うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

インフルエンザ

最近、インフルエンザが大流行しているらしい。私の先輩のお子さんは、学級閉鎖で休みになったそうだ。

今年は流行が一月早いそうである。

インフルエンザは恐ろしい。多少の風邪であれば、「お?熱っぽいな?でも動けるし、ちょっと遊ぼっかな」という気持ちの余裕ができる。しかし、奴の場合は動けない。

一人暮らしの時、インフルエンザらしきものにかかったことがある。

「らしきもの」と述べたのは、立ち上がることすら困難で病院に行けなかったので、確証がないからである。

あの日は地獄だった。起き上がったのはたった一度だけ。2ℓペットボトルに水を入れたときである。

意識が朦朧とする中、たまに目が覚めたときに水を飲む。すると、多少熱が下がって楽になった気がする。しばらく経つと、また熱が上がって苦しくなり、意識が飛ぶ。たまに目がさめ、水を飲む。このサイクルを一日中続けたのだ。

ツイッターをする気力もなかった。ニコ生で意味もなく報告する気力もなかった。ただ、倒れていた。あれほど孤独を痛感した時間はない。

私は去年もインフルエンザにかかっている。原因は諸説あるが、カラオケに行ったのが悪かったのだと思う。一緒に行った友人達も皆、同じ日に熱が出たからだ。

あの密室空間にウイルスを持った人間が一人でも入れば、後から入った人間も次々と感染していくに違いない。この時期のカラオケボックスは、インフルエンザ培養器といっても過言ではない。

その時も意識が朦朧としたが、今回は一日で治った。次の日からは楽しい休暇のつもりで読者に励んだのを覚えている。

楽しい休暇も束の間、私は二連休を失った。銀行には大量の有給制度があり、その一つに二連休を取れる制度がある。私の銀行は大変古臭い職場なので、病欠の場合でも制度休暇を有給の代わりに消費しなければならない。潜伏期間込みで五日間休んだ私は二日をそこに当てさせられた。潜伏期間は不可抗力だろ、と思っても、そういう空気だから逃げられぬ。

休み明け、病み上がりの日、心配の声よりも先に、「どの休暇使う?」と先輩に聞かれた。慈悲のカケラもないふざけた職場である。

彼らの論理で言えば、休んで迷惑をかけたのだから当然だ、とのこと。君たちみたいに図太い雑草のような両津勘吉の親戚とは違って、私は繊細なのだが、と反論したかった。しかし、繊細な私は黙って従った。

一人だけ繊細な先輩がいた。

「風邪ひいて辛かったのに、制度休暇消費するなんてアホらしいなぁ!?」

と、誰にも聞こえないようにボソッと言ってくださった。あの一言がなかったら、未だに腑に落ちていないだろう。

全くくだらない社会である。今日の日経新聞に、労働者がどれくらい生き生きと働いているかについて、調査記事があった。それによれば、日本人は最低クラス、ドベから二番目との結果が出ている。

記者によれば、日本人は受動的に真面目にやる能力はあるが、生き生きとしていないから、イノベーションが生まれにくいそうだ。今回は休み一つ取ってもそうである。せっかくの休暇を奪われたのでは、やる気など吹き飛んでしまう。

あぁ、アメリカ人に生まれたかった。

なんのオチもないつまらない話だったが、とりあえず生きていることを報告しに来た。