うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

心臓がバクバクする

バクバクバクバクする震える・・・・

心配で仕方がない・・・震える・・・ぶぶるぶるるぶるぶうるるるるr

ううああああああああああああああああああ

バクバクバクバクドキドキドキドキ・・・・胸が苦しい・・・

 

この心臓バクバク病をどうにかしていただきたい。しかし不思議なことに、心臓バクバクすると逆に気分は楽になる。意識が心臓に集中するから、精神的な面を忘れられるのだ。

過呼吸で倒れたせいか、ストレスがたまると息が荒くなる。しかし、多少の息苦しさは逆に深呼吸になって、妙に落ち着くのである。

なんだか社会人になってから人が怖くなってしまった。誰と話すときも、声のトーンだの、表情の微妙な動きだのを気にするようになった。それだけなら気の遣えるいい奴になれただろう。だが、もはや恐怖のあまり言葉が出せないのである。職場の人と話すのが本当に辛い。

苦しい・・・ひたすら心臓が苦しい・・・

 

一人暮らしの思い出

 僕は大学に進学するときに上京して、一人暮らしをしていました。上京の喜びよりも、圧倒的自由に感動したものです。大学生活も、東京もどうでもよくて、とにかく実家から出て自由に暮らしたかったんです。

 最初の一週間はネットもなく、両親が無暗に買ったオンボロ低スぺPCだけで、日々退屈していました。とりあえずスマホを使って、スカイプで友達と誰にも邪魔されず通話したのを覚えています。

 それから料理を少し始めました。最初はただの炒め物でしたが、オリーブオイルを使ってイタリア料理を作ろうなどというシャレたことを考えだしたのです。結局、イタリア料理でオリーブオイルを使うとなると、材料が高すぎて、ペペロンチーノしか作れませんでした。

 作り方は簡単。唐辛子とニンニクをオリーブオイルで炒めて、ソースの元を作ります。ある程度炒め終わったら、塩いれたお湯をかけてオリーブオイルと乳化させ、あとはパスタを突っ込んで絡めるだけ。

 これが意外と難しい。強い味は塩だけ。残りは唐辛子、にんにく、オリーブオイルと、多少風味は出すものの、メインとはなりえない味なんです。塩のさじ加減で、しょっぱくなりすぎたり、薄すぎてただの茹でたパスタになったりすることもあります。適量ってのは、本当に難しいんだよあんたたち。普段の料理ってのは調味料を重ねてるから、多少間違えても全体として誤魔化せるけど、塩だけってのはヘビィなのよ。

 唐辛子も結構難しい。一本炒めるだけでも十分辛すぎるくらいになる。半分だと微妙に辛さが足りない。必要量が少なすぎて、調節が本当に難しいんです。

 そんな私の一人暮らし、途中からめんどくさくなって料理をやめてしまいました。牛丼を食べに外に出て行って、後は家でネトゲするだけの毎日。徐々に人と話すことまで面倒になって、最初に入ったサークルは完全に幽霊になりました。一応、飲み会とかも行ったのだから褒めてもらいたいね。

 一人暮らしの恐ろしいところは、自己中心的になるところです。今まではなんとなく、社会集団との軋轢を受けながらも、そんなに気にせずに生きてきたわけです。女社会のドロドロとした軋轢だって、受け流せました。ところがどっこい、一度一人を経験してしまうと、全く耐えられなくなります。僕が夏目漱石に共感できるようになったのは、一人暮らしにあると思います。

 全くの一人暮らしになると、個性的だと自称しつつも、集団で歩いている人のことがハリボテに見えてくるのです。よく老人になると我儘になると言いますが、社会から離れたことで、自我が戻ってきたせいだと思っています。

 あぁ、僕はどうしてあんなに面倒なことをしていたのだろう、と思います。孤独は寂しい、などと言う人がいますが、実際に孤独になってみれば、こっちのほうが快適だということに気づくでしょう。それに、現代にはネットがあります。どうしても寂しくなれば、一度きりの声だけの出会いも可能なのです。四六時中誰かと話している必要がないのは皆さんもわかっていただけるでしょう。情報社会は人に最も快適な孤独を提供するのだと思います。

 洗濯は一週間に一度、まとめてやっていました。二階に住んでいたのですが、強風でパンツが下の階の庭に落ちている時が多々ありました。下の階の部屋には誰も住んでいません。それで柵を自力で乗り越えて、パンツを拾いに行くのですが、下着泥棒になったような気分でした。こんな気分は真っ平ごめんです。数カ月もすれば、常に部屋干しする人間になりましたが、部屋の男臭さが混じって洗濯したのにくさかったかもしれません。一人なので全く気になりませんでしたが。

 掃除は最初の方だけやりました。途中からやらなくなったのは、掃除機が安物すぎて全く吸わなくなってしまったからです。両親が買ってくれたのですが、いくら貧乏とはいえ、もう少しいいものが欲しかったです。吸わないからやっても意味がない、となって、結局半年に一度友達が来るまで全く掃除をしませんでした。

 大学四年生の時の彼女は僕の部屋を掃除してくれました。その時冷蔵庫のしたからよくわからない幼虫が出てきた時は、さすがに反省しました。僕は知らないふりをして、彼女に処理させたのですが、今思えばとんでもないヒモ野郎ですね。ラーメンとかも奢ってもらったことあります。ヒモにヒモを重ねていたので、振られて当然ですね。

 そんな一人暮らしにおいて、唯一の苦痛は貧困でした。僕は本当に怠け者なので、上京してからもバイトをしませんでした。しかも、お年玉貯金は1カ月で使い果たす放蕩っぷり。一番の出費はハイスペックPCにすることでしたが、他にもほとんど使わない遊戯王カードを買ったり、ゲームに課金したりとめちゃくちゃやっていました。PC以外は相当な無駄遣いだったと思います。

 気づけば僕の貯金は0になり、毎月の収入源は奨学金の七万三千円だけでした。光熱費が一万で、家賃が五万、残り一万でやりくりするようになりました。よくテレビで一カ月一万円生活なんてやってますが、あんなのは大嘘です。実際にやってみればわかりますが、一万円では普通の生活なんてできません。割と美味しいご飯を作って食べてるようにみえますが、あんなの嘘です。編集でコロコロ料理が変わるせいです。現実は、毎日同じご飯の使いまわしになって、そのうちゴミに見えてきます。

 それから半年たった八月の僕はもはや限界でした。毎日同じご飯を食べすぎて、気が狂いそうになってしまい、七月に入った奨学金を外食で一気に使ってしまったのです。しかも貧しすぎて、顔から不幸がにじみ出ていて、バイトの面接に受かりません。そうして、ずるずると八月の実家に帰る一週間前、私の現金はたった五百円だけ。一週間過ごす方策が全く思いつかず途方にくれていました。

 結局私は、スーパーで卵を買ってきました。10個入りで160円くらいです。これを毎日一個ずつ三食食べる。これで一週間持つ上におつりまででる計算です。

 と、いうことで始めたのですが、一日三食もいらない気がしてきました。妙な節約熱に駆られた僕は、毎日卵一つで生活することにしたのです。

 毎日玉子一つ茹でて食べては、PCにむかって、夜は寝る。修行僧のような生活を僕は続けました。最初の二日は空腹感で眠れないこともありましたが、三日すると慣れてきてむしろ寝る時間が増えました。冬眠でもしようというのでしょうか。

 五日目の朝、目が覚め、立ち上がろうとしたとき、ふいによろけて壁に手をつきました。栄養不足で立つことすら困難になっていたのです。頭の中がぐるぐるかき回されるような感覚に襲われ、目の前を真っすぐみることもできません。ふらふらしながら、ついに私は余った切り札である340円を手に松屋にかけこみました。

 あれほどおいしい牛丼を食べたことはありません。生の味でした。生きることを感じたのです。あとで実家に帰ったときにあまりにげっそりしていて心配されたくらいでしたから、死にかけていたのだと思います。九死に一生を得た牛丼の味は筆舌に尽くしがたいものでした。

 と、ここまで絶望的なまでに苦しかった僕の一人暮らし、バイトに受かってからは、なんだかんだで自由に楽しくやれたし、最終的にはいい思い出しかない。一年ごとに掃除してくれた僕の友達と、高校の部活の後輩、元カノ、ありがとう。一緒に滝修行にいってくれたネトゲの友達、ありがとう。感謝の気持ちを伝えて上手く締めようと思ったけど、そもそも孤独の自由を謳歌しすぎて、感謝する相手がほとんどいない^^;;;

 これくらい自由にさっさと死ぬ方がよっぽど人生はいいかもしれませんね、終わり。

海外旅行その1

 真っ赤に輝く日がわずかに傾き始め、私たちの顔を照らす。もう六時を過ぎたというのに沈まない太陽が、この地を常夏にしている。腐ったパーム油が、太陽に蒸されて強烈なにおいを漂わせている。吸えば、体中が油の靄に汚染されたような気分になり、反射的に嗚咽する。

 駅のホームに日本人三人は立っていた。ちょうど到着した電車は混雑のあまり乗れず、次の電車を待っているところだ。私が「また入れんかったら困るから、少しでも空いてそうな先頭に行こう」と提案し、ホームの奥の方まで歩いて行った。

 旅行用のリュックを前に抱え、その間に小さなカバンを挟んだ妙な格好で歩く。いかにも日本人といった風貌だ。鉄道オタクの友達は線路をじっくり眺めている。私には素晴らしさがさっぱりわからない。

 すると、いきなり警備員が英語で私たちに話しかけてきた。友達曰く「女性専用車両だから、あっちいけ」と言われたらしい。日本と違って厳しいようだ。

 鉄道オタクの彼はこの旅行を計画した中心だった。過去にもフィリピンに来ていて、風俗嬢と仲良くするために英語とタガログ語を勉強しているそうだ。京大卒だから頭はいいのだが、いい感じに使う方向を間違えている男である。

 待ち時間の間、私はホームから見える外の景色を見ていた。遠くには高層ビルが立ち並んでいる。地震がないから、日本のそれより高い。東京にも負けず劣らずの摩天楼である。

   視線を下にやると、廃材を集めて雨を凌ぐだけの家が立ち並んでいる。道に人が寝ている。ボロ小屋の一つは飲食店らしい。ハエにたかられながら、ドロドロのフルーツジュースのようなものを食べていた。富と貧が隣り合わせになる異様な光景は、この国の日常であった。

 ホームは新しいはずなのだが、小汚かった。何よりくさい。友達曰く、フィリピンの鉄道は日本が輸出したらしい。どれだけしっかり作っても掃除する習慣がなければ、こんなものである。

 もう僕たち三人の他にも人が並び始めていた。この国では列に並ぶ習慣はない。なんとなく入り口付近に人が集まって待っているのだ。

 電子板に電車の到着時刻が表示されるのは日本だけだ。この国にはそんなものはない。だから私たちにとって、待ち時間は非常に長く感じられた。非常に疲れていたので私は無言だったが、友達が急ににやにやしながら、

 「うひょーも今夜はまた楽しむやろ?」

 と言い始めた。もちろん夜とはそういうことである。昨日の夜は楽しんだ。まともに言葉が通じなかったが、友達の通訳でうまくバーファインできた。私は夜のお金を考えて、鞄から財布を取り出し、何ペソあるか数えた。

 「とりあえず、向こう着いたら両替しようか」

 と遠回しに賛同の意を示した。当初は全然期待していなかった。ネットで画像を調べると、化粧が濃いだけのおばさんがたくさん出てきたからだ。

 しかし、私は当たりを引いた。小さい顔に大きな黒目で、化粧もしない純朴さがあった。大変可愛い。酔った勢いで「ユーアーソーキュート」と連呼し続けた。大学生で20歳とのことだった。手慣れた風俗嬢というよりは素人で、反応も初々しく興奮した。俗に言う名器で、普段は遅い僕も結構早く終わってしまった。

 外国人のセックス用語は結構面白い。例えば、まんこを指して、「Eat」と言ってくる。当然私はEatしたわけだが、最終日に風邪を引いた。あわびの食中毒にかかってしまったようだ。Dog Styleもちゃんとしたが、あれは難しすぎる。とにかく抜けてしまうので、すぐにやめた。

   本番はできたが、キスはできなかった。彼女が歯の矯正をしていたからである。相当費用がかかっただろう。意外と育ちがいいのではないか、とも考えた。立ち振る舞いは風俗嬢特有の野蛮さがなく、妙に品があった気もするからだ。

   と、まぁ大変有意義な夜を過ごした私であったが、とにかく疲れていた。腕が重い、足が重い、瞼が重い。もう今日はやる気を失っていたから、力なく作り笑いで返した。「もうそろそろ来るやろ」と何度も繰り返しながら、立ち尽くしていた。

   「あっ、来た!」

    友達が電車の方を指差した。ガタンゴトン。地鳴りを上げながら、その姿を現した。先頭車両はあまり混んでいなかった。

    「今度は余裕で入れそうやな!」

  と私が言った矢先、そこが女性専用車だと言うことに気づく。

    落胆しながら、止まるのを待っていると、袋詰めされた人間ソーセージが眼前に現れた。三人は今度こそ乗ってやるぞ、と息巻き、全力で突撃した。フィリピン人が先に入ろうと横から突っ込んできて、私は押し出されかけた。「東京で鍛えられたガードスキルをなめるなよ」と心中で叫ぶと、その妙なプライドで男を突き飛ばし、我先にと突っ込んだ。

 ブロックを撥ね退けて友達と団子になってタックルを決める。が、びくともしない。人口密度が高すぎて中に押し入ることすら許されない圧倒的な人間の壁。重い台車を押すように前傾姿勢になり、腰をいれ、体重で押し通る。

 押したおかげで前の二人は入れたが、もう限界。私は奥に行けない。友達二人は既に中に入っているのを見て、体に余計に力が入る。もうダメかもしれない。そう思った矢先、私は後ろから押された。別のフィリピン人が乗ろうとして私たちを押し込んだのである。潰されて体中が痛かったが、なんとかなりそうだった。

 押したフィリピン人の一人は、ドアの上の出っ張りを掴んで耐えたが、もう二人は入れずに、無情にもドアが閉まった。可哀想に・・・。サンキューフィリピーナ・・・。

 車内はフィリピン臭が立ち込めていた。妙に甘ったるい南国の果実の匂いだ。彼らは毎日食べる習慣があるのか、体臭まで甘ったるい。それどころか、フィリピン風雑炊も、カレーも、チキンも全てにフルーツの隠し味がついている。たぶんマンゴーだ。匂いも味もマンゴー。ちなみに日本人は醤油の匂いがするらしい。醤油とマンゴーが同じ立ち位置にあるのは全く理解できないが、異文化とはそういうものらしい。

 

  

 

世界の今後が楽しみな今日この頃

おはようございます、僕です。

ホーキング死にましたね。

皆さんホーキング知ってますか?「ホーキング、宇宙を語る」っていう本を書いたことで有名な物理学者ですね。

ALSっていう筋肉が動かなくなる病気にかかって、車椅子になり、言葉も話さなくなり、最新の技術で意思疎通を取っていた世界的に有名な学者です。

ニュースにもなったし、日経新聞でも大々的に取り上げられ、社説も当然ホーキング。

宇宙開発を志す人は間違いなく彼の本を読んでいる。テスラのイーロンマスクも、ホリエモンも。

と、なんでこんなことを書いたのかというと、僕の唯一の人生の後悔は早くホーキングの本を読まなかったことだからです。

「ホーキング、宇宙を語る」を読んだのが、半年前のこと、ワクワクしながら宇宙について考えたのである。もし子どもの時に読んでいたら、職業が変わっていたかもしれない、と本当に心から思った本である。

昔から壮大なことが大好きで、宇宙みたいなのは特に大好きですよ。

相対性理論からひも理論まで物理学=天文学といっても過言じゃないとかいうのは興奮する。

2020年にはテスラが宇宙旅行を可能にするらしいけど、こういうことをきくと、俺は人生が楽しみで仕方ない。

今まで何の刺激もなく、イノベーションもない世界だったが、現在はぐるぐる変わっている。ビットコインは、貨幣のもつ弊害を帳消しにするかもしれない。AIは人を知識の端っこに追いやるかもしれない。宇宙開発が進めばもはや人類は地球人じゃなくなるかもしれない。IPS細胞は人類最後の夢、不老不死を叶えるかもしれない。全てが進歩した時、限りある資源(人間も含む)は限りない資源になるだろう。そうなった時、資本主義はどうなるか?社会の文化はどうなるだろうか?もはや我々は社会集団を構成する必要がなくなるのでは?人間味などという言葉は時代遅れになるのか?恋愛は今ほど輝きを持たないのでは?

大変ワクワクするのである。

数をかけと言われたので書いた。もう眠いです。終わり。

 

ラーメン二郎について語る

ラーメン二郎…!そう!誰でも知ってるあのラーメン屋である!

岐阜の田舎者はほとんど知らない。だから、この話をしても全くウケない。

ジロリアンたる私は非常に悲しい思いをしている。嘆きが止まらない。二郎の街、東京から帰ってきてしまったからだ。

あの油と醤油が乳化した濃厚なスープを思い出すと涙が出てくる。乳化したスープは油まみれであるが、何故かギトギトとしたしつこさを感じさせない。まろやかという言葉が相応しい。

あの極太麺。凄まじいコシを備え、啜ると口の中で暴れ回り、食感で我々を楽しませてくれる。啜っているのにここまで満腹感の感じられる麺は二郎にしかない。太いながらも縮れたそれは、スープを逃さずたっぷり引きつける。だから、太いにもかかわらず、芯まで味が染みているように感じる。全く粉っぽさを感じさせない素晴らしい麺である。

その上に乗せられるのは大量のもやしとキャベツ。周りにチャーシューや、背脂が添えられており、全体的に深い調和を生み出している。野菜は茹ですぎないことで、シャキシャキの食感を残しており、最後まで軽快に食べきることを可能にしている。

チャーシューや背脂はボリュームで存在感を表明する。二郎のチャーシューはステーキに近い。それとご飯だけでも一食になる。量だけのことを言っているわけではない。醤油ベースの味付けが深く染み渡っており、かつ柔らかく煮てあるのだ。もちろん脂も同様である。

 

これだけのクオリティーを備えたラーメン二郎だからこそ、客はロットを気にして早く食べたりするのである。

店員が迷惑そうにするとか、遅く食べてたら注意するとか、そんなことをしているのは見たことがない。ただ、客が提供されるラーメンのクオリティーに感動して協力しているだけなのだ。私は友達と二郎に行っても、隣に座ることに固執しない。混んでいたら、空いた席から座るようにしている。残すことも少なくなる。残さないから洗うのも楽になる。

こうした無言の協力によって、回転率が上がり、量を提供しても利益が出るのである。ラーメン屋、いや、飲食店の理想形と言っても過言ではない。

 

そんな私の二郎完食のコツを伝授しよう。もやしから食べるのはビギナーである。

チャーシューと麺を先に食べるのがベテランだ。この二つは充実した食感を生み出す二郎の要であるが、終盤満腹の時には凶器となる。だから、楽しめる空腹のうちに食べてしまうのが、美味しか残さずハッピーになれる。そして最後に野菜をのんびり食べれば、その水分で後味も綺麗さっぱりして爽やかに店を後にできる。

ちなみににんにくトッピングは初心者にオススメできない。にんにくは量はなくても胃に負担をかけ、予想以上に満腹感が早くきてしまう。

にんにくに挑戦したい人間は、まず生のにんにくを毎日食べてなれることから始めよう。私も一人暮らしの時に一週間それをやって、見事に克服できた。

 

以上が私の二郎論である。男ならば一度は二郎に挑戦してほしい。脂ぎったのいらねえ!などとかっこつけたヒョロガリのゴミは人生損しているから、さっさと死ぬのがいいだろう。

終わり。

 

 

 

図形、宇宙、小説

お題「好きな作家」

 自販機の光だけがわずかに世界を照らす帰り道。車が後ろから私をライトで照らしながら、抜かしていく。寒さに震えながらも、無表情で、たまに目を閉じてうなだれながら歩いていた。人の歩く音に私はぎょっとした。帰り道だというのに明日のことを考えて、歩みに力が入らない私を静かに追い詰めるような音だった。

 靴のカッカッという音が徐々に迫ってきていた。後ろを振り返っても、その姿は暗闇のせいではっきりとは見えぬ。早く抜かしてどっかに行ってくれ!と思うのだが、スピードは落とせない。機械的に私の足は家を目指し続けた。

 恐ろしくなってスマホを見る。ツイッターでも見て気を紛らわそうとしたが、足音が気になって文字が読めない。
 社会人になってから、音に敏感になってしまった。誰かが何かするたびに、どういうアクションを取るべきかといつもビクビクしている。後ろの誰かほど私の神経を追い詰めるものはなかった。

 その音は少しずつ大きくなる。変な想像が私の脳裏をかすめた。刺されるのではないか?殴られるのではないか?だが、私はそれもいいと思った。ここで人生が終われば、苦痛から解放される・・・。

 見知らぬ陰に神経質になりながら、通りを真っすぐ歩く。ボロアパートの鉄の階段は冷たい風を受けて、今にも崩れそうである。コートに縋りつくように体を丸め、筋肉が強張り、足の動きが早くなる。得体のしれない音はまた遠ざかった。

 それでも暗闇の中から誰か見ている。いや、見ているだろうか?どこも見ていないかもしれない。スマホを見ているだけじゃ?確認したくて仕方がない。しかし、あまり後ろを振り返ると怪しまれる気がして、確認できない。気づけば、コートのポケットのスマホを何度も握りしめて、放してを繰り返していた。後ろに誰かいる事実をどうにかしたかった。首筋をかきながら歩く。

 「どうぞ抜かしてください」と心の中で何度も繰り返した。おかしい。いつもなら後ろにいる人は、どこかで曲がって私と別れる。まだ後ろにいるなんておかしい。やはり、私を狙っているのだろうか。

 考えているうちに歩みが遅くなっていたようで、足音が真後ろにあった。私は手を強く握りしめ、今すぐ引き離したいという衝動を必死にこらえた。斜め右後ろ、車道側に足音が移動した。私は目をつぶり、うつむいた。あぁ!ジーザス!彼は真横にやってきて、抜かしていった。

 私は大きな息を吐きだした。後姿は普通のサラリーマンであった。強張っていた筋肉は緩み、足がフラフラしている気がする。当然の結果であった。この日本にあって、通り魔のような犯罪者がそう何人もはずがないじゃないか。もし会えたらラッキーな人生である。

 安心して思わず天を見上げたその時、オリオン座が私の目に輝いた。ペテルギウスが臨終の時にあって、力強い赤い光を放っている。右にγ星があり、真っすぐ引いた線から逆さの台形が見える。ペテルギウスの対角線上にリゲルがあって、左にあるκ星との直線を底辺に一つ綺麗な台形を形成している。そして二つの台形が重なる底辺の中心に静かな光を放つδ星がオリオンのベルトを象っていた。

 雲一つない快晴であった。冬の大三角が天を支配していた。正三角形にも見えるこの配置に、名前を付ける理由が分かった気がする。ビックバンの後、何の恣意的な要素もなく、勝手に引力によって原子がくっつき、星が出来た。恒星まで大きくなるのは更に限られた確率だ。それが正三角形のように地球上から見える、互いに重力で引き合わない場所に均衡したのである。

 私は昔からオリオン座が好きであった。小学生の時、ノートに百回くらい書いたと思う。そのせいか、目に映るものの点と点を結び付けて図形を作る習慣がついている。天井のただの模様や、柱の角、机の配置等々、何かしらの図形的意味を見出す。おかげで私が文系に行くまでは、数学が得意科目であった。

 三島由紀夫の小説は図形である。冬の大三角やオリオン座と同じ部類である。全く読んだことのない人間には全くわからないかもしれない。しかし、本当に図形なのである。話の展開に真っすぐな直線が引かれていていて、様々な美しい図形が形成されている。

 これはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」にも似ている。絵の対角線上にイエス・キリストが配置され、十二使徒が三人ずつグループになり、主を孤立させている。左右に六人ずつ配置された使徒の頭は弧を描く。一番信心深いとされるシモン・ペトロと裏切ったイスカリテオのユダの頭を直線で結ぶと、キリストの顔がその中点になる。

 話の構成の中にこうした線形美が存在している。だから、三島由紀夫は絵を文字に起こすのが非常に上手い。豊穣の海の「春の雪」では、殉死した軍人の絵を描写しているが、秀逸な表現である。実際に見たことがなくても、かなり正確に想像ができてしまう。全てを読んだ後に、私はその絵をネットで見たのだが、色彩以外はほとんど想像通りであった。

 起承転結がくっきりしているのが特徴である。100冊くらい小説を読んだが、ここまで線を引いた作品を書く作家はいなかった。現代の小説家の場合、下手すると起承転結など知らないかのような作品を書く者までいる。

 そう、この本題は私の好きな作家である。私は三島由紀夫が好きだ。自分の感性に近いからだ。小説とは本来こうして気の合う人間を探す旅である。作者の気持ちになる必要はない。読者の人生がその気持ちにさせないのであれば、仕方ないのだ。だからこそ、気の合う作家を見つけた時の感動は、ひとしおである。

   どの小説も最初は何の変哲も無い話から始まる。退屈なことも多い。焦らされる。後ろの人影に神経質になった私のような目にあう。しかし、名作は最後には星を見せてくれる。自分の人生と合致しているなら、恒星のごとき輝きを放って見えるだろう。

 読者の皆さんも、自分の感性に近い小説家を探してみてはどうだろうか。

 終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど、ブログを書いたのはそういうわけだったんだね

お題「ブログをはじめたきっかけ」

 難しいお題が出たものである。ブログが流行りだしたのは、私が中学生のころだった(現在23歳)。とはいえ、その頃は書くより読む方に熱中していたから、ブログなんてものはなかった。もちろん黒歴史の妄想をして、書いてみたこともあった。しかし、三行でやめてしまった。驚くべき忍耐力のなさである。黒歴史ノートを残すことができなかったのが、私の一つの後悔でもある。

 高校生になり、私はブログを始めた。きっかけは吹奏楽部で流行っていたから・・・だったと思う。何を書いたのかもあまり覚えていない。日常の何か、そういった出来事について書いていたと思う。知り合いが普通に見ているのに愚痴ったこともあった。まぁとにかく始めたきっかけは、なんとなく流されて、というところが大きい。

 その意味不明なブログのタイトルも覚えていないから、検索できないのが残念である。間違いなく黒歴史に違いない。ブログの素晴らしいところはまさにこの点に尽きる。よく言われる黒歴史という記憶は、社会集団における常識を身につけた時にその衣を纏う。当時は全く知らなかったから、今、黒になるのだ。そういう意味では過去に戻ることで、より実存的な自由を思い出すことにつながる。

 だからなんだ、と言われればそれまでだが、私のような自由主義者は多種多様な考えの存在が大好きなので、黒歴史自体も大変喜ばしいことなのである。

 卒業後、そのブログは記憶から消えた。大学入学後の半年は、気が狂ったようにアニメを見続けた。新しいPCも買ってネトゲもやり始めた。凄まじい貧困に喘いでいたこともあって、ブログを書こうなどという意気込みは皆無である。

 そんな私に転機が訪れた。なぜかニコ生で有名になってしまったのである。私の友人が放送中の動画を録画して投降した結果、爆発的に視聴者が増えたのだ。彼の売名のおかげで、貴重な体験ができた。多少有名になると、指示厨が増える。それはゲーム実況での指示厨という意味ではない。

 応援しているからこそのアドバイス、というものだ。私のメールアドレスには大量のアドバイスが飛んできた。あれをこうしろ、ああしろといった類のものである。善意で言ってくれているのだろう。実際メールの最後には必ず応援の言葉があった。しかし、私の自由奔放な性格には最も腹立たしいものだった。

 放送中にコメントまでされると本当にイライラした。挙句の果てに自分の放送で名前の売れたリスナーが配信を始め、そこで俺の批評をするのである!「あいつは変わったな」「最近おかしい」等々・・・。おかしいとはなんだ!?俺はいつも俺である!アイドルの苦労についてわかった、というと本職に失礼かもしれないが、やはり彼らも善意の悪意に悩まされることが多いのではないだろうか?と勝手に推測している。

 こんな訳の分からないことをやっていた時、私はニコニコ動画でブロマガを始めた。たまたまブロマガというコンテンツが始まった時期であった。これが今に続いているのだ。最初は考えたことをてきとうに綴るだけだったのだが、小説を読み始めてからはくだらない日常風景まで書くようになった。

 自己顕示欲の塊たる私は、紆余曲折あったが、こうしてはてなぶろぐにやってきた。これからもお題スロットを使ってガンガンブログを書いていこうと思う。

 ちなみに自分ルールで、最初に出たお題を変えずに書いているから、たまにネタが思いつかず支離滅裂になるのは許していただきたい。

 終わり。