うひょーくんのブロマガ

つまりそういうこと

神保町ブックカフェ

どうも僕です。

そういえば、僕は神保町ブックカフェに行ってきたことを思い出しました。昔、岩波ブックセンターという、岩波書店系の本が大量に売られている本屋があったのですが、それが2016年11月に閉店し、今回のブックカフェができたとのことです。

確かその年の夏、東京見物だと言って友人の家に泊まっていたと思います。社会が嫌で嫌で仕方なくて、本を100冊読むとか言い出したのもあの頃、小説から学問まで幅広く読みだした時期でした。泊まった友人の家は近かったので、珍しく古本屋を巡りたくなって神保町に行きました。
ほとんど記憶にないのですが、東京メトロの神保町で降りて、すぐ近くにあったと思います。岩波書店と大きな看板が掲げられた本屋でした。なんとも神保町らしい!と興奮して入っていくと、置いてある本がすごい。最初に目に飛び込んできたのは、夏目漱石石川啄木の俳句集。誰が買うねん!と思いつつ、当時の僕は現実逃避で俳句作りまくっていたので、買ったと思います。

そこから壁沿いに真っすぐ進むとマルクスコーナーがあって、日本政治コーナーがあって、さらに奥に行くと芸術書コーナーがあります。この芸術書がまたすごい。普通は画集として写真だけが大量に載っているのですが、岩波は違う。ほぼ文章で評論が書かれているのです。さすがの僕も買えませんでした。
このお店は岩波と資本提携をしているわけではないらしく、文庫本のコーナーには新潮社やちくまも顔を覗かせていました。

さて、そんなすごいブックセンター、潰れていました。破産申立をしたそうです。どうやら全く売れていなかったらしい。
そりゃそうですよね、現代では岩波のような本を読む人間はいないのです。読んだところで話のネタにもならないから、生き残るのは池上彰くらい。そんな状況で誰があの教養に特化した岩波の、しかも文庫ですらない学術書を買うというのでしょうか?アマゾンが少しだけ在庫を抱えて全国でたった一人いるかいないかの奇特な人間に、運送するくらいが一番なのです。
・・・というのを最近日経新聞で読んで、もう本屋って終わりだなぁなんて思っていたのですが、そこで知ったのが神保町ブックカフェ。さっそく突撃しました。

 入るとめちゃくちゃおしゃれな店内。写真撮るのが怖かったので、全体像はとっていませんが、入口から右側は普通のカフェで、壁沿いに本が並んでいる感じ。
置いてある本はやっぱりただの岩波。最初からマルクスを飛ばしてきます。ブックセンターでしか見たことのない芸術書もありました。

柱の案内には本を読むだけでもOK、コーヒー飲むだけでもOK、本を持ち込んでもOKと書いてありました。どうやら立ち読みもできるらしい。
よくわからなかったので、「す、すいません、これってコーヒーも頼めるんですか?」などと的を得ない質問をすると、本とは無縁そうなイケメンの店員が「席についていただければ、メニュー等ご案内しますよ」と答えてくれた。

このメニューが素晴らしい。岩波文庫のカバーをとるとオレンジのような茶色のような色の中身が出てくるんですけど、全く同じ見た目のメニューがやってきます。そしてメニューの文字も岩波風。ファン心をちょっとくすぐってくれます。
とりあえず文庫アイスコーヒーとチョコケーキを注文。店員のお姉さんに甘いものどうですか?と聞かれ、断れずにケーキまで買ってしまった^^;

 

で、それがこれ。

f:id:uhyo3:20180709114150j:plain

ブログ書こうと思い立ったのはこのタイミングなので、ケーキも食べかけ^^;
光は読書を読むのに程よい強さの暖色。目の前には岩波文庫赤。あ~ジャンクリストフ読んでねぇや^^と思わず反省。コーヒーはまぁ普通、ケーキは岩波にしてはめちゃくちゃおしゃれで味も最高だったので驚きました。

さて、これが現代の本屋の実情というわけですね。新潮社は昔から小説の表紙を鮮やかにして、ライト層が手に取りやすい工夫をしてきました。一方岩波はいつまでたっても赤、緑、青・・・だったわけですが、今回のブックストアは相当新しい。置いてある本は古臭いですが、カフェは完全に時代に追いつけています。

ここからは岩波の悪口になりますがね、今まで古臭すぎたんですよ。岩波って押すところあります?君たちはどう生きるか?か、資本論くらいでしょ???しかも資本論は他の会社がもっとわかりやすの出していると来る。

表紙はいつまでも赤青緑。見た瞬間に誰もがうっとなってしまう。僕みたいなもの好きなら、あぁ岩波だなぁいいなぁなんて思うけど、世間一般は違うんですよね。たぶん岩波の社員も、僕のような人間なんですよ。でもコネ採用だから、完全に内輪に籠ってるわけ。

ライバルの新潮社はね、努力してますよ?僕の「ロミオとジュリエット」は全部ピンクのプレミアムカバーですし、できるだけ売ろうっていう感じがすごくするんですよ。表紙も凝った絵ですし。岩波文庫の表紙ってちょっとした絵とあとはあらすじの解説がついてるパターンですがね、それで誰が買うっていうんですか?今は本全盛期の世代が生きてるからいいけど、この先どんどん死んでいって、買う人なんていなくなりますよ。

しかもねぇ!翻訳本の種類も意外としょぼいんすよ岩波。
フーコーは新潮社だし、アーレント、レヴィストロースはみすず書房。岩波は何を翻訳したんですか?一般理論は確かに今でもみんな岩波読みますけどね、それくらいでしょう?資本論はもうほかの出版社のほうが面白いですからね。翻訳作業さえも今や他社に遅れてる。学問の発展だのなんだのと吹聴しておきながら、戦後の学者の本すら売り出せない会社なんてもうだめですよ。もっと本気出してくれや。

 さんざん悪口を言いましたが、今回の神保町についてはよく頑張りましたね、と言いたい。

今の本屋は経営が相当厳しいと思う。田舎じゃもう本は売れないから、3分の1は文房具、3分の1は中古ゲームとDVDレンタルがついてて、本はおまけ状態。
東京は人口があるから、マニアックな読者をひきつけるべく、とんでもない売り場面積で図書館より幅広い在庫を取りそろえる作戦が主流です。この物量があると、さすがにアマゾンでも対抗しにくい。

そんな中岩波メインで行くために、カフェを戦略としたのは素晴らしい。実際店内は常にほぼ満席。しかも、結構みんな本買ってる。カフェで立ち読みするには岩波の本は、分量が多く、内容も濃いから、最後は買って帰るしかないからだと思います。ラノベだったらこうはいかない。カフェでさらっと読んで戻すくらいの軽さだからね。

古風で難解な岩波の特徴を存分に生かしつつ、ブックカフェという流行をとらえた戦略はよく頑張りましたね!(上から目線)
資本論以外のマルクスと、一般理論を全部岩波で読んだ僕としては、やっぱり生き残ってほしいので、これからも是非頑張ってほしいですね。

 
以上!!

 

 

 

池袋にやってくる

一年ぶりくらいの東京。アキバから池袋へ行くため、山手線に乗る。なんだかいつもより、緑色が鮮やかに見えた。中に入ると、それは勘違いではないことに気づく。座席が新しい。背もたれがS字カーブになっていて、腰が疲れない。しかも、背中の丸みに合わせるように両サイドが出っ張っている。
うおおおおおおおおおおおおさすが東京だぜぇ!、と思いつつぐるぐる回って池袋駅に着く。

目指すは東口。かの有名な乙女ロードがあり、日本最大級の売り場面積を誇るジュンク堂丸善が並び、サンシャインがあり、ラーメン二郎もスイパラもある、遊ぶには最高の場所である。

上を見ながら東口の案内を探していると、いつもこの看板にぶち当たる。

f:id:uhyo3:20180708185544j:plain

ISP・・・。Ikebukuro Shopping Parkの略である。
口に出して読んでみてほしい。

ISP,アイエスピー・・・・なんか、語呂がよくない。
なんだろう、GSP,Gifu Shopping Park みたいな、ちょっと若者を意識してみた、都会を意識して英語を使ってみました、という感じがする。とてもださい。妙に田舎くさい。

名古屋が無理やり観光地を作ろうとして、使いそうなネーミングセンスである。それを天下の東京、池袋が使っているのに相当な違和感を感じるのである。
元カノとデートをしたときに、散々悪口を言ったのだが、苦笑いされるだけであった。しかし、読者の皆さんはわかっていただけるであろう、変だろ?やっぱ。

それなら例えば、Uhyo Sekigun Blog 略してUSBのほうがかっこいいだろう・・・。もしくは、Uhyomi Channel Blog 略して、UCBなどのほうがよっぽど語呂がいい。

何はともあれ、世の中の英語三文字の略称は、結構語呂がよく受け入れられているのが多い。FPS,TPS,PKO,CPU,LOL等々・・・。語呂がいいだろ?最初から語呂を意識して英語名が作られているのだろうか?
冷静に考えてみれば、ISPのIは池袋と日本語だが、他の略称は英語ですね。そういうところがだささの違いかもしれません。

池袋のネカフェでやることなさすぎて、ちょっと書いてみました。
せっかく東京についたので、自分を追い込んでめちゃくちゃ書きまくってみようと思います。お題があれば言ってください。終わり。

 

TIBORがマイナスになってしまった

どうもこんばんは。

今日は銀行員っぽいことを書きます。

TIBORがマイナスになりました。

TIBORとは何か?銀行が一時的な資金不足に陥ったときに、他の銀行からお金を借ります。その利息がTIBORです。円だのユーロだのありますが、当然日本円の話をします。

 

TIBORには1W,1,2,3,6,12Mがあります。Wはウィークで週。Mはマンスで月です。

今日ついにTIBOR1Wがマイナスになったのです(-0.00818)。それで私の銀行は大騒ぎです。何故かというと、TIBORを基準にした利息で貸す方法があるのです。

スプレッド貸というのですが、基本的には当座貸越というカードローンの企業版みたいなので使います。

TIBOR+○○%というように、借りた日のTIBORを基準に銀行の利益分を上乗せした金利でお金を借りることができます。

超優良企業が低金利でお金を借りるために作られたもので、めちゃくちゃ金利が低い。0.5%とかは日常茶飯事。一般の個人が借りるカードローンが8%~12%くらいなのを考えると馬鹿みたいに安いことがわかりますね。

 

で、何はともあれ銀行の貸付の最低ラインを突き進んできたこのスプレッド貸。考案した人間たちは、マイナス金利が未来にあるなんて考えたこともなかったのです。

ところがどっこい、今やそれが当然。するとこうも考えられます。TIBOR+○○%<0%ということもありうるのではないか?と。

お金を貸しているのに金利を相手に渡すという気が狂ったことになってしまうと大騒ぎなわけでございます。

そんなわけでケインジアンの僕は上司に議論をふっかけましたが、ケインズを知らないボスには逃げられました。

悶々としながら電車に乗った僕。空いていた席に座ると、隣にいたおじさんの口臭が予想以上にきつくて、演技抜きで嗚咽を漏らしました。もう一度嗅いだら死ぬ。そう思った僕は鼻を摘まみました。

そうして、もう一度マイナス金利について考えました。

利子とは何か?それはお金の価値です。

お金は当然、物と交換できるので価値尺度として存在しています。何か別の商品と交換するとき、千円は千円なのです。

しかし、お金には本質的な価値があります。どんなものにも変えられるという価値です。これを流動性と呼びます。

ケインズはこう言います。人間はこの流動性を好む傾向がある、と。

簡単に言うと、200円のポテチと、200円玉のどちらかを選べと言われたら、当然200円玉を選ぶということです。

だって、そうでしょう?200円玉ならチョコでも飴でも買える。もちろんポテチにもできる。でもポテチは、ポテチしか無理です。飴とかチョコくらいならお菓子交換できるかもしれないけど、ノートと交換する人はいないでしょう。いたとしても探すのは大変。それなら200円玉を持っていて、文具屋に行った方が早い。

 

さて、こうしてお金にはどんなものにも変えられる価値があることがわかりました。

では今と10年後、どっちが価値があるでしょうか?人によりますが、お金を借りようとする人は、今の方がお金に価値があります。

例えば、家を買いたいと住宅ローンを借りる人。30年後、子どもも巣立ったような家庭で我が家をもって何の意味があるでしょうか?今我が家に住みたいですよね???

例えば、何かあったときに備えたい人。将来に向けてお金をちまちま積み立てている最中に、急にお金が大量に必要になったら困りますよね?5年分の貯金を前借してでも今使いたいですよね!?

こうして出来た今と将来のお金の価値の差が利子というわけです。

 

今>将来、今-将来=利子

というわけ。

そこで、インフレになって今まで200円で買えたポテチが400円になったとすると、今のお金の価値が下がる。いつまでもインフレなわけがなく、将来デフレになる確率が上がるので、将来の価値も上がってしまい、総合的に利子が下がっていく。

さて、ケインズはこの時、流動性の罠というのを想定していました。インフレになりまくっても、交換できる機能がお金にある限り、利子はそれ以上は下がらない!と。

 

でも下がっちゃったんです。流動性の罠突破しちゃったんです。

さぁなんででしょう!?というのが本題。

このころには僕の視線の先には反対側に座るJKの生足がありました。斜め右前には気が狂ったような声でしゃべるキモータがいました。いつも通りの電車でした。

まぁこんだけ長々と話したんですけど、今回のは簡単ですね。

-0.00818%とかいう微々たるものですからね。

貸し手:お金を持つ維持コストを手放したい、どうせ貸せないし 借り手:1週間借りたって金利低いし、まともに利益がないからいらない。

という両者の考えが一致してマイナスになったんじゃないでしょうかね。

はぁつまらない結論でしたね。

 

もっとマイナスになるとしたら、もっと日銀が金を出し続けて、やりすぎで金融引き締めになりそう!ってなったらマイナスになりそうですね。だって今の価値めっちゃ低くなるじゃないですか!!!!

 

そんなわけで疲れたので寝ます。 終わり。

フーコー流の考え方を一瞬で説明する。

読書感想文の感想に多大な影響を与えているフーコーさん。今回は読者が感想の理解に苦しまないように、こういうこと考えてるんですよ!というアピールをしておきたい。

画像を使えと言われたので下に貼っておく。こいつがフーコーだ。日本の寺で修業したこともあるらしい。頭の話はやめたれw

f:id:uhyo3:20180616233145j:plain

大袈裟なタイトルだけども、言いたいことはたった一つ.。

 

論理は無数にある。現代の常識は、たまたま大半の人に受け入れられている論理にすぎないということである。

例えば、いつぞやの障害者施設で何人も殺した男が、「障害者は生きてるだけで社会の邪魔だから殺した」という論理を語っていた。

これも論理としてアリなのだ。正しいのだ。彼にとっては証拠さえあったのだ。

ある日、「発作で溺れていた被害者を助けたが、感謝されなかった。大事にならなかったとはいえ、せめて心配の一言があると思っていた。」らしい。

この言葉だけ見ると、最初は常人だということがわかる。

どうして変わったのか?働くうちに「障害者は生きているだけで社会の邪魔」という論理を裏付けする経験が山ほど積み重なったのではないだろうか?

と、いうように世の中の論理は無数にあるし、それを正当化する証拠もたくさん出てくる。多数の人間が同じ考えを持っているという事実そのものが、一つの証拠になるので、常識的な考えは正当化されやすい、というだけの話である。

フーコーはここから、今の時代の論理は何なのか?を研究していくわけですね^^それ以上知りたかったら、本読んでください^^

 

フーコー的な考えでニュースや新聞を見ると、すごく発想が偏ってるのがよくわかります(右翼だの左翼だのという意味ではなく)。

記者としては正論を叩きつけて批判していると思っていますが、実際は相手の論理が全く傷ついてない。そういう肩透かしな記事、ニュースで溢れているのがよく実感できると思います。

障害者殺人事件でも、知識人が「これは人として許されることじゃない!」などと言って論破した気になってますけど、現状障害者が邪魔で人を不幸にしている証拠が彼の手に握られてますから、これを否定する証拠を突きつけないと潰したことになりません。

 

みなさん柔軟に考えていきましょうや^^手抜きですが終わり。

僕の社会人生活

 今日アマゾンプライムで「RELIFE」の完結編を見た。

 社会人生活でトラウマを抱え、ニートになった主人公が、若返りの薬を飲んで一年間限定で高校生活、青春を送るという話である。

 本編を見たのは学生時代だったから、あぁはいはい、という感じでさらりと見ていたんですが、今見ると心が痛む^^;

 社会人になってから碌なことがない。たぶん普通の社会人は、慣れてきて責任のある仕事を任されることに徐々に満足感を覚えていくのだろう。しかし、僕はどうもそこまでなり切れない。

 朝起きると、食事をとる。特に月曜日は喉を通らない。外回りを辞めたところでこの習慣は健在である。今は電車で1時間くらいかかる場所に通勤している。今日の仕事が頭の中をぐるぐると巡るのが辛いので、逃げるように眠るのが日課だ。

 職場につくと、「おはようございます」と全員に言って回る。多少声を張らないとまた文句を言われるので、力の無い大きな声で挨拶をする。とりあえず新聞を読むのだが、この時から既に気が抜けない。急に呼ばれて雑用を申し伝えられることがある。急に先輩が掃除し始めたりすると、静かに寄って手伝いをしなければならない。

 その業務前の無駄な儀式(約45分)を過ごすと、今度は朝礼。ここでも挨拶の儀式があるのだが、声を張らないと文句言われるので、力の無い大きな声で挨拶をする。

 終わると、開店のシャッターをあける。9時に少しでも遅れると、客に怒られるし、早いと上司に怒られるので、パソコン画面をちらちら見ながら朝の準備。まずここで無駄に精神を削られる。そして開けるときも当然、力のない大きな声で挨拶。

 朝のルーティンが1時間くらいかかる。半分くらいは印鑑押すだけ。一つでも押し忘れると当然怒られる。意味もわからない書類に機械的に押すこの印鑑に何の意味があるのだろうか。既に訳が分からない。

 仕事をしていると、急に呼び出される。これはマニュアルのどこにあるのか?と聞かれる。そんなものは知るわけがない。マニュアル大嫌い人間の僕が、同じ通りに仕事しているわけがない。しかもマニュアル自体の作りも悪い。前提知識のない人間が見たところで何一つ役に立たない代物である。

 接客をすれば、お客さんがわずかに書き間違えたところで訂正印をもらう。訂正印で済むならいい方である。書類によっては印鑑を押し損たり、書き間違えるともう一度書き直しである。

 当然向こうは常人なので、なぜ書き直しなのかさっぱり理解できない。表情が曇る。僕もこんなのはくそったれだと思っているので、胸がつまる。

 書き直しだということに気づかなかったこともある。その時は謝罪して、返信用封筒を送り付けてもう一度書いてもらった。往復で164円。プラス僕が郵送するために要した時間の給与。果たしてそこまで費用を垂れ流してやることなのだろうか。

 などという針の目を通すような仕事をしつつ、ミスをポロポロして怒られ続ける。どれも本当にゴミみたいなミスである。それをミスったところで大勢に影響なし。誰が困るわけでもない行程である。

 15時になるとシャッターを閉める。遅いと上司に怒られ、早いと客に怒られる。じゃあてめぇがやれやwと何度思ったことだろうか。防犯の一環で店の見回りをすることもある。くだらないことでやり方にケチをつけられる。じゃあてめえがやれや(二度目)

 普通の仕事でも、やり方にケチをつけられる。結果は同じだがやり方がダメだと言われる。どうしても自分のやり方を踏襲しないと気が済まないキチガイが銀行には多い。じゃあてめえがやれや(三度目)

 いったん日常業務の締め作業をして、あとは残業。

 一日を通して、周りの動きを常に気にしなければならない。コピーだの雑用っぽいのがあれば全て「やりましょうか?」と声をかけるのがマナーである。そうしないと文句を言われる。

 彼らの中ではそれが常識なのである。どれだけ歪であっても、そこに疑問点を持たない。想像力の欠如が凄まじい。

 世間的にはマニュアル人間は悪だとされるが、銀行はそれが一番奨励される。機械のようにルールに従うロボットこそが求められる姿である。別に想像的な仕事がしたいというベンチャー的な考えがあるわけではない。融通が全く利かないことに吐き気がするだけである。

 ここで仕事をしていると、思考を失った人間になりそうである。職場を見ていても皆思考を欠いている。牢獄で毎日運動している受刑者とやっていることは変わらないのだ。

 僕は果たして何の為に生きているのでしょうか。非常に退屈、あぁ死にたい。

 じゃあな。

 

素晴らしき食レポ 第二回

今週は本を読み切れずに読書感想文を書けないので、食レポやりまーすwwwwww

これからは毎日じゃなくて毎週更新していくつもりなのでよろしくね!!!!!!!!!!

一週間あればネタ一つくらいは出ますよね・・・出ませんでした!w

なので食レポしますwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

今回の食レポはこちら!じゃじゃん!「堅あげポテト梅味」
季節限定和歌山県産梅100%の梅肉パウダーが使用されているとのこと。

早速、実食!

ばりばりむしゃむしゃ・・・ばりばりばいらおいあjろいあうぇjりおあjりおあjりおあjむしゃむしゃむしゃぐしゃばりぼりいいいいいいいいい

 

うーんwうまい!

梅はやっぱり安定ですね、あさりだのわさびだのとは違って普通に合う。風味としてはわざびにあさりでもあったように、しっかりしています!!

うーん酸っぱいwでも、食べた後口の中とっても爽やか!

後味がいい!!こんなこともあるんですねぇ~w

梅の宝石箱や~www

Todays うひょキンズポイント!!!!!!とぅるるるるるるるるるるるるるるるるるうっるうるるrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr

 

40点!!!!

 

うんうまい!堅あげポテトとしてはうまい!だが、所詮堅あげポテト!元も子もないが、やっぱり所詮は堅あげポテト!!!というかそうしておかないと、インフレが止まらなくなって200点とか出さないといけなくなっちゃうので、調整します!!終わり!!!!!

 

ではなく!!!!!!

今回も二段構成!

堅あげポテト牛タン塩レモン味!!!!!!!!!

また怪しげな味ですねぇ絶対まずい

早速、実食!

ばりばりむしゃむしゃ・・・ばりばりばいらおいあjろいあうぇjりおあjりおあjりおあjむしゃむしゃむしゃぐしゃばりぼりいいいいいいいいい

 

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんんんんんんんんんんんんんんんんんん

うまい!!!!!!

食べただけで焼肉キングを思い出しました!焼肉の匂いが鼻を巡ります!!!そしてかすかに効いてくるレモン味!

まさにタン塩にレモンをかけた味そのもの!!!

そして、堅あげポテトは堅いんです!タン塩ももちろん堅いんです!!!!ちょうど食感もマッチしていて、手軽に楽しめる牛タンってかんじですね!

芋っぽさが全くない!!!!!ここまで原作を再現した味はあったでしょうか!?いやありません!!

焼肉いくまでもない、匂いがつくのが嫌だ!そんなあなたにお勧め!!!お菓子だから手軽!かつ、匂いなんてつくわけがない!!!!おいしいです!!!!!!

 

Todays うひょキンズポイント!!!!!!とぅるるるるるるるるるるるるるるるるるうっるうるるrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr

 

70点!!!!!!!!もう100点越えも辞さない構え!!!諦めました!低い点数なんてつけられないんです!ミシュラン食べたら一万点つけます!!!それくらい低い点数をつけるのが申し訳ない美味しさでした!!!!!

 

はい!今回は二つとも当たりでした!!次回もお楽しみに!ばいばいにーwwwwwwwwwwwwwwww

 

読書感想文 島崎藤村「破戒」

 どうも、僕です。

 今回は島崎藤村の「破戒」について書きます。これで新潮社発行部数トップ10を攻略しました。いろんな話がありますが、こんなに社会派なのは初めて読みます。感情を扱う小説か、物事を分析する学術書しか読んだことないので、中間の小説って意外と少ないんですよね。

 

 <要約>

 今回の主人公は瀬川丑松君。彼の一族は代々穢多であります。ちなみに穢多は一発変換できません。規制かかってますねぇ・・・。職業は小学校の教師。父親から言いつけられた自分の身分を明かしてはならないという戒めを守っています。ちなみに父親は誰にもバレないように山奥で静かに、牧場を営みながら暮らしています。これもすべて丑松のためです。

 さてこの話、住んでいた宿で金持ちのおっさんが穢多だとバレて、村中の人、宿の主たちから罵詈雑言を浴びせられ、追放されるところから始まります。

 自分もそうなるかもしれないと恐れた丑松君は、蓮華寺に住むことにしました。そこの女将さんや、同僚の銀之助、先輩教員の敬之進と、いろんな人に囲まれながら暮らします。敬之進の娘のお志保に恋したり、なんだかいろいろ進みます。

 そんな丑松の尊敬する思想家が猪子蓮太郎。自分が穢多だということを公表しつつ、思想を本にして広めている男です。丑松は身分を恐れない、堂々とした態度を尊敬し、心の中で先輩と呼びます。

 紆余曲折あって、丑松は父親が死んだとの連絡を受け、故郷に帰ると、学校でも見かけた高柳という政治家を見つけます。また、道中猪子蓮太郎と今度の選挙に出る市村弁護士に会います。先輩と意気投合する丑松。自分の身分を打ち明けて、もっと深い付き合いになりたいと思います。

 しかし、叔父から最後の父の言葉が「忘れるな」だったことを聞き、先輩に告げようとする度に戒めが心を捉え、話すことができません。

 葬式が終わり、帰る途中、高柳が金のために穢多の娘と結婚したことを知ります。選挙で困るので隠しており、それを許せん!と先輩は憤るのでした。その怒りは丑松にもぶっ刺さり良心の呵責に悩まされます。

 さて、蓮華寺に帰ると妙な噂が立っていました。丑松が穢多だというのです。いろんな追及を受けてついに寝込む丑松。この際さっさと打ち明けてしまおうとかとも思います。一方、お志保へ募る恋心。銀之助は最近の陰鬱な空気の原因を、この恋だと考えます。

 またもや紆余曲折あって、市村弁護士と猪子蓮太郎が村にやってきます。そして、高柳の事実を吹聴したことで、先輩は殺されてしまうのです。

 激しい後悔が丑松を襲い、ついに全てを打ち明けることを決心します。学校中の人に泣きながら謝りながら告白し、お志保にも土下座して伝え、一生会うことはないだろうと告げます。告白を聞いた校長は丑松の追放を決めます。元々丑松はここを去る予定だったのですが。

 絶望しながら、猪子先生の葬儀についていく丑松。しかし、そこから転機がやってきます。銀之助は友情を捨てずに別れの手伝いをします。

 そして、金八先生ばりに生徒に大人気の丑松。生徒たちが先生を辞めさせないで!と校長に直談判します。最後は学校の命令を無視して、お別れの挨拶をしに丑松の元にやってきます。

 穢多だと諦めたお志保への恋心。彼女は身分は関係ないと、丑松と結婚する約束をします。

 失った職の代わりも見つかります。最初に追い出された大金持ちが、今度テキサスで新事業を始めるというので、雇ってもらえたのです。

 俺たちの人生はこれからだ!というところでこの話は終わります。

 

 <感想>

 大変陰鬱な話でございました。が、あまり実感がわかない、感情移入ができない。それもそのはず、もう僕には穢多への差別意識微塵もないからです。言葉というのはそれ自体では記号でしかなく、実体と結びつかなければ、ただの文字の羅列でしかないのです。僕にとっては、もはや記号そのものでしかないわけですね。生まれてこの方そういった経験が全くなかったので、指す対象が欠如しているのです。

 などと最初から哲学的な話をしましたが、この本を読んで穢多について考えたので聞いてください。

 「穢多」は江戸時代に作られた農民より下の身分。彼らの仕事は家畜の処刑。毎日血にまみれる彼らは徐々に生理的に嫌われるようになります。この差別構造を幕府は利用して農民の不満を抑えていたとも言います。

 「破戒」では「穢多らしい」という言葉が出てきます。顔つきが陰鬱だったり、体格が不健康そうだとかいう特徴があるというのです。丑松に疑惑がかかったとき、銀之助はこの「穢多らしさ」がないことを理由に疑惑を否定します。この「穢多らしさ」というのは私の人生でも経験があります。

 岐阜の養老は元穢多の人間が多く住むことで知られています。家畜の処刑をやっていたこともあって、あの辺りは高級肉が買えることで有名だったりします。たまたま何かの拍子でその話を母親としたことがあります。その時、母は「あそこの人たちは様子がおかしい」と言ったのです。当時の僕は母が何を言っているのかわかりませんでしたが、この小説を読んだとき、あぁこのことかと思ったわけです。ちなみに僕の両親は相当リベラルなので、部落差別がどれほど根付いているかがよくわかります。

 差別というのは何か一般よりも異質なものが、被差別側になければ成立しません。黒人差別はわかりやすいもので、身体的特徴から差別が始まっています。「いじめ」に関しては、より個人的な感情で発生する場合もありますが、社会構造において一定の集団を差別するためには、より包括的な特徴(肌が黒い)といったものが必要となります。そうでなければ、差別を正当化できないからです。

 そこで穢多にも、穢多らしさという特徴を作り出します。ところが、この穢多らしさというのは、肌が黒いよりも非常に抽象的です。陰鬱な表情なんて、僕も含めた世の中のインキャは全員当てはまってしまう。全員部落だとでもいうのでしょうか?この曖昧さこそが部落差別の大変醜いところであります。

 日本はほぼ単一民族国家で、人種的に差別することは基本的に不可能です。ところが、穢多という人種を作り出すことで、人種差別を可能にしているのです。この小説にも「穢多という人種」という言葉よく出てきます。

 身体的特徴による社会的な被差別集団がいない日本では、人間の思考によって、より曖昧な特徴が作られ、被差別集団を作り出すことに成功してしまったのです。

 ところが、そんな曖昧な定義で出来た穢多は、今回の丑松のように普通の生身の人間関係によって消滅してしまいます。よくネトウヨが言う韓国人はダメだけど全部じゃない、っていう理論と同じですね。社会的集団を蔑視する際には、例外もあるという逃げ道を作ることで矛盾を解消させるのです。

 猪子蓮太郎は自分の身分を明かすことで、教師をやっていた高校から追い出されました。それ以降、社会的に自分の身分を公にすることで、逆に表立って批判することができなくなったのです。隠していたり、引け目を感じている様子があるからこそ、差別が正当化されるのです。特に日本人は公然と差別をすることができない民族なので、公にして自信満々なのが実は一番の対抗策だったりします。

 また、日本でしか通用しない特徴を持った差別なので、丑松のように他国に行けば当然なくなります。閉鎖的な、村的な、狭い世での差別だからこそ通用する方法です。

  部落差別は人為的に作り出された曖昧な人種を元にした、最も人間の醜い行いだと私は思います。この作品が発行された当時は、もっとリアルに読者の目に映ったことでしょう。現代は少なくとも僕の周りでは、そうでもないので社会は着実に改善されていると思います。今後も差別は消えるといいと思いました^^

 以上。