うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

一人暮らしの思い出

 僕は大学に進学するときに上京して、一人暮らしをしていました。上京の喜びよりも、圧倒的自由に感動したものです。大学生活も、東京もどうでもよくて、とにかく実家から出て自由に暮らしたかったんです。

 最初の一週間はネットもなく、両親が無暗に買ったオンボロ低スぺPCだけで、日々退屈していました。とりあえずスマホを使って、スカイプで友達と誰にも邪魔されず通話したのを覚えています。

 それから料理を少し始めました。最初はただの炒め物でしたが、オリーブオイルを使ってイタリア料理を作ろうなどというシャレたことを考えだしたのです。結局、イタリア料理でオリーブオイルを使うとなると、材料が高すぎて、ペペロンチーノしか作れませんでした。

 作り方は簡単。唐辛子とニンニクをオリーブオイルで炒めて、ソースの元を作ります。ある程度炒め終わったら、塩いれたお湯をかけてオリーブオイルと乳化させ、あとはパスタを突っ込んで絡めるだけ。

 これが意外と難しい。強い味は塩だけ。残りは唐辛子、にんにく、オリーブオイルと、多少風味は出すものの、メインとはなりえない味なんです。塩のさじ加減で、しょっぱくなりすぎたり、薄すぎてただの茹でたパスタになったりすることもあります。適量ってのは、本当に難しいんだよあんたたち。普段の料理ってのは調味料を重ねてるから、多少間違えても全体として誤魔化せるけど、塩だけってのはヘビィなのよ。

 唐辛子も結構難しい。一本炒めるだけでも十分辛すぎるくらいになる。半分だと微妙に辛さが足りない。必要量が少なすぎて、調節が本当に難しいんです。

 そんな私の一人暮らし、途中からめんどくさくなって料理をやめてしまいました。牛丼を食べに外に出て行って、後は家でネトゲするだけの毎日。徐々に人と話すことまで面倒になって、最初に入ったサークルは完全に幽霊になりました。一応、飲み会とかも行ったのだから褒めてもらいたいね。

 一人暮らしの恐ろしいところは、自己中心的になるところです。今まではなんとなく、社会集団との軋轢を受けながらも、そんなに気にせずに生きてきたわけです。女社会のドロドロとした軋轢だって、受け流せました。ところがどっこい、一度一人を経験してしまうと、全く耐えられなくなります。僕が夏目漱石に共感できるようになったのは、一人暮らしにあると思います。

 全くの一人暮らしになると、個性的だと自称しつつも、集団で歩いている人のことがハリボテに見えてくるのです。よく老人になると我儘になると言いますが、社会から離れたことで、自我が戻ってきたせいだと思っています。

 あぁ、僕はどうしてあんなに面倒なことをしていたのだろう、と思います。孤独は寂しい、などと言う人がいますが、実際に孤独になってみれば、こっちのほうが快適だということに気づくでしょう。それに、現代にはネットがあります。どうしても寂しくなれば、一度きりの声だけの出会いも可能なのです。四六時中誰かと話している必要がないのは皆さんもわかっていただけるでしょう。情報社会は人に最も快適な孤独を提供するのだと思います。

 洗濯は一週間に一度、まとめてやっていました。二階に住んでいたのですが、強風でパンツが下の階の庭に落ちている時が多々ありました。下の階の部屋には誰も住んでいません。それで柵を自力で乗り越えて、パンツを拾いに行くのですが、下着泥棒になったような気分でした。こんな気分は真っ平ごめんです。数カ月もすれば、常に部屋干しする人間になりましたが、部屋の男臭さが混じって洗濯したのにくさかったかもしれません。一人なので全く気になりませんでしたが。

 掃除は最初の方だけやりました。途中からやらなくなったのは、掃除機が安物すぎて全く吸わなくなってしまったからです。両親が買ってくれたのですが、いくら貧乏とはいえ、もう少しいいものが欲しかったです。吸わないからやっても意味がない、となって、結局半年に一度友達が来るまで全く掃除をしませんでした。

 大学四年生の時の彼女は僕の部屋を掃除してくれました。その時冷蔵庫のしたからよくわからない幼虫が出てきた時は、さすがに反省しました。僕は知らないふりをして、彼女に処理させたのですが、今思えばとんでもないヒモ野郎ですね。ラーメンとかも奢ってもらったことあります。ヒモにヒモを重ねていたので、振られて当然ですね。

 そんな一人暮らしにおいて、唯一の苦痛は貧困でした。僕は本当に怠け者なので、上京してからもバイトをしませんでした。しかも、お年玉貯金は1カ月で使い果たす放蕩っぷり。一番の出費はハイスペックPCにすることでしたが、他にもほとんど使わない遊戯王カードを買ったり、ゲームに課金したりとめちゃくちゃやっていました。PC以外は相当な無駄遣いだったと思います。

 気づけば僕の貯金は0になり、毎月の収入源は奨学金の七万三千円だけでした。光熱費が一万で、家賃が五万、残り一万でやりくりするようになりました。よくテレビで一カ月一万円生活なんてやってますが、あんなのは大嘘です。実際にやってみればわかりますが、一万円では普通の生活なんてできません。割と美味しいご飯を作って食べてるようにみえますが、あんなの嘘です。編集でコロコロ料理が変わるせいです。現実は、毎日同じご飯の使いまわしになって、そのうちゴミに見えてきます。

 それから半年たった八月の僕はもはや限界でした。毎日同じご飯を食べすぎて、気が狂いそうになってしまい、七月に入った奨学金を外食で一気に使ってしまったのです。しかも貧しすぎて、顔から不幸がにじみ出ていて、バイトの面接に受かりません。そうして、ずるずると八月の実家に帰る一週間前、私の現金はたった五百円だけ。一週間過ごす方策が全く思いつかず途方にくれていました。

 結局私は、スーパーで卵を買ってきました。10個入りで160円くらいです。これを毎日一個ずつ三食食べる。これで一週間持つ上におつりまででる計算です。

 と、いうことで始めたのですが、一日三食もいらない気がしてきました。妙な節約熱に駆られた僕は、毎日卵一つで生活することにしたのです。

 毎日玉子一つ茹でて食べては、PCにむかって、夜は寝る。修行僧のような生活を僕は続けました。最初の二日は空腹感で眠れないこともありましたが、三日すると慣れてきてむしろ寝る時間が増えました。冬眠でもしようというのでしょうか。

 五日目の朝、目が覚め、立ち上がろうとしたとき、ふいによろけて壁に手をつきました。栄養不足で立つことすら困難になっていたのです。頭の中がぐるぐるかき回されるような感覚に襲われ、目の前を真っすぐみることもできません。ふらふらしながら、ついに私は余った切り札である340円を手に松屋にかけこみました。

 あれほどおいしい牛丼を食べたことはありません。生の味でした。生きることを感じたのです。あとで実家に帰ったときにあまりにげっそりしていて心配されたくらいでしたから、死にかけていたのだと思います。九死に一生を得た牛丼の味は筆舌に尽くしがたいものでした。

 と、ここまで絶望的なまでに苦しかった僕の一人暮らし、バイトに受かってからは、なんだかんだで自由に楽しくやれたし、最終的にはいい思い出しかない。一年ごとに掃除してくれた僕の友達と、高校の部活の後輩、元カノ、ありがとう。一緒に滝修行にいってくれたネトゲの友達、ありがとう。感謝の気持ちを伝えて上手く締めようと思ったけど、そもそも孤独の自由を謳歌しすぎて、感謝する相手がほとんどいない^^;;;

 これくらい自由にさっさと死ぬ方がよっぽど人生はいいかもしれませんね、終わり。