うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

結局何一つ楽しいことがなかった平成の夏

今週のお題「#平成最後の夏」
平成最後の夏がやってきた。僕は平成生まれ平成育ちだ。

小学生の時の夏と言えば、ひたすらゲームをやっていた。朝9時から15時までしかゲームをやっていけないという家庭内ルールがあったのを覚えている。ゲームはリビングにしかなかったので、常に親の目に晒されており、抜け道がなかった。とはいえ、3年生ぐらいになると既にゲーム自体に飽きかけていたので、このルールは人生の楽しみを薄く引き伸ばしてくれていたと思う。

思えばあの時から実家は息苦しかった。

ゲームをするために朝早く起きるのだが、僕は部屋から出なかった。何故ならいつも母親がヒステリーを起こしているからだ。掃除機をかけたり、洗濯物を干したりしているのだが、いつも大声で怒っている。毎日気が狂ったように叫んでいた。それでいつも僕と弟は部屋から出なかった。

とにかくヒステリーを起こすと、すぐに二人とも部屋に逃げた。僕は弟とそこまで仲良くないが、だいたいこのヒステリーのせいである。年齢を重ねるにつれ、互いに思春期を迎えるわけだが、平日どちらかが怒らせるとどちらかがとばっちりを食らうのである。食らってしまうから結局部屋に籠るしかない。小学生の頃は共通の敵だったが、高校にもなると「あいつのせいで」という出来事が増え、直接喧嘩をしたり悪口を言ったりしたわけではないが、間接的に仲が悪くなっていったのである。

僕は学校も大嫌いだった。大して難しくもないことを45分も目の前で語られるのは非常に嫌いだった。昔から無駄なことが大嫌いだったから、すごく簡単なことを何分もかけて説明する様は本当に耐えられなかった。苦しかった。

男の集団の謎のノリは非常に嫌いだった。いつも誰かが殴られていた。殴られる側も何故か笑顔だった。あの奇妙な光景は本当に意味が分からなかったのである。

女の集団も嫌いだった。僕の隣に座っている子が大変口の悪いやつだった。口の悪い僕はむしろ親近感が沸いていたのだが、当然ながら常人には大層嫌われていた。そんなある日、同じ班にいた女のリーダー格のブスから、今度からあいつと口効くなと言われた。隣に座っていて、散々会話している僕にそんなことはできるはずもなく、結局無視は数分で終了したのだが、人間というのは本当に愚かなものだと身に染みたものである。そういえばあの時から、静かな、自分の意見を言わない「かわいい系」の女の子が嫌いになった。同じ班にいて、ただ何の意見も表明せず我関せずという姿勢が本当に不快であった。どちらにも加担せず私関係ないの^^って感じが本当に憎かった。

 

さて、家に帰ればヒステリー、学校に行けば意味不明な習慣の連続、二つの板挟みの中で生きていた僕は、自然と読書と恋愛に逃避していった。本は他人とかかわらなかったし、恋愛は脳を麻痺させ、少なくとも一人は信用し、好きでいられるように出来たからである。

そういう意味では学校に行けなくなる夏はあまりいい思い出がなかった。平成最後の夏も結局大していいことはなかった。元々平成に期待すべきことはなかったので、新元号になったらもう少しマシな人生が開かれるといいなぁと怠惰にも期待しておく。

 

終わり。