うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

読書感想文 G・ガルシア・マルケス「百年の孤独」

どうもお久しぶりです。僕です。

同じような内容を繰り返すだけだったので書いていませんでした。皆さんも、少し飽きてきていたのではないでしょうか?

今回は僕のブログの本領、読書感想文でございます。はてなブログで初めて読んでいただいた読者の方々も、この記事を読むことで、まるで自分が読んだことがあるようにインテリぶって話していただきたい。

最初に言っておきますが、この作品で読書感想文を書こうとしたことを後悔している。ほとんど支離滅裂にしか見えないかもしれない。本は自分で読んでもらって、最後の<感想>のところだけ読んでもらうのがいいかもしれない。
さて、記念すべきはてなブログ最初の本は、G・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」です。

Gで略されていますが、本当は「ガブリエル・ホセ・デ・ラ・コンコルディアガルシア・マルケス」という名前です。コロンビア出身のノーベル文学賞作家でございます。この長い名前は南米特有で、自分の血筋をひたすら表したりするせいで、文字数が増えてしまうのです。
そんな作者の人生を反映したのか、「百年の孤独」の舞台は南米を想像させる熱帯と、自然に囲まれた原住民のような登場人物がたくさん出てきます。

コロンビアのリオアチャにある村に、近親相姦が続いていた一族がいるのですが、ある時ついに豚の尻尾が生えた奇形児が生まれてしまいます。

そんな中、この話の最初の登場人物であるホセ・アルカディオ・ブエンディアと、ウルスラ・イグアランの二人の男女が恋に落ちます。今まで同様、二人も近い血縁関係なので、豚の尻尾が生まれてしまうのを恐れて、ウルスラは子作りを拒否します。おかげで、不仲のうわさが流れ、ある日、ホセ・アルカディオが、そのことを馬鹿にした友人を殺してしまいます。

殺した友人の亡霊がホセ・アルカディオを苦しめ続けるので、村を出て、新しい村である「マコンド」を建設し、ここを舞台に話が始まります。

この二人の間の子どもは豚の尻尾が生えず、普通に育ちましたが、ウルスラは近親相姦禁止の家訓を残します。

 

という話なのですが、この話をこれ以上要約することはできません。小説全体が、このホセ・アルカディオの一族を巡る事件を要約した内容になっているからです。

例えば、最初の二人から子どもが3人生まれ、一人が拾われ家族の一員になるのですが、みんなバラバラに人生を送ります。長男のホセ・アルカディオは飲んだくれ、女好き、冒険家です。弟のアウレリャノ・ブエンディアは反乱軍として32回戦って、負けるという伝説を残します。アマランタは恋した男たち全員死にます。拾われてきたレベーカは、最終的に夫をなくし、孤独のうちに死にます。これが四世代くらい続きます。全部書くと気が狂いそうになりますね。

全体的には現実と非現実が入り混じる内容となっています。ジプシーのメルキアデスという男が、ホセ・アルカディオの唯一の親友になるのですが、その男が空飛ぶ絨毯だったり、よくわからないけど治る薬を持ってきたりするのです。また、村全体が変な不眠症に取りつかれることがあれば、幽霊もたくさん出てきます。かと思えば、普通に電話だの電車だのが出てきますし、自由党と保守党なんか出てきて現実的な政治色が出てきます。

どっかの馬鹿が、これを素晴らしい技法だということで魔術的リアリズムなどと仰々しく名付けています。そんなこと言ったら、ハリーポッターでも異世界ラノベ魔術的リアリズムだがwww

 

やはりこの小説で一番衝撃的な話はアウレリャノ・ブエンディア大佐と、ホセ・アルカディオ・セグンド(ホセ・アルカディオの孫)の話でしょう。

アウレリャノ・ブエンディア大佐は当初、金細工をひたすら作り続けるだけの職人だったのですが、ある時を境に国内全土で名前を知られるほどの大物になります。ところが人生の最後に、自分が誰一人愛することなく、何かの思想を持つわけでもなく、孤独のうちに生きてきたことを悟り、ひっそりと死にます。ちなみに超有名人だったので、彼の作った金細工は記念品としてファンが買うくらいでした。

ホセ・アルカディオ・セグンドはマコンドがとんでもなく栄えてきた時代に生きた男です。その時代は、バナナ会社がやってきて、村に社員寮だの農村だのを作って町へと発展させていました。ところがこのバナナ会社がブラック企業で、ホセ・アルカディオ・セグンドが中心となって、ストライキを始めるのです。ストライキは三千人ほど集まり、次第に暴徒となっていき、バナナ会社を潰せるほどの大きな勢力になります。ところが、巧みなバナナ会社の罠によって全員機関銃で殺されて、海に投げ捨てられてしまうのです。

しかも、政府の発表によってその虐殺は隠され、皆平穏無事に家に帰ったということにされ、誰もその事実を信じないのです。

そんな波乱万丈な様々な出来事が起きる中で、物語の最後まで生きる男、アウレリャノ・バビロニアが現れます。その時にはマコンドは既にさびれていて、バナナ会社がいたときのような繁栄の面影すらありません。それどころか、アウレリャノ・ブエンディア大佐を覚えている人すらいません。

誰一人として覚えていないのです。そして、村から人がどんどんいなくなっていきます。外に出ていきます。アマランタ・バビロニアはどんどん孤独になっていき、最後には叔母に当たるアウレリャノ・ウルスラとの愛のみが残されます。その愛の末に生まれたのが豚の尻尾を持つ子どもです。もはや百年以上も前の話で、豚の尻尾の話を覚えているものもいませんでした。ウルスラは産後に体調を崩して死んでしまいます。そして子どももすぐに死んで、死体はアリの餌になります。

完全に孤独になったアウレリャノ・バビロニアは、最後にジプシーのメルキアデスが書き記した暗号のメモを解読します。

そこにはなんと、この小説でつづられていた話が全て書かれていたのです。

最後はこう締めくくられます。

「予言の先回りをして、自分が死ぬ日とその時の様子を調べるために、さらにページを飛ばした。しかし、最後の行に達するまでもなく、もはやこの部屋から出るときのないことを彼は知っていた。なぜならば、アウレリャノ・バビロニアが羊皮紙の解読を終えたまさにその瞬間に、この鏡の町は風によってなぎ倒され、人間の記憶から消えることは明らかだったからだ。また、百年の孤独を運命づけられた家系は二度と地上に出現する機械を持ちえないため、羊皮紙に記されている事柄のいっさいは、過去と未来を問わず、反復の可能性のないことが予想されたからである。」

 

と、いうことで、これだけ読んでもさっぱり意味がわからない小説だったのではないでしょうか。要約が出来ないとはまさにこのことですね。

 

<感想>

この本では孤独と、忘却と、愛がしばしば出てきます。ホセ・アルカディオは最後ボケます。ウルスラもボケます。ずっと昔話を続けます。
アウレリャノ・ブエンディア大佐はレメディオスという女性と結婚しますが、すぐに死にます。彼女のことを思って、詩を書いたりしてたのですが、大佐は死ぬ間際に結局自分のことしか考えてなかったのだと悟ります。

飲んだくれと娼婦が最後の最後で、体を交えない愛情もあることを知ります。

アウレリャノ・バビロニアは、孤独と忘却にに襲われ続ける中で、アマランタとの愛に逃避します。

大佐のように有名になっても架空の人物になってしまいますし、バナナで繁栄を誇ったマコンドも地図から消えてしまいます。全て忘れ去られ、過去にも未来にもその存在が認識されることはなく、消え去ってしまいます。思えば、僕らの人生とはそういうものではないでしょうか?どれだけ一生懸命生きても、最後はこうなるのではないでしょうか?

世界史ではアレキサンダー大王が今でも覚えられています。でもそれより前、例えば原始時代の英雄など誰が覚えているでしょうか?何かそういう祖先がいただけで、その中の英雄だの一族だのはもはや存在しなかったものになっています。

更に広げましょう。今これほど発達している人類の社会も、結局人類が滅亡すれば記憶そのものが消滅し、元々なかったものと変わらなくなります。

そういう意味では我々は孤独なのです。忘却され、今生きているという事実はいつか忘れ去られ、確実に消え去ります。覚えているのは誰なんでしょうか?自分自身でしょうか?無が私たちを包んでいるのです。その究極の孤独の中でこそ、愛が輝くのです。バタイユは「エロティシズム」という本で、人間は根源的に孤独であり、エロティシズムのみが孤独をごまかすことができることを示しました。

孤独であるからこそ愛は強烈になるのです。友達だとか知り合いだとかではだめなのです。メンヘラチックですが、やはりそういう結論にならざるを得ないと思います。

百年以上の出来事をたった470ページで語りつくすことによって、一層忘却と孤独と愛が強く感じられる、そんな作品になっています。

是非一度皆さん読んでみてはいかかでしょうか?

終わり。