うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

六三六とかいうクソラーメン屋

 うひょーは激怒した。必ずやかの邪智暴虐のラーメン屋を取り除かねばならぬ。

 私は大変怒っている。あのクソラーメン屋六三六を許さない。

 兵庫に本店があるらしい、あのラーメン屋のことである。そのくそ兵庫ラーメンは岐阜駅前にある。二階から駅を出ると大きな歩道橋がある。そこを真っ直ぐに歩き、渋谷の真似事をしてビルに取り付けてある大きなテレビを横目に右折し、突き当たりの階段を下ったところにそれはある。

 あまりの憎しみにこんなところで書くなんてキチガイだと思うかもしれない。だが許せない。とにかくこの怒りを読んでほしい。

 みなさんはラーメン屋に一度は行ったことがあると思う。

 基本的にはカウンター席で、たまに一つや二つファミリー用にテーブル席があって、それらが厨房を取り囲むように配置されている。

 それで、みんな空いてる席に勝手に座ってのんびり食べる。二郎はさすがに空気が重いのでちんたらやってられないが、それでも基本的には自由に静かに食べることができる。

 ところが、この六三六は違う。入るといきなり先を指定される。ふつうの飲食店のようである。ラーメン屋の分際でなめている。席がほとんど空いているのに、ドアの近くを指定されることが多々ある。私は震えながら食べる時もある。

 空いている時くらいは暖かい奥の方で一生懸命作った料理を食べてもらおうという接客精神が全くない。マニュアル通り、ドアの近くに座らされるのだ。

 しかも、最初に水を置いて、まるでゴミを扱うかのように

 「ここ、どうぞ」

 と強制される。言葉が軽い。態度も軽い。客のことを自分の思い通りになる道具か何かだと考えているようだ。

 

 ちなみにもう少し歩くと、黒船というラーメン屋があるのだが、こちらの席の指定の仕方は非常に丁寧である。腹のそこから絞り出したような申し訳なさそうな声で、

 「すいません~こちらにお願いします~すいません~」

 と指定される。本心はどう思っているか知らないが、客のことを慮って声色を変えて、指定する姿勢は非常に素晴らしい。そこまでされて怒る人間はいないと思う。やはり、接客とはこうあるべきなのである。誰か一人でも不快に思うかもしれない、という前提に立って行動する。OMOTENASHIの原点はこの一点に尽きるのではないだろうか。

 もっとひどいことに、奴らは暇なのか知らないがヘラヘラ笑って話しながら作っている。あのスープの隠し味は店員の唾液である。そりゃうまいはずである。加えて頭にタオルを巻いて髪が入らないようにしているらしいが、普通に前髪がはみ出ていて意味がない。過去に髪の毛が入っていたこともある。

  とはいえ、そういう店なんだ、と自分に言い聞かせて、結構食べに行っていた。駅に近いラーメン屋は、そこか駅の中の一風堂しかないからだ。立地が良すぎる。帰り際、小腹がすいたときに、さっといってさっと帰ることができる場所だったのだ。カップラーメンの方が美味しいとはいえ、早く食べられるのは大きな長所である。

 

 そんな今日。私はいつものように六三六に行った。席指定にも慣れていたから、寒い席でもいいやという気持ちであった。いつものように食券を買う。にぼし塩ラーメンである。どこのラーメン屋にでもある凡庸な塩ラーメンである。

 そして、いつも通り席を指定され、私は座ろうとした。奥に座れるらしい。今日はついているなぁ・・・。のんびり食べられそうだ・・・。

 「あ、ちょっと、やっぱりこっちでおねがいします!!!」

  とドア際の席に急に案内される。目の前で水のコップを取り上げられる。厨房にいる店員が

 「すいません!すいません!」

 と騒々しく応援の声を上げる。私を無理にでもドア際に座らせようと必死なのが伝わってくる。私はヤギであった。ペーターがこっちだ!こっちにくるんだ!ユキ!と言って、捲し立てるのと同じように奴らは「すいません!」と言葉面だけ揃えて、金を払う客を思い通りに動かそうとするのである。

 その時、さすがの私も相当な嫌悪感をもった表情をしていた。歯を食いしばり、「潰れろ」という言葉をこらえる。あまりに強く拳を握りすぎて、爪が食い込んでいた。今すぐにでも机を叩きたい気分であった。

 私を止めたのは、自分が銀行員であるという事実に他ならない。公共性の高い我々のことを誰が見ているかわからない。大声で捲し立てるようなことがあって、万が一身バレしたらおしまいである。中学生の時、本気で怒ってラーメン屋に潰れろと何十回も叫んだことがあったが、あれはまだ責任がなかったからできたのだ。今は社会人だ・・・と何度も自分に言い聞かせ、顔を引っかきまくって堪えた。

 そんな怒りに狂った状態で食べるラーメンは本当にまずかった。味わう気はなかった。機械のように詰め込んだ。

 元々、大して美味しくないラーメンである。カップラーメンの方が美味しいレベルだ。にぼし出汁の塩ラーメンで、上に半分に切った卵ととめんま一本とネギがちょろっとのっているだけ。720円とは思えない。麺はゴム面に近い。コシがあるというよりは、ゴムのように弾力のあるブヨブヨとした食感だ。細麺にしては中途半端に太いせいで、余計にその得体のしれない食感が倍増している。

 スープには香りがほとんどない。ラーメンをすする最大のメリットは、スープの香りを堪能し、鼻でも味わうことで、旨味が立体的になる点にある。しかし、この煮干し塩ラーメンは、ほぼ無臭ですすっても何の感動も得られない。煮干しの生臭さを抑えようとして、風味が完全にそぎ落とされている。そんなに煮干しの匂いを抑えたいなら、普通の醤油ラーメンでも作ればいいのだ。なめくさったラーメンである。

 はっきり言って、スガキヤのとんこつらーめん(370円)と同レベルである。スガキヤも店員の唾液が入ったラーメンではあるが、値段が値段なだけに大して気にならない。だが、こちらの煮干し塩は720円もするのである。唾液だらけ、席も無暗に移動させられる。何よりまずい。

 自称ラーメン通を名乗るだけあって、学生時代は気が狂ったようにいろんなラーメン屋をめぐっていたが、東京ではこんな舐め腐ったラーメン屋は一つもなかった。どこも、それなりに接客から味まで気を遣っていた。チェーン店の怪しい中国人でさえ、不自由な日本語を操りながらも一生懸命に働いていた。

 だが、六三六にはその真摯さが全くない。感情のない機械を感情のない機械が接客しているようなものである。

 奴らにはまともな思考が存在しない。なんの思いやりも、気持ちも籠っていない無味無臭の店。残ったのはただのスープ麺。もはやラーメンですらない。

 これを機に私は絶対にこの六三六に行かないことを誓う。読者の皆様も岐阜に来たらそこだけには近寄らないでいただきたい。

 以上だ。