った後微妙に空気が悪くなるので、よいしょして収めるまでがテンプレである。
 なんやかんやで飲みは終わり、普通に就寝。2時ごろだったと思う。
 
 12月30日13時。私は男四人で飲む約束をしていた。
 彼らとは一年振りの再会であった。いつもならもう少し会っているのだが、今年は過呼吸で、会えなかったのである。久しぶりということで、プレゼントにレイバンのサングラスと、ついでにゲロ袋をもらった。
 吸いもしないのにたばこを奪い取って、口に咥え、ポケットに手を突っ込んで斜め上を見る。ダグラス・マッカーサー元帥誕生の瞬間だ。イメージを頭に浮かべながら興奮した。こういう粋なプレゼントをしてくれる彼のことはよく竹馬の友と呼んでいる。それから二時間くらい僕と竹馬の友は全て英語で話した。両者ともにチンパンなので、中学生レベルの単語しか出てこなかったが、マッカーサーの気分だけは味わえた。
 しかし、そこからはめちゃくちゃだった。僕はタバコのにおいに耐え切れず、大量の箱を握りつぶし続けた。もちろん友人のタバコである。更に鍛え上げた筋肉を使って、腕相撲で完膚なきまでに勝利し、挙句の果てに酔った勢いで思い切り友人の背中をぶん殴った。
 「貴様!飲めないとは日和見主義の頽廃主義者か!」
 などと急に左翼っぽい色を出しながら、自分はべろべろだというのに飲めない友人にアルハラまでした。とんねるずを彷彿とさせるノリだった。
 散々暴れまくった挙句、酔いつぶれて一時間近く寝た後、くれたゲロ袋にすべて出した。漏れそうになるほど大量に出したので、皆ひやひやしていたという。それを歩道にさりげなく捨て置き、二次会のためにATMへ直行。
 僕の職場の銀行のATM。そこで急に竹馬の友が暴れだした。置いてあるチラシをとってばら撒きながら、機械の方に行き、十万おろしたあと更に札束をばら撒く。これはクビになると直感した僕はすぐさまチラシを片付け、札束を回収し、出口につまみ出した。手数料いただきまして、ありがとうございました^^
 二次会の途中で、当初から約束していた飲み会に行ったが、ほとんど酒を飲まずに金を払うのが嫌で、後からくるから!と適当なことを言って逃げた。それでも許してくれるのが我が竹馬の友である。彼らと一緒にいると、自分が太宰治になった気がする。僕が去った後、竹馬の友はタバコを友人の耳に当てて大ゲンカしたらしい。ガイジは二人いないと場が均衡しなかった。

 さて、今度は僕の高校時代の部活の後輩が開いてくれた会である。僕の同級生が三人、後輩が四人、計七人の飲み会だ。
 僕は序盤に書いたように飲み会を主催してしまう男だから、他人主催の飲み会は、本当に何年振りかというくらい久しぶりだ。また、ゲロ吐いてシラフに戻りつつあったので、行く前から気分が弾んだ。誰が来るとか調節したり、声掛けしてないって最高。
 食べ逃げに夢中になっており、開始の30分くらい前から店を出た。次の会場は徒歩数分。当然早すぎる。LINEで「皆さんいつごろ来ますか?」と聞くと「五分前」「七時ちょうど」など返信が返ってきてしまい、自分の非を認めたくなくて「遅すぎません?」と悔し紛れに一言。寒さに震えながらラインを見ていると「もう着きます」との主催者からの返信。有能である。いつもは僕の役目だったから、もう一度感動した。
 結局、僕が着くより早く待っていた彼女との感動の再開を果たし、寒いからと20分も早いのに中に入った。
 ここでも私は感動した。幹事席に座らなくてもよかったのだ。注文が一番しやすい場所、食べ物がすぐに運ばれてくる場所、である。そうか・・・俺は今日何も考えなくていい・・・。感動した。同級生であってもヤケに気を遣う癖があるから、真の意味で気の休まる飲み会などというのは人生で始めてかもしれない。そう、ぶん殴っていても多少は気を遣っていたのだ。
 話した内容はあまり覚えていない。完全に脊髄反射でだらだら話していたせいだと思う。酒をたくさん煽られたが、意外と飲めたのを覚えている。吐きまくったおかげで耐性がついたらしい。人間は一日で進化するのだ。もはや暴れる気は失せていた。先の飲み会で疲れ果てたのである。
 唯一覚えているのはヤケに結婚の話をしていることだった。相手がいないだのなんだのと、後輩たちがよく話していた。
 三次会くらいまで来ると、僕はセンチメンタルうひょーになった。今年で24歳。収入もそれなり、やっぱり結婚しなければ・・・。あけおめのブロマガに続く。
 気分が落ち込んできた時、僕は周りを見てブロマガのネタを探す、まず左を見て、あ~あの人はこういう組み合わせかと納得し、右の小窓を除いて、合コンしているなぁ・・・、あれ?さっきは男女22で向き合ってたのに男女一組の対面に席が変わっているぞ、と勝手にわくわくする。後輩の後ろの集団は意外と歳いってるなぁ・・・などなど。
 「先輩お眠ですか?」
 と有能後輩の妙な猫なで声で、目の前の現実に戻ってくるのを10回は繰り返したと思う。その間に何回か八海山を乾杯させられた。終盤は彼女も疲れて飲めていなかったので、少しほっとしたのを覚えている。三次会は一万ぐらい適当に出した。
 一人だけ、下の世代で部長だった男の後輩が余分にお金を出したのも覚えている。半分くらいポーズだろうに、「いいから、いいから」とお金を返すのを完全に忘れていた。申し訳ねぇな。しかも一番「ありがとうございました!」って言ってくれたんだよな、待機したままドア開けてくれて、エレベーターも準備しててよぉ・・・。本当に申し訳ねぇなwwwwwすまんこまんこwwww
 帰り際、そんな彼の自転車のペダルを酔った男たちが外して遊んでいた。
 「あいつら子どもなんですよ~」
 と有能後輩が言うので、
 「そうやなぁ~」
 とちょっと威厳を表明したが、どの口が言うかというツッコミを自分で入れていた。
 結局一人寂しく帰り、朝7時、僕は眠った。本当にこういう後輩が欲しい、切にそう願ってしまうあの職場に戻っていく絶望を感じつつ。
 最悪だった2017年も最後だけは最高に終われたのである。散々迷惑をかけた友人たち、後輩たち、ありがとな。終わり。