うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

読書感想文 新渡戸稲造「武士道」(感想)

 もはやタイトルがおかしなことになっている。読書感想文(感想)とはこれ如何に?要約しきれず長くなってしまったので、要約二つと感想一つの三部構成となっちゃったね^^

 ということで感想。

 日本人の国民性を考える上で、この本は非常に深い洞察に満ち溢れている。
こういう話をよく聞いた事があるだろう。日本人はクリスマスを祝い、年末に寺へ除夜の鐘をつき、年初は神社でお参りをする。八百万の神までいて、田舎の山奥には土地神を祀った祠が置いてある。だから、宗教意識が非常に低い国民性であるという話だ。

 この本では日本人の宗教を「武士道」だと言っている。特定の神が存在するわけではないが、特定の死生観を形作り、行動規範を作っている点では宗教だ、というのだ。そして「武士道」は儒教、仏教、神道が自然に混ざりあい時間とともに形成されてきたのである。これには聖書やコーランのように文献がない。

 様々な宗教をベースにしつつ、様々な有名な武士の逸話が語り継がれることで、一つの規範を作り上げていったのである。だからこの本でも、逸話がたくさん紹介され、特徴が述べられる。

 その理由は平和だから、ということに尽きると思う。ヨーロッパ、中東、中国、インド、こうした国々は耐えず、様々な文化が衝突し、消え去る場合が多かったのである。だから文章にせざるを得なかったのだ。しかし、日本は戦乱の世になっても、結局は天皇中心だったのである。武士は敵であると同時に仲間であったのだ。語り継ぐだけで十分だったのだ。

 私は現代の日本に「武士道」は生き残っているだろうか?と考えてみた。あくまでも僕と、僕の周りの日本人という意味でしかないが、新渡戸稲造が列挙したものを一つ一つ述べていく。

 「義」や「仁」はあっても、「勇」は既に失われつつある気がする。より自己中心的になり、誰かのために!という思想はないだろう。とても些細なことで言えば、電車で席を譲っている人を見たことがないし、募金箱はいつもスカスカである。「武士道」の要求するようなものは既にないと思う。

 「礼」「誠」「名誉」はまだあると思う。しかし、「忠義」は失われつつあるのではないだろうか。「恥」の概念によって、日本人は強く縛られているのを感じる。「人前で恥ずかしい!」なんていう言葉は典型例である。それで、個人的な名誉のためにも、見知らぬ人が頼ってきた時は優しくすることもある。ただ「勇」が失われているために、自ら積極的にやることはないのだが。

「礼」の具体例は社会人なら嫌でもわかるだろう。細かく行動が規定されるのである。銀行のような古い組織では非常に窮屈である。と、愚痴を含めておく。

「誠」もまだ残っている。我々日本人は、どれだけ仕事が辛くても元気に振舞おうとする。
 一年くらい前のことである。私の職場の先輩が、店のある人のことを指して「あの人は辛い時に、ものすごく辛そうな顔するけど、俺はああいうのダサいと思うわ」と言った。まさに「誠」のかっこよさである。

 そして、この「ダサい」という言葉こそ、「名誉」に他ならない。体裁を強烈に意識する日本人ならではである。

 他にも例がある。東日本大震災の日にツイッターで黙祷するのを、偽善者だ!と批判する人がいる。あれは大袈裟にやっているから、嘘くさいということであり、まさしく「誠」である。私は遺憾の意をあえて示すことは、示さないよりマシだと思う。だが、やはり日本人だった。半分くらいは偽善者だと思う自分がいる。

 「忠義」は間違いなく、なくなったと言っていいだろう。敗戦によって天皇に対する忠義はなくなった。そして、代わりに会社への忠義が取って代わったわけだが、バブル崩壊という二度目の敗戦によって、消滅してしまった。家族に対する忠義は知らんが、長男が田舎にに帰って家を継ぐことを強制されることも少なくなってるから、そういう忠義も消えつつあるのだろう。

 高度経済成長の時代、バブルまでの時代は、まだ「武士道」はあったのだと思う。私の銀行には、心の底から会社に忠義を尽くし、誠をもってひたむきに努力し、誰もが気にしないようなところまで礼を尽くし、地域のために義と仁でもって貢献しようとする、そういう人間が本当にいる。これが日本人の「まじめ」の具体的な内訳だと思う。

 はっきり言って、私はついていけない。なぜ、ついていけないかと言えば、会社への忠誠心はないし、忠誠がないから誠でもって努力することないし、そういった人間を全く尊敬できないから礼を尽くそうと思わないし、地域より自分が大事だからである。そして、これらの事実に「恥」を感じることが全くない。

 そんなわけで、社会からは「武士道」は着々と失われつつあるのだと思う。しかし、中途半端に努力や考えを人に見せるのはダサいという考えが残っており、国際社会では遅れてしまっているのだ。ついでに自殺が多いのも、この考えのせいだろう。

 結局、日本人に残るのは名誉、つまり原動力としての恥だと思う。ところが、ネトウヨのように、名誉だけを振りかざし、他の要素は抜け落ちてしまったような人間が急増している状況を見ると、原動力にすらなっていない。誠がないから、じゃあ負けないように!っていう発想がないのだ。もはや日本は終わりである。 

 こんなわけで、武士道は日本の国民性を強く形どっていたわけだが、どんどん消滅している。僕が死ぬ頃には武士道なんてちゃんちゃらおかしいとか言われそうだ。

 私のひたむきに本を読む姿勢は、ある意味「武士道」なのかもしれない。少なくとも、新渡戸稲造はそう言っていた。もはや最後は愚痴になるのだが、僕が上司のことが大嫌いなのは、誠の欠如だということがよくわかった。

 何はともあれ、我々の国民性を形作る「武士道」、皆さんにはありますか?

 終わり。