うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

僕の社会人生活

 今日アマゾンプライムで「RELIFE」の完結編を見た。

 社会人生活でトラウマを抱え、ニートになった主人公が、若返りの薬を飲んで一年間限定で高校生活、青春を送るという話である。

 本編を見たのは学生時代だったから、あぁはいはい、という感じでさらりと見ていたんですが、今見ると心が痛む^^;

 社会人になってから碌なことがない。たぶん普通の社会人は、慣れてきて責任のある仕事を任されることに徐々に満足感を覚えていくのだろう。しかし、僕はどうもそこまでなり切れない。

 朝起きると、食事をとる。特に月曜日は喉を通らない。外回りを辞めたところでこの習慣は健在である。今は電車で1時間くらいかかる場所に通勤している。今日の仕事が頭の中をぐるぐると巡るのが辛いので、逃げるように眠るのが日課だ。

 職場につくと、「おはようございます」と全員に言って回る。多少声を張らないとまた文句を言われるので、力の無い大きな声で挨拶をする。とりあえず新聞を読むのだが、この時から既に気が抜けない。急に呼ばれて雑用を申し伝えられることがある。急に先輩が掃除し始めたりすると、静かに寄って手伝いをしなければならない。

 その業務前の無駄な儀式(約45分)を過ごすと、今度は朝礼。ここでも挨拶の儀式があるのだが、声を張らないと文句言われるので、力の無い大きな声で挨拶をする。

 終わると、開店のシャッターをあける。9時に少しでも遅れると、客に怒られるし、早いと上司に怒られるので、パソコン画面をちらちら見ながら朝の準備。まずここで無駄に精神を削られる。そして開けるときも当然、力のない大きな声で挨拶。

 朝のルーティンが1時間くらいかかる。半分くらいは印鑑押すだけ。一つでも押し忘れると当然怒られる。意味もわからない書類に機械的に押すこの印鑑に何の意味があるのだろうか。既に訳が分からない。

 仕事をしていると、急に呼び出される。これはマニュアルのどこにあるのか?と聞かれる。そんなものは知るわけがない。マニュアル大嫌い人間の僕が、同じ通りに仕事しているわけがない。しかもマニュアル自体の作りも悪い。前提知識のない人間が見たところで何一つ役に立たない代物である。

 接客をすれば、お客さんがわずかに書き間違えたところで訂正印をもらう。訂正印で済むならいい方である。書類によっては印鑑を押し損たり、書き間違えるともう一度書き直しである。

 当然向こうは常人なので、なぜ書き直しなのかさっぱり理解できない。表情が曇る。僕もこんなのはくそったれだと思っているので、胸がつまる。

 書き直しだということに気づかなかったこともある。その時は謝罪して、返信用封筒を送り付けてもう一度書いてもらった。往復で164円。プラス僕が郵送するために要した時間の給与。果たしてそこまで費用を垂れ流してやることなのだろうか。

 などという針の目を通すような仕事をしつつ、ミスをポロポロして怒られ続ける。どれも本当にゴミみたいなミスである。それをミスったところで大勢に影響なし。誰が困るわけでもない行程である。

 15時になるとシャッターを閉める。遅いと上司に怒られ、早いと客に怒られる。じゃあてめぇがやれやwと何度思ったことだろうか。防犯の一環で店の見回りをすることもある。くだらないことでやり方にケチをつけられる。じゃあてめえがやれや(二度目)

 普通の仕事でも、やり方にケチをつけられる。結果は同じだがやり方がダメだと言われる。どうしても自分のやり方を踏襲しないと気が済まないキチガイが銀行には多い。じゃあてめえがやれや(三度目)

 いったん日常業務の締め作業をして、あとは残業。

 一日を通して、周りの動きを常に気にしなければならない。コピーだの雑用っぽいのがあれば全て「やりましょうか?」と声をかけるのがマナーである。そうしないと文句を言われる。

 彼らの中ではそれが常識なのである。どれだけ歪であっても、そこに疑問点を持たない。想像力の欠如が凄まじい。

 世間的にはマニュアル人間は悪だとされるが、銀行はそれが一番奨励される。機械のようにルールに従うロボットこそが求められる姿である。別に想像的な仕事がしたいというベンチャー的な考えがあるわけではない。融通が全く利かないことに吐き気がするだけである。

 ここで仕事をしていると、思考を失った人間になりそうである。職場を見ていても皆思考を欠いている。牢獄で毎日運動している受刑者とやっていることは変わらないのだ。

 僕は果たして何の為に生きているのでしょうか。非常に退屈、あぁ死にたい。

 じゃあな。