読書感想文の感想に多大な影響を与えているフーコーさん。今回は読者が感想の理解に苦しまないように、こういうこと考えてるんですよ!というアピールをしておきたい。
画像を使えと言われたので下に貼っておく。こいつがフーコーだ。日本の寺で修業したこともあるらしい。頭の話はやめたれw
大袈裟なタイトルだけども、言いたいことはたった一つ.。
論理は無数にある。現代の常識は、たまたま大半の人に受け入れられている論理にすぎないということである。
例えば、いつぞやの障害者施設で何人も殺した男が、「障害者は生きてるだけで社会の邪魔だから殺した」という論理を語っていた。
これも論理としてアリなのだ。正しいのだ。彼にとっては証拠さえあったのだ。
ある日、「発作で溺れていた被害者を助けたが、感謝されなかった。大事にならなかったとはいえ、せめて心配の一言があると思っていた。」らしい。
この言葉だけ見ると、最初は常人だということがわかる。
どうして変わったのか?働くうちに「障害者は生きているだけで社会の邪魔」という論理を裏付けする経験が山ほど積み重なったのではないだろうか?
と、いうように世の中の論理は無数にあるし、それを正当化する証拠もたくさん出てくる。多数の人間が同じ考えを持っているという事実そのものが、一つの証拠になるので、常識的な考えは正当化されやすい、というだけの話である。
フーコーはここから、今の時代の論理は何なのか?を研究していくわけですね^^それ以上知りたかったら、本読んでください^^
フーコー的な考えでニュースや新聞を見ると、すごく発想が偏ってるのがよくわかります(右翼だの左翼だのという意味ではなく)。
記者としては正論を叩きつけて批判していると思っていますが、実際は相手の論理が全く傷ついてない。そういう肩透かしな記事、ニュースで溢れているのがよく実感できると思います。
障害者殺人事件でも、知識人が「これは人として許されることじゃない!」などと言って論破した気になってますけど、現状障害者が邪魔で人を不幸にしている証拠が彼の手に握られてますから、これを否定する証拠を突きつけないと潰したことになりません。
みなさん柔軟に考えていきましょうや^^手抜きですが終わり。