うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

聖書は読解難易度最高クラスかもしれない

マタイ第26章20節から

夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。
そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
エスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢(はち)に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。
たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
エスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。

なんでユダが裏切ったのかわかったのでしょうかっていう話
聖書だから全部神が教えたとでも言っておけばいい気がするんだけど、この本意外と論理的だから、ちゃんと理由がある。
わかった人おるか?下に答え























弟子「主よ、まさか、わたしではないでしょう」
ユダ「先生、まさか、わたしではないでしょう」
この言葉によってイエス様は名推理でわかるんです。この違い気づいたやつおる?
ここからは聖書読んでないとわからんのだけど、イエスのことを主と呼ぶひとは全身全霊をささげているから主、つまり神であり自分の主人だと認識していることになる。神そのものなのだから、当然裏切ることはできない。
一方、先生と呼ぶユダはイエスから教訓を得て神に救われようとしている。つまり、イエスは神のことをよく知っている一人の人間で、神でもないし主人ではないとしている。そして、イエスは一人の人間の先生であるから、間違っていると思えば別の先生に鞍替えもできるわけでイエスを裏切ることができる。
と、いうことを立ち入って読んでいかないと理解できないとかくそ難しい本だなホント
じゃあな