うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

受験の思い出

 今週のお題「受験」らしい。

 センター試験は先週のことだっただろうか。ムーミンフィンランドがどうだの、スウェーデンだのと、非常に揉めたそうである。私の頃は大して揉めていなかったと思う。その年のテストが非常に簡単だったこと以外、何も覚えていない。大半が記憶から消え去るほど、歳月は過ぎ去ってしまったようだ。

 とはいえ、まだまだ23歳である。未だに残るわずかな記憶の断片をつなぎとめ、受験の思い出を語っていこうと思う。

 センター試験の日が雪だったのか、雨だったのか、晴れだったのか、それすらも覚えていない。ただ寒かったのは覚えている。

 受験会場は岐阜大学。送迎の車で渋滞しており、入るのも降りるのも一苦労だった。会場に行くまでの交通手段は車以外はほとんど役に立たないので、電車のある東京より混雑していたかもしれない。

 玄関から入り、受験番号と教室が書かれた張り紙を確認し、階段を上った。そこが何階なのか覚えていないが、教室の真ん中からちょっとだけ廊下側にある席に座った。暖房は効いていない。国立大学のくせにケチくせぇなぁ、と当時の私は思っていただろう。

 私の母校の生徒は、皆岐阜が大嫌いだった。もちろん残る人間もいたが、大半は外へ出ていくのである。その典型である私は、岐阜大学を、田舎くさい、オンボロの、地味な、何の楽しみもない、ゴミだと考えていた。こんなところで学生生活を送ったら人生を無駄にするとまで考えていた。いや、今でもそれは正しいと思っている。

 こうして振り返ると、とんでもない高校生である。大学内で目につくもの全てに、悪口を言っていたと思う。23歳の今も根っこの部分は全く変わっていない気もする。

 教室には知り合いが全くいなかった。同じ高校の生徒はいたのだが、大して仲良くもない奴らしかいなかった。何せ私は変人だったから、少数の変人としか交友関係を結んでいなかったのである。

 もちろん常識人もいた。彼はテニス部だった。特別仲良くしようと努力したわけでもない。だが、いつも私に向き合うように席をくっつけてきて、二人で一緒に弁当を食べた。食事中は絶対に会話しない人間と食べて何が楽しいのか、不思議だった。食べ終わった後は急に元気になったから、そこを気に入ってくれたのかもしれない。

 さて、話は戻り、センター試験。私は本番に強い。今まで一度も大事なところで緊張したことがない。受験生の読者がいるかもしれないから、この点でアドバイスしておく。

 精神コントロールのコツは、終わったことを悔やまないことである。ダメならダメで次で取ると、自分に何百回でも言い聞かせるのだ。すると不思議なことに、自己暗示にかかり、気分に余裕ができ、根拠のない自信まで湧いてくる。受験勉強の時に自信満々では困るが、本番はそれくらいの方が強い。

 私の友人には、模試の時だけ偏差値が70を超える男がいた。だが、本番は緊張と精神の弱さのあまり、私より点数が低かったのである。低いどころか650点程度しかなく、志望校の二次試験を辞退し、浪人した。受験生に伝えたい。実力よりも自信だ、それだけで割と上手くいく、と。

 根っからの文系の私は、数学と生物が苦手だった。数学に関しては、中学生時代の得意教科だったから、それなりにこなせる。だが、生物は本当にダメだった。全く興味が持てない。細胞の組織の名前など、退屈の極みである。私の悪い癖で、興味がないものは脳みそに入らないので、とにかくボロボロだった。物理を選択したほうが点数が取れていたかもしれない。

 世界史、日本史は私のホームグラウンドだった。日本史は大嫌いだったが、世界史を覚えてしまえば、勝手に頭に入ってきた。結局、世界史よりも日本史のほうが点数が高く、屈辱的だったのを覚えている。ちなみに歴史のコツは、言葉をつなげることである。そして、当時の世界を想像するのだ。無機質に単語で覚えても頭に入らないが、ストーリーになれば覚えられる。今でも僕の脳内では、カエサルが演説し、メフメト2世がコンスタンティノープルを大砲で破壊し、鄭和が世界中を航海している。

 さて、現代文の得意な人間は、点数を取るコツについて、「いや、書いてあるし」と口をそろえて言うが、まさにその通りである。読書家の私も、ただ書いてあることを選ぶだけで点数が取れた。つまり、国語も余裕だった。

 最後に英語。これも私の得意分野であった。国語ができる人間は、同時に英語もできる。ノーム・チョムスキーは、人間が生まれながらにして共通の文法を持っている、という考えを提唱したが、私もそう思う。難しい日本語を類推して読むのと同じ要領で英語を読めば、SVOCなどと小賢しい文法を覚えずとも、ターゲットを丸暗記しなくとも、大筋は理解できる。

 つまり、英語も余裕だった。と言いたいのだが、私にとっての最大のアキレス腱、リスニングについて語らねばなるまい。

 生まれてからずっとリスニングが嫌いだった。日本語のリスニングすら、点数は平均以下だった。なぜか?想像力が豊かすぎるからである。私は単語一つだけで、壮大な物語が思い浮かんでしまう。読書をしすぎたのか、妄想が激しかったのか、アニメの見すぎなのか、わからない。歴史の勉強には役立った。しかし、リスニングでは邪魔である。

 声が女性であれば、すぐに年齢を想像してしまう。パールのネックレスの話をしているのを聞き、マダムを想像する。鼻は高く、背も高い。パープルのドレスを着て、ヒールの高い靴をカツカツ鳴らしながら歩き続ける・・・。彼女の人生は・・・?実は貧乏で、玉の輿に乗っかった・・・等々。2分くらいの会話すら聞き続けられず、別の世界に行ってしまうのである。

 結局、20点だった。筆記は9割を超えていたが、足したら8割。惨めなものだ。

 以上が私のセンター試験の思い出である。

 受験生の読者諸君に最後に伝えたい。妄想はほどほどにしろ、と。