うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

理不尽で、屈辱的な表彰

   今週のお題「表彰状」

   思い返すと、表彰状とは無縁の人生であった。自尊心だけが高い私としては、非常に苦々しい思いを持った。という記憶は特にないのが不思議である。苦々しくないが、理不尽な表彰は覚えている。

 それは、中学時代の夏休みの自由研究のことだ。 当時の私はまだ理系志望であった。ロボットを作りたいという夢に満ち溢れ、エジソン大好き少年である。

   野心家の私は船を作ろうとした。草船ではない。動力が電気で、モーターにつけた羽根で掻いて進む、ちょっと近代的な船である。

   私の想像では非常に簡単にできるはずだった。モーターに底を羽根のように切ったペットボトルをくっつけるだけ。完成したら、飾って見栄えよくするのが一番の難題だと考えていた。

   当然失敗した。羽根をモーターにボンドでつけたのだが、水圧に耐えられず、外れてしまったのだ。そりゃボンドじゃ無理だと、接着剤にした。外れた。 ヤケクソになってガムテープでグルグルにした。外れた。

   釘では止められなかった。モーターの先端は非常に小さく、釘が刺さる空間がない。仕方なく私は断念した。

   今、思い返すと、船を作っている職人のすごさを実感する。 溶接しているとすれば、水圧に耐えるために、何重にも溶接しないとダメだろうし、釘を使うとしても、何本も細かくさして水圧を分散しなければたちまち自由研究になってしまうだろう。一見単純な船も、先人の苦悩によって出来たのだと思うと感慨深い。

   そんなわけで私の自由研究は、扇風機になった。モーターに羽根をつけ、取っ手をつけただけの扇風機である。大変危険な代物だ。顔を近づけて涼しんでる最中に倒れでもしたら、大怪我するだろう。

   ここでも扇風機メーカーの血の滲むような努力を感じた。風を起こすのは簡単だ。自由研究でもできる。しかし、問題は羽根よりガードの方である。風を通すように網目状にしてあるが、自由研究では不可能だ。一定の強度を保ちつつ出来るだけ網目を大きくしたガードを作る必要があるからだ。

   その点、ダイソンはすごい。羽根がない。お客さんの事務所に置いてあったので、社長に頼んで、手を通して遊ばせてもらったのはいい思い出である。

   さて、私は扇風機を持っていった。我ながら奇抜なものだと、自信はあった。しかし、互いに評価する授業の時間、それは見向きもされなかった。純粋に褒めてくれたのは、私の幼馴染だけであった。昔から妙に偽善に鋭かった私は、男友達としては彼だけと仲が良かった。純粋な感情で動くことが多かったからである。

   授業の最後になり、表彰の時間。選ばれたのは引きこもりの作品であった。それはサッカーロボットだった。ボールから赤外線が出ていて、センサーで察知して追いかける代物である。

   私は愕然とした。嫉妬とか、賞賛とか、そういう類のものではない。それを私も持っていた。しかもより高度にプログラミングされたものを作っていたのである。

   なぜ、まったく同じものを持っていたのか?実は夏休みに岐阜市の科学館で、ロボット講座をやっていたのである。皆でまず溶接だのなんだのをやりつつ、ロボットを作り、そのあとC言語なるものでプログラミングをするのだ。そして、引きこもりも同じ場所にいたのである。

    そして、何度も言うが引きこもりより優れたプログラミングをしていた。奴のロボットはドリブルの最中にボールを見失い、明後日の方向に行ってしまうポンコツである。

   私のは全く違う。多少のことでは絶対にボールを離さない、安定したドリブルができた。更に見失ってもすぐに発見して追いかけ始める。明後日の方向に行かないように短いスパンでボールを執拗に探し続けるプログラムにしていた。それに気を取られすぎて、オウンゴール対策をせず、自滅したのは玉に瑕であったが。

   とはいえ、低脳な引きこもりとクラスでトップレベルの頭脳を持つ私、人間のスペックの差が、ロボットにも出ていたのは事実である。

   しかし、表彰されたのは引きこもりであった。

    私はロボットについて、講座で先生やキモヲタの兄ちゃん、隣の友達と試行錯誤して作ったから、自分の作品ではないと考え、自由研究にせず、新しく作った。

   全て間違いだった。思えばくだらぬ武士道スピリットである。結局怠け者のクズに負けたのだ。

   そういう意味で私は日本人だった。せこせこ妙な武士道を胸に、技術を磨くだけ。アピールをしないから、技術では上でも他所に負ける。日本企業はそうやって負けてきた。私も負けた。

   サッカーロボットがポンコツだろうと、素人目には問題ではない。それっぽいロボットが少しの時間ボールを追いかければいいのである。執拗にボールを離さない必要はない。

   亀山モデルがサムスンに負けたのも同じことだ。見ることができればいい。綺麗さはある程度の水準をクリアしていれば問題ない。

   両者の決定的な差は世に出したかということだ。私は出していない。亀山モデルは出すには出したが、日本ばかりで世界を向いていなかった。

   大変屈辱的な敗北を喫した私は、その後いかにアピールをするかという、形を意識することになる。ある意味では人生にも大きな影響を与えた表彰であった。

   みなさんの表彰はどうだっただろうか?屈辱だったら仲良くできるぞ!一緒にルサンチマンを垂れ流そうぞ!

   終わり。